橘花単語

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橘花とは、大東亜戦争末期日本海軍が試作した日本初のジェット軍用機である。しばしば誤解されるが分類は「特殊攻撃機」であり、戦闘機ではない。

開発までの経緯

第二次世界大戦中、大日本帝國ドイツは同盟関係にあった。両は互いに欲する物資を交換するため、潜水艦派遣し始めた(遣独潜水艦作戦)。連合軍の厳しい監視を掻い潜り、日本の勢圏に辿り着いたドイツ潜水艦は、欧州では入手できない東南アジア原産の資(ゴムタングステンボーキサイト等)を搭載してドイツに持ち帰り、ドイツの勢圏に辿り着いた日本潜水艦はマウザーといった日本では到底開発できないようなドイツ兵器エニグマ等を搭載して東南アジアへ持ち帰った。しかし連合軍の妨に遭い、撃沈された潜水艦も少なくない。

1943年、ドイツ世界初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262を開発した。日本はこのMe262を強く欲したため、在ベルリン阿部軍武官とドイツ航空ミルヒ技術局長が交渉。日本が開発した小艇用のディーゼルエンジンと交換する形で、Me262の実物と資料が送られる事になった。しかし中には連合軍が跋扈しており、1万5000里の路は危険極まりないものだった。そこで訪独中の29潜と日本に譲渡される呂501(元U-1224)の2隻に同じ資料を積載し、片方でも日本本土に到着する事を期待した。

1944年3月30日吉川中佐を乗せた呂501が出港。続いて4月16日屋英一中佐を乗せた29潜がロリアンを出港した。2隻は別々に日本占領下のシンガポールしたが、5月16日に呂501大西洋上で消息を絶つ。駆逐艦によるヘッジホッグ攻撃で撃沈された模様。残った29潜は大西洋と喜望峰、そしてインド洋を突破して7月14日シンガポールへ到着。休息を挟み、日本本土へ向かったが、暗号解析によって待ち伏せていた潜水艦ソーフィッシュの襲撃を受け、台湾南端で撃沈されてしまった。

2隻の喪失により、Me262に関する資料は全に失われたかに思われた。しかし幸運な事に、シンガポールへ寄港した際、便乗者の中佐が持てるだけの資料をカバンに詰め、路で羽田に帰着していた。このため全な喪失は避けられた。……のだが、谷中佐が携えてきた資料は、実況見分録と寸法すら書かれていない図面くらいで肝心な部分であるエンジンや機体の設計図は全くかった。

ちなみに彼はメッサーシュミットMe163の資料も持ち帰っており、この資料から秋水が誕生。橘花ともども航空史に大きな影を与えている。

橘花開発

Me262の肝心な部分の設計図が失われたため、日本は僅かな資料を基にして和製Me262製作した。陸軍は前々から九九式双発軽爆撃機を使ったジェットエンジン開発を行っており、若干のノウハウがあったのが不幸中の幸いだった。だが1944年7月時点で得られた結論は「解決すべき問題が山積していて前途多難」という有様だった。

中佐が持ち帰った資料は航空技術に送られ、不明点は駐在独武官に電報で問い合わせた。民間六社と陸軍が加わった資料研究討論会が開かれ、ジェット戦闘機の開発は陸軍共同で行う事に合意した。これまで進捗がよろしくなかったジェットエンジン開発は全て中断され、新たに橘花用エンジンの開発を石川タービン、中島日立共同、三菱発注軍も独自にエンジン開発を行った。1944年11月中島飛行機に正式に試作を命じた。11月下旬から12月上旬にかけて一技飛行機部の中口博技術大尉らによる設計審が行われ、試作機の実験結果を待たずに25機の試作に入った。これらの新機には皇二号兵器という仮称が与えられた。

ジェットエンジン「ネ12」を搭載したものを橘花、「ネ20」を搭載したものを橘花と呼称する。

製作群馬県にある中島飛行機太田及び小泉製作所で行われた。1945年1月28日に第一木2月10日に第二木を実施し、それぞれを通過した設計を基に直ちに機体製作が行われた。しかし3月末から4月初旬にかけてB-29襲を受け、製作所が壊滅。幸い格納庫の橘花は事だったため、開発は続行された。試作班は佐野に疎開し、放置されていた養蚕部屋に分散して作業を行った。や胴体はそれぞれの小屋で行われたが、組み立ては較的大きな小屋で行われた。佐野中学校に拠点を移していた設計班は散在する養蚕部屋を駆け巡り、B-29や艦載機の襲撃を警しながら努した。作業場の小屋は最高のくらましになり、最後まで爆撃を受ける事はなかった。この頃には南方からの輸送路が途絶していた事から、燃料には根油が使用された。

1945年4月1日航空技術内に噴進部が新設され、野飛行場にて種子島大佐揮のもとネ20エンジンの開発が進められた。永野技術少佐以下技術班が全で事に当たり、絶大な負担に耐えながら着々と造り上げていく。6月、ついに試作橘花一号機が完成。ネ206月中旬に完成6月30日に最初の地上運転を行った。振動試験や操縦装置剛性試験等をパスし、実用化に成功。7月8日、外せる部品は外して梱包し、テスト先の木更津基地へ向けてトラックで運ばれた。基地に到着すると組み立て作業が行われ、7月27日には機体・エンジンともに備状態となった。テストパイロットを務める高岡少佐も到着。しかし木更津基地への襲は日々強まっており、その合間を縫って整備・点検作業が行われた。7月29日高岡少佐示で二回の地上滑走を行い、機体とのエンジンテストを行った。8月6日、通常の半分以下の根油を入れ、エンジンを使わない軽量の試験飛行を非公式に実施。その日、P-51戦闘機が襲来したが橘花は掩体壕に隠されていたため難を逃れた。初飛行日は8月7日定された。

そしてテスト当日の87日、この日は快晴だった。午前10時30分から慣らし運転を行った。近機動部隊が接近しているとの報告があり、現場はピリピリしていた。食を済ませた高岡少佐は、午後1時にコクピットへ収まった。ジェットエンジン特有の快音とともに機が発進。飛行場を疾駆し、800m滑走したところで宙に浮き上がった。日本史的にも航空史的にも初めて日本ジェット機が飛んだ間である。そして高度600mで12分間の飛行に成功する。着陸した高岡少佐の感想は「案外、たちが良い」というものだった。この日の夕食はビール杯が交わされた。8月8日、橘花部隊に伊東裕満大佐が着任。橘花の名は彼が名付けたもので、言わば生みの親だった。二回テスト飛行は8月10日に定められたが、この日はから艦載機による爆撃が行われたため一日延期となった。

8月11日は変わりやすい横と通りが降る不安定な気だった。しかし軍幹部が多数立会いに来ていたため強行する事になった。今度は燃料を満載にし、離陸用補助ロケット2基を下に搭載。約30分の飛行を行う公式試験に臨んだ。午後3時に高岡少佐が搭乗。エンジンに点火されたが、極度の緊からか操縦ミスをしてしまう。その結果、離陸中オーバーランをして中に突入。高岡少佐事だった。下管制下でっ暗な中、に没した一号機の回収作業が行われた。ただちに二号機の手配をし、次のテストに備えたが、間もなく8月15日終戦を迎えてしまった。

試作機は3機まで完成していたが、終戦悲観した整備員によって操縦席が破壊された。しかし本機を接収しようと考えたアメリカ軍修理を命じた。その後、アメリカに持ち帰られ、研究対となった。2機は棄されてしまったが、1機がスミソニア国立航空宇宙博物館に寄贈。防錆処理を施され、一般開されている。

設計

橘花は和製メッサーシュミットMe262だが、資料の少なさからオリジナル部分も多く含まれている。

機体の外観は一見するとMe262と似通っているが、大きさは一回り小さく(Me262の全長が10.58m、全幅が12.5mあるのに対し橘花はそれぞれ9.25m、10.0mである)、形状も染みのあるテーパーを採用している。掩体壕に隠せるよう、は上方に折り畳める独自の良が加えられている。ジュラルミンの不足に対応するため、軽合を多用。ブリキマンガン鋼などの代用素材を使用している。推の低さを補うべく、エンジン2基は下に懸架。全備状態での離陸には、さらに補助離陸用ロケット2基を搭載しなければならなかった。固定脚は零戦用のものを流用したもので、これを新規のものにするには半年を要するとされた。

固定武装は装備せず、500キロ爆弾800キロ爆弾を懸架して敵艦を攻撃する陸上攻撃機とする設計がなされた。Me262を対爆撃機戦闘機として使っていたドイツとは異なる運用方法だった。異説によれば反跳爆撃も可だったとする。第二次試作機からは五式30mm固定機関を装備する案があったが、装填数は100発程度とMe262の三分の一以下だった。橘花と並行してロケット戦闘機秋水の開発が進められており、B-29迎撃の任務は秋水に一任し、橘花は艦船攻撃をとした。ゆえにMe262のような超兵器ではなく、レシプロ戦闘機の延長線上の性しかめていなかった模様。従来の戦闘機用の高性レシプロエンジンの開発に行き詰まっていた時期でもあり、しかも戦況の悪化で燃料事情も悪化した事から、根油でも動き、しかも組み立ても較的容易なジェットエンジン(ネ12-B)には期待が寄せられた。

橘花はジェット機でありながら特攻機として使われる予定だったという説もある。エンジン寿命が短く連続使用ができない当時のジェットエンジンは特攻におあつらえ向きだったのと戦況が特攻以外の運用を許さなかった事も考えられ、可性は十分にある。航空母艦葛城の艦長である宮崎俊男大佐の手記によると、葛城に橘花を搭載する予定だったという。

ただし、橘花は設計上は生還を前提とした特殊攻撃機(つまりジェット機である点が特殊な攻撃機)であり、始めから特攻(特別攻撃)機として設計されたわけではないことは留意しなければならない。ただ、関係者の言によると「特攻機の名でなければ量産の許可が下りなかった」という。このため資料によっては特攻機とされている場合もある。

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橘花

18 ななしのよっしん
2015/06/29(月) 17:57:38 ID: PXONrDQX62
>>10
秋水局地戦闘機ですし、燃料の持ちも極端に悪いので空母運用は出来ません
はレシプロのみの試験飛行で終了しています
震電は推進式のレシプロ機ですよ ジェットでもロケットでもありません
かつをどりは計画のみに終わっています
火龍は設計のみで生産にこぎついていません
19 ななしのよっしん
2015/09/14(月) 13:34:34 ID: Mh1XZHGqrj
>>11 >>18
>>10の知識はwarthunder架空戦記で得た知識っぽいし・・・


あれ?
20 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 01:03:13 ID: RF0tKLDqqb
>>10
これは釣りかなにか?
一応突っ込むとgaijinエンターテイメントが苦の策で作り出した架機なんだが
21 ななしのよっしん
2015/09/20(日) 01:09:02 ID: DndFS0ZSZd
1年前のスレに返信とはw
22 ななしのよっしん
2016/08/08(月) 20:47:03 ID: 7EQlnlJkYK
>>20
1万年前のスレ変身で悪いが
一応架機じゃなくて計画機ですぞ
23 ななしのよっしん
2016/08/12(金) 23:13:45 ID: a5x26JaSJ1
肝心のジェットエンジン(ネー20)についてなにも触れてないのがなんだか・・・。
機体がどうでもいいとは言わないけど、こいつに関してはむしろエンジン側の方が本命として記述される気がする。

ただネ20だけじゃなく遡っての解説になって相当な分量になろうかと思うけど。
24 ななしのよっしん
2016/10/23(日) 13:43:08 ID: fxR2sost7L
凄い努の結晶とは思うんだけど、、英、独はとっくにジェット機の実戦配備が始まっているのがもう、悲しいよね。どんな努璧に駄な当たり・・・・・。「血を吐きながら続けるマラソン」に敗したビリッケツが気合で最後の100メートルだけ一流選手に拍手される走りをした感じのしさがあるよなあ・・・・。

頭の悪い親父がこいつが飛行したのを知って「日本すごい!!アメリカに技術は勝っていた戦闘機が作れないのは日本航空技術にビビった米国の陰謀」とか小躍りしているのを見ると老いたくはないなーって思う。
25 ななしのよっしん
2016/10/28(金) 02:09:32 ID: XYSJk4ONfV
WA大戦略で軍機は紫電改震電震電(ジェット化した架機)と転換できるのに対し
陸軍機は飛燕→五式ときて橘花になるので「なんでやねん!」と突っ込まれてた
武装が30mm機関だったし火龍の代わりだったのかな
26 ななしのよっしん
2016/11/07(月) 20:18:52 ID: 8l+upy5O0+
伺かの記事かと思ったら違うのね
にしてもいい
27 ななしのよっしん
2019/07/22(月) 23:02:46 ID: 7S6sKEoOCO
緋弾のアリア主人公が使ってた技の一つも「橘花

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2019/12/06(金)13時更新