概要
1980年にドラフト外で阪神タイガースに入団。同期には同じくプロ野球審判員となる渡真利克則がいた。その後3年間一軍出場が無いまま現役引退。
2年後の1985年にセントラル・リーグ審判部入局。
しかし、誤審も多く、ストライク判定に関しては「可変ストライクゾーン」と揶揄されるほど。
有名な事件
以下、例として代表的なものを列挙する。
1998年7月31日阪神 - 巨人戦
橘高のストライク判定に激怒した巨人の投手、バルビーノ・ガルベスが抗議し長嶋茂雄監督(当時)はピッチャー交代を告げガルベスをベンチに戻そうとしたが、ガルベスは橘高目がけボールを投げつけた。ヘタをすれば橘高の命に関わる事態であった。
これによりガルベスはそのシーズンの全試合出場停止処分となった。当然といえば当然であろう。
ちなみに、この乱闘に巻き込まれた吉原孝介が顔面を負傷した。哀れ。
2000年5月6日中日 - 横浜戦
七回中日の攻撃で、立浪和義への投球を橘高はストライクと判定。これに不満を示した立浪が橘高の胸を突き立浪は退場処分に。その直後星野仙一監督(当時)が橘高に体当たりしたのを皮切りに中日ベンチから選手・コーチが一斉に橘高に詰め寄る。その際、大西崇之が橘高の胸付近を殴り、橘高は肋骨を亀裂骨折。大西が殴った理由は、橘高が彼に対し「この若造が!」と暴言を吐いたことが理由(ちなみに、大西は当時29歳と、決して「若造」とは言い難い脂の乗り切ったお歳である)。そればかりか、自分は一軍試合未出場のまま現役生活を終えたにも拘らず、(打撃三部門のタイトルと盗塁王こそ獲得していないが)後に名球会入りし、通算安打数10傑にまで入ったれっきとした「一流選手」である立浪に対して「二流選手が文句を言うな!」などと、とんでもない暴言まで吐いている。
その後、星野、立浪には5日間の出場停止と制裁金、大西には10日間の出場停止と制裁金の処分が科された。暴力行為に走ったことは非難されても反論の余地はないだろうが、一連の橘高の発言を鑑みれば中日ファンでなくとも納得はいくまい。
2005年9月7日中日 - 阪神戦
九回阪神の攻撃で、クロスプレイを巡って阪神の岡田彰布監督(当時)の抗議で試合が一時中断した。
さらにその裏中日の攻撃で、無死二・三塁の場面で谷繁元信がセカンドゴロを打ち、捕球した関本健太郎はスタートを切った三塁走者を刺そうと本塁に送球したが、橘高はセーフと判定。
このことに怒った阪神の平田勝男ヘッドコーチはベンチから出て橘高に暴力行為を働いたため、橘高は平田に退場を宣告した。その後阪神は選手をベンチに引き上げさせ、18分間試合が中断した。
2011年10月2日埼玉西武 - 福岡ソフトバンク戦
2011年からプロ野球のセ・パ両リーグの審判部が統合され、今までセを担当していた審判がパの試合を、同じようにパの審判がセの試合をジャッジする、そんな試合が増えた。考えようによってはクソ審判がジャッジする試合が増えたという可能性も否めない。
スコアは3-5、西武が二点を追う九回裏二死二塁の緊迫した場面、打席の栗山巧がフルカウントからハーフスイング。栗山は四球と思い一塁へ歩き始めたが、主審の工藤が三塁塁審の橘高の判定を仰ぐと、すでに橘高はグラウンドから引き上げようと歩き出しており、簡単に頷くだけに止まった。すかさず西武の渡辺久信監督が橘高へ抗議に行くが、本来ハーフスイング判定を塁審に抗議する行動はルール上禁止されている為、橘高が「ガタガタ言うな」とDQN丸出しの高圧的な発言。もちろん橘高は即座に訂正したが、結果的に渡辺監督の火に油を注いでしまい、抗議は数分間に渡った。
結局判定は覆らず、試合は西武が負けた。
2012年8月31日阪神 - 広島戦
1-0で迎えた六回阪神の攻撃、一死二三塁の場面。9番・能見篤史がスクイズを仕掛けるも、外角のウエストした球にバットを当てるのが精一杯であり、判定はバントファウルかと思われた。しかし球審の橘高はこれを空振りと判定。球がファウルゾーンを転々とする間に三塁走者が生還した(記録はホームスチール)。この判定に広島の野村謙二郎監督が数分に渡って抗議するも判定は覆らず。野村監督は遅延行為で退場となり、試合も3-0で広島が敗れた。
その後、野村監督には厳重注意と制裁金5万円の処分が科された。
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関連項目
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