歌川国芳とは、江戸時代後期の浮世絵師であり、比類なき「ぬこ絵師」である。 別名一勇斎国芳。
概要
寛政9年(1798年)、江戸の日本橋にあった染物屋に生まれる。 本名井草芳三郎。絵師を志し、文化8年(1811年))頃に歌川豊国の門下となり、絵師として活動を始めるが長く評価されなかった。
文政10年(1827年)頃、30歳の頃に発表した「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズで初めて評価され、特に武者絵の評判が良く、 「豊国似顔、国芳武者、広重名所」と称される人気絵師となる。
作風は自由奔放で、英雄譚・百鬼夜行・動物絵・擬人化・寄せ絵・風刺絵・春画など幅広く、西洋の絵画技法を取り入れた絵も残している。
門弟も多く、おもちゃ絵で知られる歌川芳藤、明治初期に挿絵師として活躍した河鍋暁斎、新聞錦絵の落合芳幾、最後の浮世絵師と呼ばれた月岡芳年などがいる。
作品一覧
武者絵で一躍名を馳せた国芳だが、現在ではむしろ「奇想の絵師」として知られている。日本人が擬人化に長けていることは周知の事実だが、国芳もまた例外ではなく、蛸・猿・蛙・金魚など様々な動物を擬人化している。
「流行 蛸の遊び」 「金魚づくし さらいとんび」
「相馬の古内裏」という作品では、西洋の医学から得た知識を元に、骨格を模した妖怪を登場させつつ、三枚続きの絵を1枚の絵に見立てる独特な構図を編み出している。後のダライアスである。
ちなみに妖怪「がしゃどくろ」はこの絵を元にした姿でイメージされることが多いが、実際にはこの絵の骨の怪物は「がしゃどくろ」ではない。詳細は「がしゃどくろ」の記事を参照。
「相馬の古内裏」
複数の人間の体を組み合わせて一人の人物に見立てる新ジャンル「寄せ絵」も開発している。この寄せ絵に関しては、16世紀イタリアの画家アルチンボルドの影響があるのではないかと言われるが真相は不明。
「みかけハこハゐがとんだいいひとだ」
風刺絵も多数手がけており、天保の改革期に役者絵が禁止された時には、落書きのような役者絵を描き、「役者絵?いいえ、落書きです」と言い抜けている。
「荷宝蔵壁のむだ書き」
嘉永6年(1853年)、黒船来航直後に描いた「浮世又平名画奇特」では、幕府要人に擬した人物を描いたことがばれて発禁・没収・罰金の三連コンボを食らっている。
ちなみに右下の人物が老中首座・阿部正弘。その上の袖に読みにくく「かん」と書いている鷹匠が13代将軍・徳川家定である。(「かん」と書かれたのは家定の渾名が「癇性公方」だったため)
「浮世又平名画奇特」
多くの動物絵や擬人化の絵を描いた国芳だが、動物の中でも特に生涯愛した生き物がいる。ぬこである。
ぬこ大好きな国芳は、単に絵に描くだけでなく、作業する時も散歩する時も懐に数匹のぬこを収めていたと言われ、飼いぬこが死んだ時には丁重に弔ったとされている。
「猫のすずみ」
「猫のけいこ」
ぬこを東海道五十三次に見立てた「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」なるパロディ絵も描いている。
それぞれのぬこに、地名にちなんだ名前が付けられている。高解像度版はこちらから。
「猫飼好五十三疋」
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関連項目
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