歌川豊国を名乗った人物は他に歌川国重(二代目)、歌川国貞(三代目)等がいる。この記事では初代豊国を扱う。
概要
明和6(1769年)江戸で生まれる。本名倉橋熊吉。号は一陽斎。
親が浮世絵師の歌川豊春と友人の間柄で、その伝手で豊春から絵を学んだとされる。天明年間のものが確認される最古の作品で、初期の絵には当時流行絵師だった鳥居派四代目・鳥居清長や北尾重政の画風を思わせる美人画が多い。寛政6年から寛政7年にかけて出版した「役者舞台之姿絵」は豊国の出世作となり、役者絵を中心に活動していた勝川春英と人気を二分した。
豊国は自身の作風に他の流派を取り込むことに余念がなく、前述の清長、重政、春英の他、同時代の人気絵師だった喜多川歌麿や鳥文斎栄之らの画風から影響を受けつつ、対象となる役者の身振り手振りを強調したり、或いは二人の役者を1枚の絵に配置する構図など、自身の創意を一味加える事で自身の画風を確立していった。
文化元年(1804年)、歌麿や春英らと同様幕府の取締を受け、手鎖50日に処されたが、その後も活動は滞らず、19世紀前期を代表する人気絵師として活躍した。
豊国は非常に多くの弟子を持ち、中でも歌川国貞と歌川国芳は江戸時代末期を代表する浮世絵師として活躍した。
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