概要
歌川派の開祖・歌川豊春に絵を学ぶ。歌川豊国は兄弟子に当たるが、あまり仲は良くなかったようである。
画壇に登場したのは天明年間(1781~1789)の後期に当たり、初期は挿絵や肉筆の美人画を制作していた。寛政年間(1789-1801)になると自身の画風を確立し、読本や合本の挿絵、美人画などで活躍した。
豊広は豊国と比較すると寡作で、画風も流行を追わず派手ではなかったが、等身の高いスラリとした美人画を好んで描き、静謐で上品な作品が多かった。そのため美人画では粗製濫造の多かった豊国より豊広の方が優れていたとも言われる。
豊広の弟子はあまり多くないものの、現代人にも馴染み深い風景画の大家である歌川広重を輩出した。
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