歌川豊広単語

ウタガワトヨヒロ
  • 0
  • 0pt
掲示板へ

歌川豊広とは江戸時代中期から後期の浮世絵師である。

概要

生年不詳。本名岡島次郎。号は一斎。江戸出身。

の開祖・歌川豊春に絵を学ぶ。歌川豊国兄弟子に当たるが、あまり仲は良くなかったようである。

画壇に登場したのは天明年間(1781~1789)の後期に当たり、初期は挿絵や筆の美人画を制作していた。寛政年間(1789-1801)になると自身の画確立し、読本や合本の挿絵、美人画などで活躍した。

豊広は豊較すると寡作で、画も流行を追わず派手ではなかったが、等身の高いスラリとした美人画を好んで描き、静謐で上品な作品が多かった。そのため美人画では粗製濫造の多かった豊より豊広の方が優れていたとも言われる。

文政12年12月21日1830年1月15日)死去。

豊広の子はあまり多くないものの、現代人にも染み深い風景画の大家である歌川広重を輩出した。

関連商品

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 0
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

お兄ちゃんはおしまい! (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: 城猫
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

歌川豊広

まだ掲示板に書き込みがありません…以下のようなことを書き込んでもらえると嬉しいでーす!

  • 記事を編集した人の応援(応援されると喜びます)
  • 記事に追加して欲しい動画・商品・記述についての情報提供(具体的だと嬉しいです)
  • 歌川豊広についての雑談(ダラダラとゆるい感じで)

書き込みを行うには、ニコニコのアカウントが必要です!


スマホで作られた新規記事

こちらの記事に加筆・修正してみませんか?

画面遷移確認のための記事 健康優良児 あらそう