なお同姓同名の俳優さんがいらしたけど、そちらは「亨」なのでおまちがえのないよう。
それと、顔が似ているからって「元巨人の山倉」でもないのであしからず。
概要
※なおデビュー時はA型とされていたが、これはデビュー直前に母親に『あんたA(型)よ』と言われたため。その後、人間ドックでの血液検査でO型と判明し、某番組にて母親がTel出演し理由を聞いたところ、『私自身がAだったから単に…』という短絡的なものだった。しかし『暫く経ち周りにO型が多かった事から「もしかして…」と思っていたが言ってしまった手前なかなか訂正できなかった』と釈明していた。
なおデビュー数年後でのラジオ番組で『もしかしたらまだ籍は残っている可能性もあるかも』と言っていたので、かなりの優秀なセールスマンだった事が窺える。
シングル曲としてはこの曲が上がると一緒にスリッパタグがつくw「ONE NIGHT GIGOLO」のみとなっているが、実はチェッカーズのラストシングルとなった「Present for you」も彼の作曲である(名義上はThe Checkers)。
解散後はソロ活動、武田真治プロデュース等と幅広く音楽家として活動。
2003年、チェッカーズ楽器陣で「アブラーズ」として活動開始。
私生活では1992年に結婚(名前は字こそ違うが母親と同じ名前)し3人の男児の父親でもある。
武内享にまつわる…
チェッカーズ結成話が上がったのはバス洗いのバイトでT氏との会話から。
その際にスカウトとして最初に上がったのは、当時カルコークを解散して間もなかった藤井郁弥だった。
因みにほかに大土井裕二もスカウトによる勧誘だった(カッコいいベーシストとしての勧誘だった)
バンドの練習場として母親が経営していたスナック『シャルマン』を利用していたが、母親的には「ワルさするより音楽やっていた方がまだまし」という考えだったよう。(というのも高校時代停学2回喰らった過去があるためで、それを跳ね返すものとして一か八かで生徒会長に立候補したら当選した経緯もある)
顔があまりにも「ふ(以下自粛)…」だったため、同い年の人から「先輩」と言われていた。
それに類似したもので、
1:デビュー時雑誌編集者の人に『一人30代の方がいらっしゃるんですか?』と指さしたのが享とか…
2:ラジオ番組に寄せられたファンからのハガキ内容に『知人のちっちゃい子が他のメンバーには「お兄ちゃん」というのに享氏だけは何故か「おじさん」と言っていた』とか・・・
『万年リーダー病』を自覚している節もあるようで、幼少期から様々なグループを組んではまとめていた。そういった面もあるため、リーダーとして他メンバーをうまくまとめる等『中間管理職的立場』と雑誌の取材でも言っていた。
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関連項目
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