武道とは、現代武術である。
概要
呼んで字の如く「武の道」を意味する。即ち戦いの道であり、戦士(武士)の心構えである。元々は今でいう「武士道」と同じような意味であり、剣道、柔道などを指すようになったのは明治も終わり頃のことである。
武道と武術
現在では、技術を強調したいときは「武術」、精神性を強調したいときは「武道」と使い分けられることが多い。
これについてよく言われるのが、「武術は技術だけを追求していて精神的な深みがない」「武道は精神性に流されて技術が退化している」という批判である。これは語源に立ち返って考えると、どちらも的外れな批判だと言わざるを得ない。武術は所詮技術でしかなく、武道とは武士の道である。武術に思想が入り込む余地はなく、武道の中に武術は必修科目として入ってはいても、それが全てではない。礼儀作法や切腹のやり方、各種学問に馬術など、武士として生きるために必要な知識や技術。更に責任感や勇気、正義感など、武士らしい振る舞いをするための精神性。全てひっくるめて武道である。棒振ってりゃいいってもんではないのである。
では何故この二つが混同されるようになったかというと、日露戦争が大きな転機となったようだ。
実は明治の日本軍は白兵戦を軽視しており、「今時武術なんて‥‥‥」という考えの持ち主が政府の上層部にも大勢居たらしい。ひたすら文明開化に邁進した世代であり、時代遅れの日本武術はさっさと捨てるべき、とまで思っていたようだ。
ところが日露戦争では、日本側の予想を覆して白兵戦が起こってしまった。大男揃いのロシア兵との間で、である。この時既に兵士の主力は平民ばかりであり、端的にいえば腰抜け揃いだった。仮に根性が座っていたとしても、そもそも訓練で碌に格闘術を習っていないのだからどうしようもない。ロシア兵の銃剣突撃で日本兵逃走、という情けない事態が頻発したという。
この悪夢を元に、日本政府は武道の復活を決意した。国民総武士化の決意である。その為の方策として、まず武術を必修科目にした。「武道」という名前で。その背景には、「武術(戦い方)さえ知っていれば、最低限武士として振舞えるだろう」という考え方があったと思われる。
この思想が軍国主義の中で曖昧化し、敗戦後の平和主義でうやむやになった結果、現在の武術≒武道という理解が広まってしまったと思われる。
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