歩闡とは、三国志に登場する人物である。
反旗を翻した西陵の都督
字は仲思(『建康実録』)。孫呉の丞相だった歩隲の次男。
兄の歩協が死去すると西陵(湖北省宜昌市)の都督を引き継ぎ、昭武将軍、西陵亭侯となった。265年(甘露元年)9月、都を建業から武昌(湖北省鄂州市)に移すよう上表する。呉帝孫皓は陸凱の諌めを聞かずこれを実行した(翌年12月、都は再び建業に戻った)。
272年(鳳凰元年)8月、孫皓は歩闡を都に召還して繞帳督(近衛兵の監督官)に任命しようとするが、親の代から長年駐屯していた西陵を離れ都に召還されることで、猜疑心の強い孫皓から危害を加えられるのではと恐れた歩闡は晋王朝に城ごと寝返る。
歩闡は甥の歩璣、歩璿(歩協の子)を晋に人質に送る。晋は歩闡に様々な官職を送り三公と同じ待遇を与えた。
孫皓は陸抗を派遣して西陵を攻めさせる。陸抗は西陵城を包囲し、反乱に乗じて攻めてきた晋の羊祜を撃退。孤立無援になった西陵城は陸抗によって攻め落とされ、歩闡とその一族幹部は皆殺しになったが下っ端の将兵は助命された。
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