歩闡単語

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歩闡とは、三国志に登場する人物である。

反旗を翻した西陵の都督

字は仲思(『建康実録』)。孫呉丞相だった歩隲の次男。
の歩協が死去すると西陵(北省宜)の都督を引き継ぎ、昭武将軍、西陵亭侯となった。265年(甘露元年)9月、都を建業から武北省鄂州)に移すよう上表する。孫皓は陸凱の諌めを聞かずこれを実行した(翌年12月、都は再び建業に戻った)。

272年(鳳凰元年)8月孫皓は歩闡を都に召還して繞帳督(近衛兵の監督官)に任命しようとするが、の代から長年駐屯していた西陵を離れ都に召還されることで、疑心の強い孫皓から危を加えられるのではと恐れた歩闡は晋王朝ごと寝返る。
歩闡は甥の歩璣、歩璿(歩協の子)をに人質に送る。は歩闡に様々な官職を送り三と同じ待遇を与えた。

孫皓陸抗派遣して西陵を攻めさせる。陸抗は西陵を包囲し、反乱に乗じて攻めてきた羊祜を撃退。孤立援になった西陵陸抗によって攻め落とされ、歩闡とその一族幹部は皆殺しになったが下っ端の将兵は助命された。

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歩闡

1 ななしのよっしん
2016/03/26(土) 00:36:27 ID: qo6PGz4Y5H
歩闡綜とは重臣の2代目が割りと簡単に
寝返るイメージ

孫皓の呼び出しが怖いのはよく分かるがw、
としての先のなさを多くがうすうす感じてたのかなあ
👍
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2 ななしのよっしん
2016/04/01(金) 18:21:33 ID: xn5nZSe66O
よく孫皓の暴政の一つとして上げられる武遷都だが、そもそも武遷都を進めたのはこの西陵督歩闡
滅亡直後だから、西陵督としては方面・荊州方面の防備を固めたいという意図だったのかも
👍
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3 ななしのよっしん
2017/06/22(木) 16:27:56 ID: a0AZnfUTZY
歩氏は滅亡後に救援と言う名の火事泥棒を命じられて陸抗共々失敗してるしね
その強さを身を持って味わった分西からの脅威には敏感だったんだろう
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