殺生石とは、九尾の狐が変じたとされる石である。
概要
平安時代初期、インドと中国を散々に荒らしまわった九尾の狐が日本に渡来。美女に化け、鳥羽天皇に接近して寵愛を受けるようになった。ゆくゆくは天皇を殺し、日本を手中に収めようと画策していた九尾の狐であったが、陰陽師の阿部秦成によって正体を見破られる。慌てて、現在の栃木県にある那須高原へ逃亡する九尾だったが、朝廷から討伐命令が下され命を狙われる。8万の軍勢と、それを率いる上総広常と三浦義明の両名によって討ち取られる。この際、九尾は石化して殺生石という巨石に転じたとされる。死してなお凄まじい怨念を放つ殺生石は、近付く鳥や人、家畜などを毒殺し続けた。ちなみに殺生石がある場所には硫化水素ガスが噴出しており、これが毒の正体ではないかと言われている。現在は噴出量が少なくなっているが、それでも立ち入り禁止である。
時代は流れ、室町時代。殺生石の噂を聞いた名僧源翁和尚は、那須高原に足を踏み入れる。そして殺生石の前に立つと、杖で一喝して三つに砕いた。欠片は会津と備前に飛んで行き、残った一つは那須高原に留まり続けた。その後、九尾の魂を慰めるために那須温泉神社の境内に九尾稲荷神社が建立された。
1689年6月5日、有名な俳人である松尾芭蕉が那須高原に来訪し、「紀行・奥の細道」に殺生石に関する俳句を残している。謡曲「殺生石」が作られ、江戸時代に流行った事から一般市民にも広く知られるようになった。1957年1月29日、栃木県指定文化財に指定。2014年3月18日には国指定名勝に選ばれている。2022年3月に、真っ二つに割れていたのが発見され、ネットでは不吉な出来事の前触れではと話題となった。
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