毎熊晟矢(まいくま せいや、1997年10月16日 - )とは、日本のサッカー選手である。
オランダ・エールディヴィジのAZアルクマール所属。サッカー日本代表。
ポジションはDF(右サイドバック)、FW(右ウイング)。179cm69kg。利き足は右足。
経歴
プロ入り前
出生は大分県で幼稚園までは大分に住んでいたが、小学生の頃から長崎県に住んでいるため出身地は長崎県としている。両親も長崎出身で、7つと4つ離れた姉がいる末っ子であり長男。サッカーを始めたきっかけは、親が何かスポーツをさせたいと思ったらしく、幼稚園の年中の頃、家族ぐるみで仲が良かった近所の子どもと一緒に大分トリニータのスクールに入ったこと。リニータの試合も見に行って、「カッコいいな。こういう人たちになりたいな」と思い、本格的にサッカーを始めるようになった。
小学生になって佐世保市に引っ越し、1年生のときは黒髪フットボールクラブジュニアというチームでプレー。2年生になって長崎市に引っ越し、JFCレインボー長崎に入り、6年生までプレーし続けている。当時のポジションはFWやトップ下。ちなみに将来プロサッカー選手になりたいという目標はこの頃から持っていた。
中学生になってからは、地元出身の元プロサッカー選手である大久保誠が主宰するFOOTBALL CLUB BRISTOL U15に所属。小6の時にそのスクールに行くと、凄く感じるモノがあり、そのままここでやりたいなと思ったのが入団のきっかけ。元プロから身近に指導を受けられるという環境だったこともあり、この頃からボールの置き所や見る所などを考えるようになったと言う。
高校は少しでもレベルの高いところでのプレーを希望し、先輩の伝手もあり練習参加したら特待生をもらえたこともあって名門の東福岡高校に進学。1年目は寮に入っていたのですが、2年目に親が福岡に転勤になり、実家から通うことになった。二つ上には松田天馬や木戸皓貴がおり、2年生まではAチームに上がることができなかった。3年生になってFWのレギュラーを掴み、インターハイと高校選手権の二冠を達成する。もっとも選手権では県大会で怪我をしたこともあり、全国大会ではベンチだった。
高校卒業後はプロからのオファーがなかった事と、関西に行ってみたい気持ちもあり、桃山学院大学に進学。1年生のときは試合に出られず、先輩たちのビブスを洗ったり、試合ではビデオカメラを回したり、裏方の仕事もこなしていた。2年生になって試合に出られるようになり、FWとして頭角を現すようになる。3年生のときには関西選抜に選ばれるまでに成長し、プロになる手ごたえを感じるようになる。その後、デンソーカップにV・ファーレン長崎のスカウトが視察に来たり、長崎の練習やセレッソ大阪の紅白戦に参加するようになる。そして4年生時の10月にプロ入りが発表される。
V・ファーレン長崎
2020年より地元でもあるJ2リーグのV・ファーレン長崎に入団。シーズン開幕戦の栃木SC戦で後半アディショナルタイムから途中出場しプロデビューを果たす。7月15日、J2第5節のFC琉球戦でプロ初ゴールを決める。この年、監督の手倉森誠の意向によって右サイドバックにコンバートされる。このコンバートが大きな転機となり、才能が開花。プロ1年目ながらも36試合3得点という成績を残す。
2年目となった2021年も右サイドバックの主力として活躍。チームメイトに玉田圭司や都倉賢といった経験豊富なベテランが在籍していたこともあってアドバイスを得られたこともあってさらに成長。シーズン途中から守備組織の構築に定評のある松田浩が監督に就任し、課題とされていた守備面でも多くを学ぶこととなる。この年の長崎はJ1昇格争いに加わるほど躍進し、リーグ戦38試合に出場。10アシストを記録。
セレッソ大阪
2021年12月23日、2022年シーズンよりJ1リーグのセレッソ大阪に完全移籍することが発表される。当時は同じ右サイドバックに松田陸という絶対的な存在がいたこともあり、小菊昭雄監督によって右サイドハーフとして起用される。5月6日のジュビロ磐田戦ではJ1リーグ初ゴールを含む2ゴールの活躍を見せる。これまでよりもさらにレベルの高い選手が揃うセレッソでもレギュラーの座を掴み、5月にはリーグの月間最優秀選手に選出。チームにもすぐに馴染むことができ、サイドハーフで起用されたことで攻守の幅が広がるようになる。プロになって最多となる公式戦42試合に出場し、シーズン終了後には複数年契約を勝ち取るなど、クラブから高く評価される。
2023年は新加入のジョルディ・クラークが右サイドハーフに起用されたこともあり、長崎時代と同じ右サイドバックのレギュラーとして固定されるようになる。3月27日のルヴァンカップ第2節ガンバ大阪戦では自陣ハーフライン手前からドリブルで独走してのゴールを決めている。サイドバックながら中央に移動するなど攻撃の組み立てで大きく貢献、守備でも貢献して対戦相手からは脅威となり、日本を代表する右サイドバックと評されるまでに飛躍する。数字上は1得点2アシストだったが、この年のJ1リーグベストイレブンに選出されている。
2024年シーズンも右サイドバックの主力を務めるが、6月13日に海外移籍のためにチームを離れることが発表される。
AZ
2024年6月21日、オランダ・エールディヴィジのAZアルクマールへ4年契約で完全移籍することが発表される。背番号は16。代表でポジションを争う菅原由勢の後釜として加入することとなった。
日本代表
2023年9月のベルギー遠征で日本代表に初めて選出される。9月12日のトルコとの親善試合に右SBのスタメンに抜擢され、フル代表デビューを果たす。この試合でのプレーが評価され、プレースタイルが代表が取り組んでいる「偽のSB」とマッチしたこともあってその後も代表に定着するようになる。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023のメンバーにも選出。最初の2試合は出場機会は無かったが、第3戦のインドネシア戦でスタメンとして起用され、評価を高める。以降は不調の菅原由勢に代わって右SBのレギュラーを掴むと、ラウンド16のバーレーン戦では約25mから振り出された強烈ミドルシュートがポストに直撃し、こぼれ球を堂安律が押し込み、得点の起点となる。この試合では右サイドから何度もチャンスを作り出すハイパフォーマンスを披露し、久保建英から「今日は彼がMVP」と絶賛される。しかし、準々決勝のイラン戦ではロングボールで狙われ続けたことで苦戦。持ち味を出すことができず、チームもベスト8で敗退となる。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2020 | V・ファーレン長崎 | J2リーグ | 36 | 3 | |
2021 | V・ファーレン長崎 | J2リーグ | 38 | 3 | |
2022 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 28 | 3 | |
2023 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 31 | 1 | |
2024 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 15 | 0 | |
2024-25 | AZ | エールディヴィジ |
個人タイトル
プレースタイル
右サイドならどこでもこなせる選手で、攻守に激しく戦うことができ、90分間アップダウンを繰り返すだけの運動量を持っている。ドリブル突破が持ち味だが、スピードよりも緩急で相手を抜いていけるタイプ。独力での突破もできれば、コンビネーションで崩すこともできる。
主戦場となっている右サイドバックにはプロ入りしてからFWからコンバートされたが、元FWの特性を活かして縦と中をうまく使いこなせることがストロングポイントとなっている。中村憲剛は「どこに立てば良いか。瞬時に考え、ポジションを取れるのが毎熊の良さだ」と評価しており、小野伸二からは空間認知能力の高さを絶賛されている。
一方で守備面ではスピード勝負や食い付く対応は問題ないものの、駆け引きの部分で後手を踏むことがあり、海外の選手相手には肉弾戦で苦戦するなどまだまだ課題がある。また、ロングボールでの競り合いの対応にも問題があり、上背の無さから跳ね返せないことが多い。
人物・エピソード
- 右サイドバックにコンバートされたばかりのころは、本人的に手ごたえは無かったらしいが、周囲から褒められたことで自信を得られるようになった。
- 日本代表に初選出されたとき、チームメイトであり元代表の10番である香川真司から「セレッソでやってるようにやれば絶対大丈夫」と言われた。
- セレッソ大阪の小菊監督は、右サイドバックとしてのプレースタイルをモロッコ代表のハキミ・アフラクに似ていると評し、「和製ハキミ」と称している。自身は目標としている選手に元日本代表の内田篤人の名前を挙げている。
- 温泉に行くのが趣味らしく、オフの日には温泉で過ごしている。また、ゲン担ぎのために試合の2日前にも温泉に行っている。
- 代表では同い年である上田綺世と仲が良い。
関連動画
関連項目
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