概要
別名・多聞天(たもんてん)、梵名(サンスクリット語での名前)はヴァイシュラヴァナ。「毘沙門」はこの音写である。いずれも「すべてのことを一切聞きもらすことのない知恵者」を意味する。もともとは古代インドの財宝の神様・クベーラとされ、仏教に帰依して毘沙門天となった。
仏法と仏教徒を護る十二天、および帝釈天に仕え須弥山の四方を守護する四天王のひとかどであり、須弥山第4層の北面で夜叉や羅刹など鬼神を率いて北倶廬洲(ほっくるしゅう)を守っている。天敬城という、蓮の花の香りのする絢爛豪華な御殿に住み、吉祥天を妻(もしくは妹)に持つ。
日本では右手に宝塔、左手に宝棒もしくは三叉戟を持ち鎧を着込んだ武将姿が一般的で、軍神・武神としてのイメージが強い。
一方中国では右手に傘、左手に鼠を持った姿で表される。鼠を持っているのは、中国では鼠が毘沙門天の使者とされているためで、唐の玄宗皇帝治世の時代、西域の安西都護府が敵軍に攻められ包囲された際、玄宗皇帝に依頼された名僧・不空三蔵が祈りをささげると、毘沙門天とともに金色の鼠があらわれ、敵軍の弓の弦を噛み切って退散させたという故事が残されている。またこの故事は毘沙門天が北方、すなわち子の方角を守っていることに関連付けられているとされる。
なお、日本では後述の伝説により虎が毘沙門天の使いとされることが多い。
戦国武将・上杉謙信が戦の神として信仰し、自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたという。旗印の「毘」の文字は頓に有名。
毘沙門天が祀られている主な寺社
日本三毘沙門
- 鞍馬寺(京都府京都市左京区)
東寺を建立した藤原伊勢人(いせんど)が毘沙門天と千手観音を安置した、もしくは鑑真の弟子・鑑禎(がんてい)が毘沙門天を奉安したのがはじまりとされ、都の北方を守護する。多くの毘沙門天像が祀られ、宝塔を額にかざすという独特の姿をした毘沙門天像も。 - 朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)
「信貴山寺」「信貴山の毘沙門さん」とも。聖徳太子が物部守屋討伐をしようとしていたとき、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に毘沙門天が現れて物部守屋討伐の二秘法を授けたことから、毘沙門天を祀る寺院を建立したのが始まりであるという伝説がある。なおこれに由来して寺のあちこちに張り子の虎が置かれていて、中には「世界一福寅」とよばれる巨大な張り子もある。
以上二つは「日本三毘沙門」としてほぼ固定されているが、残り一つは諸説あり、多くの寺院が名乗りをあげている。
- 大岩山多聞院最勝寺(栃木県足利市)
聖武天皇の命で行基が開いたとされる。推定樹齢600年とされる「毘沙門天の杉」がある。毎年大晦日夜から元旦にかけて、本堂までの道を「ばかやろう」と叫びながら練り歩く奇祭「悪口(あくたい)まつり」でも知られる。 - 蓮勝寺(神奈川県横浜市)
港北区にある横浜七福神のひとつ。運慶の作とされる毘沙門天像がある。 - 妙福寺(愛知県碧南市)
三河七福神のひとつで、「志貴の毘沙門天」ともいわれる。聖徳太子作と伝えられる毘沙門天像がある。なお浄土宗の寺院であり本尊は阿弥陀如来。 - 本山寺(大阪府高槻市)
修験道の開祖とされる役小角が開いたと言われる。本尊である毘沙門天像も役小角の作とされる。
そのほか
- 東寺(京都府京都市)
本尊は薬師如来だが、毘沙門堂に毘沙門天が祀られている。京都の七福神めぐり(都七福神)の札所でもある。 - 成島三熊野神社(岩手県花巻市)
もともと「成島寺」といわれ、神社の敷地内にその名残である毘沙門堂がある。日本最大の毘沙門天像といわれる木造兜跋毘沙門天立像(高さ4.73m)が安置されている。
関連商品
関連項目
- 8
- 0pt