毛屋武久
(けや たけひさ 1554 ~ 1628)とは、六角氏・柴田氏・前田氏・佐々氏・黒田氏に仕えた戦国武将である。
黒田家では、後藤基次・母里友信・栗山利安・井上之房ら黒田八虎とともに黒田二十四騎に数えられた。
概要
六角義賢に仕えていたが、織田信長の進撃により六角氏の勢力が瓦解すると柴田勝家の家臣になった。
柴田勝家が北ノ庄で自刃すると、前田利家を経て佐々成政に仕え、秀吉に叛旗を翻した成政が敗れて降伏すると、九州征伐の功績で肥後五十万国を賜った成政に従って肥後に移った。
成政が秀吉によって切腹させられると、以前の戦いで窮地を救われた恩を返したいと言う蒲生氏郷が一万石の高禄で召し抱えようとしたが、朝鮮の役を前にして他家に仕えるわけにはいかないとして誘いを断り、後に三百石で黒田長政に仕えた。
関ヶ原の戦いでは、物見として敵兵の数が少ない事を見破って味方の士気を高揚させた功績により、徳川家康から饅頭を褒美として与えられた。
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt