民族とは、文化的伝統を共有することで形成された同族意識を持つ共同体である。
概要
「民族」という言葉は英単語nationの訳語である……はずであったのだが、英語ethnic groupに相当する意味も持つようになっているため、両方の訳語として用いられる。nation(「国民」とも)とethnic groupの詳しい違いはwikiを参照。面倒くさいにも程がある。
間違いを恐れず簡単に言うと、Nation-State の考えのうち都合の悪くなった部分を Ethnic Group(長いので以下 Ethnos)として分離した。旧来の「王様が権利を持つ領土と領民」が国だったのに対して、「ある民族とそれが住む土地とその政府」が国であるよ民族自決万歳という説明で新しいタイプの国を作った。ところがこの考え方では一つの領土の中に複数の Nation が存在して、それぞれ独立の正当性を得てしまう。そこで、 Ethnos という考え方を作って必ずしも Ethnos = Nation ではないので民族主義者分離主義者は殺してもよいとした。ちゅうわけで日本語でどちらも民族となったのは仕方がないところもある。また、単なる訳語としての正しさの他に政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)の問題も出てくるので民族は実際面倒くさい。
民族という概念自体が抽象的なこともあって、何をもって「民族」が成立するかというのは難しい問題である。一般的には言語・文化・血縁などが重要とされるが、ある共同体の「俺たちは他とは違う、一つの民族なんだ」という意識の共有こそが最も重要だとも言われる。
フランス革命以降、nation state(国民国家)が世界の主流となっていく過程で「民族」という概念は政治と密接に結びつくようになった(より正確にはnation stateの成立によって現代の「民族」という概念が形成されていったともいえる)。このため、現代の「民族」は政治的な影響を受けてできたものも多い。
また、「俺たちはあいつらとは違う」という考えは排他主義に結びつきやすく、近現代においては行き過ぎた民族主義が紛争・対立の火種を起こすことも多い。悪い手本は見習わないようにしよう。
他民族と意識して接する機会の少ない多くの在日日系日本人にとって、両親ともにオランダからの帰化者である日本人サッカー選手、日本語を話せない帰国子女、日本語しか話せない外国人子女、中華街の住人、日系ブラジル人、日本に来た日系ブラジル人、在日コミュニティ内外の在日韓国・朝鮮人、アイヌなどが、それぞれどこの国民で、何語を話し、どんな生活をして、何民族を自認しているか想像することは「民族」の理解に役立つと、この段落の筆者は思います。
歴史での「民族」
歴史などでも出てくる民族(~族)は大体エスニック・グループの意味(と呼ぶのも正しいかどうか)。やや意味あいが異なるが部族や氏族ということもある。言語、風俗を同一とする集団を呼ぶと考えてよい、宗教が大きなファクターになることもある。~民族の国と記述がある場合、歴史上では支配者層の民族(必ずしも多数派ではない)を言うことが多く、現在では国民の多数を占める民族を言うことが多い。
民族のいろいろ
民族が流動的でまた自認が重要であること。違い、あるいはその影響を考える。
以下、主に国民(Nation)と民族(Ethnos)で使い分けて説明するがそうするのが必ず正しいわけではない。民族はめんどくさい。
血統によらない民族意識の継承
多くの場合、同じ民族の者は同族の誰かとの血縁関係があるため、一見奇妙ではあるが、民族は必ずしも血統によらない。ある人が生まれ育ったコミュニティとは別のコミュニティの言語風俗文化宗教を受け入れ別の民族の一員となるというように、一人の人生の中でもかわることがある。その子孫ともなればなおのことである。
文化同一性を保つ要素(強い戒律の宗教や言語教育)がない場合も、周囲の状況によって文化転向から血縁によらない民族意識の変化が起きる可能性がある。
またその逆で同じ血統でも別民族足りえるのは、人類が一系統であることから当然である。
例としてトルコ人を考える。
彼らの文化的祖先はモンゴロイドの集団であるが、現代トルコ人はおおむねコーカソイドの特徴を持つ。これはトルコ人がモンゴル高原から出てアナトリアに定住する過程でペルシア系やギリシア系住民を吸収したことによる。この吸収は単純な混血に限らず、改宗や多数派への同化を含んでいる。そのためテュルク系の血をひかないトルコ人の存在も考えられる。
彼らはそのような集団であるにも関わらず、中央アジアのテュルク系民族と同系の文化を持つ同系の民族であると自認している。
同様のことは世界各地で起きている。
たとえばエジプトの住民の大半はローマ帝国時代のキリスト教への改宗まではエジプト語を喋るエジプト人だったのが、アラビア語を優先するイスラームへの改宗の過程でアラブ人化している。他にもバルト十字軍によるバルト海沿岸のバルト・ドイツ人化や、レコンキスタ後のアンダルス住民のカスティーリャへの同化もある。
逆に南ロシアのテュルク系民族を支配したモンゴル人のテュルク化(→タタール)や、バルカン半島を支配したテュルク系民族のスラブ化(→ブルガリア)といった例もある。
血統的に同一でも別民族に
血統的、言語的に同一の民族であっても人工的に別民族とされてしまう事もある。
ユーゴスラビアのクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人は宗教がカトリック、正教会、イスラームである以外、言語、文化、血統的な差異は無い。しかし、この地を支配したオスマン帝国は改宗者であるボシュニャク人への優遇政策を行い、バルカン半島を狙うロシア帝国は同じ正教会のセルビアを支援、オーストリア=ハンガリー帝国やナチス・ドイツはクロアチア人勢力を優遇、支援した。その結果この3民族は完全に分断、対立し内戦、民族浄化という悲劇を生んだ。
ルワンダのツチ、フツは狩猟民、農耕民という違いだけで血統、言語、文化ともに同一民族と言って差し支えない。しかし、ドイツ帝国とベルギーはこの地を植民地支配するにあたり、「ツチはより白人に近い優秀な民族」(現在ではこの説は否定されている)と分断工作をし、少数のツチを優遇、多数派のフツをあらゆる面で差別した。その結果、フツは白人の植民地支配への憎しみをツチに向かわせた。この長年のフツの鬱憤がルワンダ虐殺という悪夢を生んだ。
WW2で勝利したソ連はルーマニアからモルドバ地方を獲得したが、ルーマニア民族主義の独立運動を恐れたソ連当局はモルドバを歴史的、言語的に別民族であるとした教育を行った。その結果、ソ連の支配地域ではルーマニア人とは別の「モルドバ人」としてのアイデンティティが育った。
いずれの例も大国や当時の支配者のエゴイズムによって同一民族が分断され別民族とされてしまった悲劇の例である。
民族と遺伝子
当たり前のことだが、民族は遺伝しないので遺伝子から民族を特定することは出来ない。
民族は生まれではなく育ちで決まる。例えば、生まれたばかりの子供は民族意識を持っていない。その子が民族の子として育てられ、両親や周りの人達から民族の文化・風習を学んでいく過程を経て初めて民族になるのである。また前述されているように、一人の人生にあっても成長段階において所属する民族が変わることがあることを考えれば、遺伝子から民族を特定することが出来ないことが容易に理解できるだろう。
その一方で、民族集団の全体的な傾向として見た場合には、各民族集団ごとに特徴的な遺伝子の偏りが出てくるのも事実である。これは、人は自分の配偶者には同じ文化圏の人物を選ぶことが多いという性質によるものである(近くに住んでいて出会う機会が多い、同じ常識を共有していて親密になりやすい等の様々な理由がある)。そして何度も同族婚が繰り返されると、その結果として民族内に特定の遺伝子が広く蔓延するのである。とはいえ、その遺伝子も民族の全員に行き渡るわけではないので、個体としてみた場合は結局「遺伝子から民族を特定することは出来ない」という最初の話に戻ってくるのである。
Nation と Ethnos
国民(Nation)と民族(Ethnos)は必ずしも同じではないし必ずしも別ではない、複数の民族が一つの国民を形成することもあるし、国民を形成することが新しい民族意識を作ることもあるし、民族意識が国家を超えて存在することもある。
オランダ人はドイツ語と同系の言語であるオランダ語を話し、神聖ローマ帝国の一部であったことから未だに英語では Dutch(本来はドイツ人の意味。現代ではオランダ人だけを指す)と呼ばれているが、自分がドイツ国民の一部であると考える人は殆どいないだろう。「民族」意識はオランダやスイスの帝国からの離脱が正式に決まった後から出たものだからである。一方、現在のドイツ領内のドイツ国民であっても、本来地域によって相互の会話が不可能なほど言語的文化的差異があるのであって、プロイセンによる統一や標準ドイツ語の制定など積極的なドイツ国民の形成がなければ、ドイツ人意識を全く持たない人はもっと多くいたと考えられる。
つまり、神聖ローマ帝国領やプロイセン領のドイツ系言語を操る人々の子孫がドイツ国民であるかどうかは、本来の民族的同一性によらず、単なる歴史の偶然による。もし、14世紀からの歴史の流れが違ったなら、オランダ人やスイス人がドイツ民族を自認していたり、逆に低ザクセン人がオランダ人意識を持っていたかもしれないし、ミュンヘン一揆の代わりにベルリン進軍が発生してバイエルン人の国民国家があったかもしれない。
オランダや低ザクセンよりさらにドイツであっておかしくないオーストリアのドイツ語話者は国家を超えたドイツ民族意識をある程度持っている。しかし、ドイツと不可分なドイツ国民意識とドイツ系のオーストリア国民意識のどちらが主流かは、この100年の間でさえ何度も変化している。
また別の例は朝鮮民族である。朝鮮民族は大きく5つの国家に分散しており、半世紀を超えて一つの民族を自認しつつ二つの国民国家を育んでおり、国家を超えて民族意識が保持されている例といえる。
多民族国家
一般に多民族国家といって想像されるものを考える。多民族国家は2タイプある。ひとつは複数の民族居住地域にまたがって形成された国家で、もう一つが移民国家である。
多民族国家では国民は複数の民族で形成される。居住地が分離していれば、ロシアのように下位国家や自治州を作ることで複数の国民集団が一つの大きな国民国家を作る連邦制をとることができる。また、インドやスペインのように複数の言語を使うことを公式に定めるなどして、複数の民族が一つの国民を形成する体制もある。過去にはフランスのように「国民=一つの民族」であることを強制し続けた国家もあるが、今では流行らない手段である。
現在では特殊な例として、国民意識が殆どあるいは全くない住人を抱える国家も存在する。パキスタンの連邦直轄部族地域やサウジアラビアと周辺国の国境地域は独自の遊牧生活者が存在し、インドの北センチネル島やアマゾンの奥地にはいわゆる未接触部族が存在する。
民族を超えた国民の形成に失敗した多民族国家は崩壊することもある。
インドではインド連邦の構想が宗教上の問題からインドとパキスタンに分裂し、さらにパキスタンからは地理的に離れたバングラディシュが独立した。またユーゴスラビアは名前の通り南スラブ人統一国家を目指したが、チトーの死後10年以上の歳月と多くの血を流して70年の夢は崩壊した。
日本
日本では、日本は概ね単一民族の国家と認識されているが、「一つの列島、二つの国家、三つの文化」という言葉があるように、日本には北からアイヌ、大和、琉球の文化圏があり、日本人はアイヌ、大和、琉球の三民族から成るとも言える。また、アイヌと比べて琉球と大和は文化的に比較的近いとして琉球の独自性を認めない立場からは日本とアイヌの二民族からなるとも言えるし、アイヌの独自性も認めない立場からは日本は完全な単一民族国家であるということになる。この「三つの文化」は母体は同じであったと考えられているが、琉球は以前は大和とは異なる国家であったことから主に Nation 的な意味で、アイヌは日本語と別系統の言語を用いるなど文化的差異が大きいことから主に Ethnos 的な意味で別の民族であるとされることが多い。
民族は自認の問題だとは言うものの、アメリカに連邦政府や州政府ごとに独自の公認ネイティブ・アメリカンと非公認ネイティブ・アメリカンの区別があるように、民族を政治的に扱う場合には該当政府の政治的基準で民族として認められなければならない。日本政府はアイヌを民族として認めないということはないが、特段の理由がない限りは民族の区別をすることなく単に日本国民(日本国籍を有する者)とのみ扱っている。アイヌと大和ほど差があれば、たとえ日本政府に同一とされたとしても実質別のものであると周囲から認識されるだろうが、大和と琉球ほどの差あるいはもっと小さな差異だと別民族とするか地方の習慣とするかは政治的な要素がより強くなる。仮に、南九州が大和朝廷の下に組み込まれないまま近代を迎えたならば、そこに住む人は大和とは違う隼人や熊襲といった民族意識を持っていて「一つの列島、三つの国家、四つの文化」だったかもしれない。その場合、日本政府はそれを認められるだろうか。考えるだけでめんどくさい。
つまり・・・どういう事だってばよ
「民族」っていう単語はややこしくてめんどくさい単語なんで安易に「○○民族はー」なんて言わないようにしましょう。
ニコニコ動画では
ドラゴンボールに出てくる「戦闘民族サイヤ人」という単語の語呂が良かったのか、いろんな戦闘民族が生み出されている。
→戦闘民族
また、「民族音楽」というカテゴリで音楽などが上げられることも多い。
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