水天宮とは、福岡県久留米市にある神社およびそれを総本宮とした全国にある神社である。
概要
祭神は安徳天皇、二位の尼(平時子)、建礼門院(平徳子)、天之御中主神(アメノミナカヌシノ神)。ただし、祭神が異なる水天宮も存在する。天之御中主神はもともと無関係だったが、明治維新の前後に追加された。
安徳天皇を祀った神社としては赤間神宮も有名ではあるが、各地に安徳天皇やそれに仕えた人物が落ちのびたという伝承を持つ地があり、そのような地では赤間神宮以外の神社でも安徳天皇を祭神とした神社がある。
水難除け、安産、子供、子育て、漁業などの神社であり、特に安産の神として扱われることが多い。福岡県久留米市の久留米駅西、筑後川沿いにあるものが総本宮であるが、分社が各地にある。また境内末社として水天宮がある神社も存在する。過去には軍艦の千歳にも祀られており、他の神社と合祀されているものの、遠いところではハワイにもある(→参考)。これを読んでいる君の近所にもあるんじゃないかな?
水天宮(総本宮)
福岡県久留米市にある。久留米駅から西に徒歩5分程度、住宅街の中を通っていくと水天宮がある。安徳天皇に仕え、入水するときも安徳天皇を抱いていたと言われる按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)によって建立されたとされる。按察使局伊勢は剃髪し「尼御前」と呼ばれており、彼女が平家一門の霊を祀った神社も「尼御前神社」と言われていた。その後、平家の平右忠がここを訪れ神社を管理するようになり、その子孫の「真木家」によって神社が守られ続けてきた。
戦乱の世には何度も筑後川流域の中で場所を移していたが、江戸時代に久留米藩がおかれてから現在の場所に鎮座し、「水天宮」と呼ばれるようになった。
1937年7月23日、水上機母艦千歳の艦内神社に指定。艦名が筑後川の別名である千歳川から取られていて、その縁で水天宮が選ばれた。翌1938年7月1日に分祀を実施。戦後、元乗組員や遺族が近隣住民の協力を得て、境内に軍艦千歳慰霊碑を建立。平成の世に入ってからは浄財でレリーフ像が造られた。また水天宮の扁額は東郷平八郎元帥が書いたものであり、何かと海軍と縁がある。またミッドウェー海戦に参加した伊168潜の電気長は、水天宮で購入した御守りを乗員全員に手渡している。その御利益のおかげで、そのあと伊168潜は敵空母ヨークタウンと駆逐艦ハンマンを撃沈してみせた。
水天宮(東京・日本橋)
東京圏で最も有名なのは、東京メトロ半蔵門線の駅名(水天宮前駅)や交差点名にもなっている東京の水天宮と思われる。2021年現在の参道はビルの1階~3階を貫通する階段になっており現代的な雰囲気だが、その奥の社殿自体は木造となっている。その下の土台は免震構造になっているなど、新しい技術も使われている。2013年~2016年の建て替えの前は左右に入口があり、正面にはなかった。
江戸時代中期に、三田にあった久留米藩江戸上屋敷に本宮の分霊として祀られた。本来は藩の関係者以外参拝できない場所にあったが、噂で人気が上昇し塀の外から賽銭を投げ込まれるなどの行為が続出したため、毎月5日は一般開放するようになった。この時の賽銭等は久留米藩の貴重な収入になったと言われる。
その後、明治4年に赤坂、明治5年に藩主の有馬家の屋敷があった日本橋蛎殻町へ移転し、その後は令和まで蛎殻町にある。
神社は24時間立ち入り可能なものも多いが、東京の水天宮の場合は参拝可能な時間が決められているので注意が必要である。2021年時点で7時から16時半まで。
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関連項目
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