河村英文単語

カワムラヒデフミ
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河村英文(かわむら ひでふみ)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1933年8月30日生まれ。大分県出身。

別府丘高卒業後、東洋高圧大牟田に入社。

1953年西鉄ライオンズに入団。

初年度の1953年は肩を壊したで3勝4負に終わった。

1954年オープン戦にて、川崎徳次の投げる速くて手元で曲がるシュートの当たりにし、独自で研究し高速シュートを習得。決め球ができたことで急成長を遂げ、同年はリーグ最多の65試合に登板し25勝12敗、防御率1.99の好成績を残し、チームリーグ優勝に貢献。

1955年、21勝9敗、防御率2.35と2年連続で20勝を達成し連覇に貢献、225奪三振最多奪三振タイトルを獲得。

1956年高校後輩である稲尾和久とともに投手を支え、18勝12敗、防御率2.54の成績を残し、西鉄パ・リーグ3連覇、初の日本一に貢献した。

1957年には17勝、1958年には14勝と5年連続で二桁勝利を達成。

しかし、1959年先発登板の数が大幅に減少。シーズンオフに大幅に減俸された事を機に移籍を志願し、広島カープへ移籍した。

移籍2年1961年先発として7勝を挙げたが、翌年以降勝ちから遠ざかり、1963年、現役を引退

引退後は古巣の西鉄をはじめ、南海ホークスオリックス・ブルーウェーブ投手コーチを務め、東尾修加藤初加藤伸一山内和宏などを導した。

また、コーチを務めていない時期は解説者として活動していた。

2005年2月16日、呼吸不全のため死去。享年71歳。

人物・エピソード

サイドスロー気味のフォームから打者の内に切れ込む高速シュートを強気に投げ込む強心臓右腕。

コーチ時代は鉄拳制裁も辞さないコーチとして知られ、厳しい導で多数の投手を大成させている。

シュートには絶対の自信を持っていたため、打者が上手くヒットを放った際には拍手を送ったこともある。

大下弘に気に入られ、大下に下宿させてもらい通し麻雀をしていたという。

通算成績

投手成績

通算:14年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 414 37 15 113 83 --- --- .577 1660.0 580 1016 603 505 2.74

主な獲得タイトル・記録

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