1873年(明治6年)11月4日生、1939年(昭和14年)9月7日没。享年65。
概要
石川県金沢市出身。本名は鏡太郎。父親は加賀藩にお仕えの彫金職人。
幼少期に母を亡くす。母の死後に松任の摩耶夫人像に参拝し、以後生涯にわたって摩耶夫人を信仰する。
学校は北陸英和学校に進学するが、金沢専門学校(後の旧制第四高等学校)の受験を志し中退、しかし受験には失敗した。
その後、自身が読んだ尾崎紅葉に衝撃を受け、文学を志し、尾崎の門下生となった。
処女作は1893年の『冠弥左衛門』で、同作は新聞にて連載をしていたが、評価は芳しいものではなかった。
翌年に父が逝去したため金沢に帰郷、以後は金沢で執筆活動をする。
1900年には『高野聖』を発表、1907年にやまと新聞にて『婦系図』を連載開始、1910年には『歌行燈』を発表した。
関連項目
- 4
- 0pt