津山事件単語

ツヤマジケン
未成年の閲覧注意

この記事には、実際にあった怖い出来事が記されています、
グロテスクな部分もあるため、うっかり見るとトラウマになる可性があります。

心臓の弱い方、怖いものが苦手な方は注意しましょう。

津山事件とは、1938年(昭和13年)5月20日から21日にかけて起こった、大量殺人事件である。

別名として津山30人殺し、犯人の名前をとった都井睦雄事件という表記もある。横溝正史の代表的な推理小説・八つ墓村はこの事件をモデルとしている。

概要

岡山県西加茂村大字行重、現在津山市加茂町行重における、尾・坂元の両集落に跨って発生した。

2014年現在において起こった大量殺人事件において、最も多くの人が殺された(30人)事件である。日本を揺るがせた大量殺人と言えば、オウム真理教事件が記憶に新しい。これによる犠牲者は27人であるが、これは長期的かつ組織的に行われたものである。

しかし、この津山事件はたった1人の成人男性によって、2時間足らずで30人が惨殺されている。

惨劇を引き起こした犯人・都井睦雄は事件の前年、徴兵検によって結核にかかっていることが明るみに出てしまう。以前からその兆はあったものの、雄は病のことを伏せながら個人で出来る限りの手を尽くしていた。しかし、検でそれが村中に知れると、彼の扱いは変した。
特に、以前から夜這いで性的な関係を持っていた女性達に蔑ろにされるようになったことは、雄がこの事件を起こす最大の引き金になったと言われている。

事件前の準備

この事件が起こる前、阿部定事件が世間を震撼させた。この事件のことを知った雄は「いつか阿部定以上のことをやってやる」と友人に話していたという。

この大量殺人の計画は極めて念入りに練られたものだった。雄は結核用の病院に入院するための費用と偽って、借をして武器を調達し、行に備えた。
一度は祖の勘違いによって(孫が自分を殺しようとしていると騒いだ、実際は気付けだった)で警察宅捜索を受け、武器は一通り没収されたものの、再び別のルートから武装を手に入れた。
当時、集落にいた駐在は出征していたため、通報するにはどう頑っても二時間以上はかかった。雄は、殺し損ねて村から逃げ出した者が、こうして警察に事件を伝えにいくまでの時間も計算に入れていた。

5月20日雄はついに計画を実行に移した。この日(厳密には21日の深夜)を選んだのは、雄と関係を持ちながら結核を理由に拒絶し、そのまま他の村にいだ憎きが帰ってきていたからである。

雄は尾集落だけを停電させるため、電線を切って尾の送電を停止させた。村人は驚いたものの、当時はこうした突然停電日常茶飯事であり、特に気に留めなかった。むしろ「電気が止まったなら今日く寝よう」と、どのもいつもよりく就寝していたという。

集落が寝静まった頃、雄は自宅の屋根裏で用意していた装備を身につけた。革のベルトで止めた軍匕首を携え、手には猛退治用の9連発ブローニングを持った。胸には自転車用のライトをぶら下げ、頭には手拭いで作った鉢巻を撒いた。鉢巻の両端に懐中電灯が収まるように細工がしてあった。その姿たるや、正に悪のようだった。

全総重量は20キロほどと言われているが、そんな重荷をさほど苦とせず雄は事に及んでいる。

惨劇の流れ

雄は集落を歩きまわって、次々と村民を襲いかかり、次々と殺していった。以下に、襲った順で被害者の状況を記していく。()には犠牲者の累計を記していく。

  1. 最初に手にかけたのは実の祖だった。祖に明確な恨みはなかったが、事件後に一人残していくのは不憫だとして、眠る祖に手を合わせた後、で首を刎ねて即死させた。首は50cmほど先まで転がっていたという。(1名)
  2. 雄はまず隣に侵入、寝入っていたそのの妻、長男、次男を殺した。妻は首を突かれた後、口の中にを突き立てられていた息子達はめった刺しにされていた。最初にを使わなかったのは、いきなり騒ぎを大きくしないためであった。(4名)
  3. 次のでも、まずはBの妻を猟銃を撃ちぬいて殺した。大にいたからは内臓がぶちまけられていたという。に気づいて起きてきた旦那も撃ち殺され、さらに2人も容赦なく殺された。この雄によってあっという間に一家全滅させられた。(7名)
  4. 3件では、新婚だった夫妻を射殺。さらにたまたま農業の手伝いで訪れていた親戚(甥)も殺されてしまった。甥はわずかに抵抗したが、で殴られが陥没し、怯んだ隙にすぐ撃ち殺された。夫の母親は「頼むけん、こらえてつかぁさい」と命乞いし、それを聞いた雄は「ばばやん、顔をあげなされ」と一許すような格好を見せたが、気を許したが顔をあげるとすぐに猟銃で撃ちぬいた。はこれによって全治5ヶの重傷を負ったものの、命だけはなんとか助かった。この頃、悲鳴とによって村の人間を覚まし始めていた。(10名)
  5. 4件は、雄が最も憎むべき女性(このの四女)がいるだった。まず「何事か」と出てきたを射殺、その後は内妻や四女の兄弟を追い回し、容赦なく殺していった。5人もの命が奪われたものの、肝心の四女は逃げ出して隣に助けをめていた。(15名)
  6. 5件は、4件の四女が逃げ込んだため狙われた。だが、実はこのそのものに憎き人はいなかった。四女から事の次第を聞かされたこのは鍵をかけ籠の構えをとった。雄は開けるようをちらつかせながら脅し、呼びかけた。この時、の祖が様子を見ようと戸を開けて顔を出したが、その間撃ち殺された。を乱射して再三出てくるよう要したものの、四女の喉を弾がめたくらいで状況は変わらず、雄は渋々四女の殺を諦めた。(16名)
  7. 6件息子の二人暮らしだった。子は騒ぎに気づかず就寝していたが、って猟銃で撃ち殺され、一家全滅に追いやられた。(18名)
  8. 7件の内妻と養蚕業の手伝いに着ていた二人の女性が撃ち殺された。手伝いの女二人はなどをぶちまけながら死んでいたという。手伝いの女性雄には関係があり、それ故に狙われたとされる。このの祖は死を覚悟して然としていたが、雄は「お前は悪口を言わんかったからこらえてやるけん。ああ、わしが死んだらまた悪口をいうことじゃろう」と言って、殺さずに去っていったという。(21名)
  9. 8件と妻を射殺。なんとか息があったものの、搬送先の病院死亡した。騒ぎを聞きつけたこのは、このことを隣町の警察に知らせるために逃亡した。ようやくこの惨劇が外に知れる時が来たのだが、雄の計算通りそれは酷く時間のかかる往復だった。(23名)
  10. 9件、助けを呼びに行かれたその間も、雄は行を続けていた。そのであった両親と妻、そしてまだ5歳と幼かった四男を殺した。(27名)
  11. 10件雄は戸の名を呼んだ。妻が顔を出して夫に状況を伝えようとした所、撃たれてしまった。妻は息があったが、搬送先の病院12時間後に死亡した。(28名)
  12. 最後となる11件では、そのの夫妻が射殺された。ここだけは雄の住んでいた尾ではなく、隣接していた集落である坂元で起こった。こちらも一家全滅した。(30名)

惨劇の終幕

わずか2時間にも満たないうちに30人もの人間を殺した雄(厳密にはその時点では28人、2人は搬送先で死去)は、坂元の集落で知り合いだったを尋ねた。人は武装し血まみれとなった雄を見て硬直したが、彼は遺書を書くための筆とを所望し、手に入れると人を襲うことなく去っていった。去り際、知り合いだったこの子供に対し、「うんと勉強して偉くなれよ」という言葉を遺している。

雄はその後、3.5kmほど離れたまで移動し、遺書を書き始めた。既に遺書は用意されていたが、これは行に及んだ後の懺悔にも似た別の内容のものだった。遺書の中で雄は「つべきをうたず、うたいでもよいものをうった」という後悔の念もっている。つべ、とは、恐らくは4件の四女のことをしていると思われる。
雄の両親は彼が幼い頃に結核で死に、祖は自分の手にかけている。後にこの世に残っているのは親なるだけだった。幼くして両親を失った雄にとって、に近い存在であり、いで村を離れると学業を疎むようになるほど慕っていた。

遺書にはに対する懺悔をはじめ、祖を殺した理由、夜這い習の告発などがしたためられていた。遺書を書き終えた雄は、自分の心臓猟銃をあて、引き金を弾き、自らその惨劇を終結させることとなった。21歳だった。

21日の雄の遺体は発見された。彼を合わせれば死亡者は31名となる。

事件後

雄は、親戚のを襲わなかったため、村人は「事前に殺の計画を知っていたに違いない」と、雄が襲わなかった々を村八分同然の扱いをしたという。村自体も働き手を失ったり、一家全滅に追い込まれたことで労働が落ち込み、その後の生活に暗い影を落とした。

雄と祖の遺体は、が引き取ったという。町の外れにある墓地に、二人の遺体は埋葬されており、今でも現存している。
ただしおおっぴらに雄の名を記した墓石を作るにはびなかったのか、雄の墓は祖の墓の隣に拳大の石を置くだけに留められている。その前にはプラスチック製の簡素な入れが置かれているだけで、そう言われなければとても墓とわかるものではない。雄本人も「墓はいらぬ、野にくされれば本望」と遺書にっている。
は死去する1990年代後半までうどん店を経営し、元気に働いていたという。 

もっとも執拗に追われた4件の四女は、その後ぎ先に帰ったそうである。が、テレビの取材によると事件のことをずっと気にかけ、山のでひっそりと暮らしたという。現在生きていれば90歳を越えているが、その後については不明瞭である。

テレビの取材では、「犠牲者は30人と言われてるけど、自分は35人と聞いている」と、その犠牲者数がやや曖昧である。ただしこれはあくまでテレビにおける、地元住民への取材であり、しかもかなり時間が経ってからのものであるので、信憑性はやや疑わしい。

雄の事件は、19139月14日に起きた大量殺人事件、ドイツで起こったワグナー事件との類似性が摘されており、事実事件の流れは非常に酷似している(家族を殺してから村の人間を次々と殺める)。ただしワグナー事件の犯人自殺こそ企てていたが、その前に村人のリンチにあい、警察に捕縛されたことで生きたまま逮捕されている。

この事件は、単独犯かつ短期間で行われた大量殺人事件としては前代未聞であり、長期的に同一人物によって行われてきた大量殺人事件とは一線を画す事態の異常性を持つ事件だった。

現場の今

ミステリー好きがたまに尾を訪れることがあるそうだが、この事件のことは集落でもタブーとされており、面半分で行くことは遺族やそこに住む人達の気分を著しくすることとなる。

検索すると、実際に現地に赴き、取材を試みたブログを見ることが出来るが、それは著者がしっかり相手の立場や気持ちを考えたうえで摯に事件のことを聞いたからであり、そもそも理に聞きにいくようなことではないということを理解しよう。
事件当時住んでいた人は、事件のことを思い出して辛くなるとして、今はもういないとのことである。

村に点在する古い墓地には、津山事件のあった1938年5月21日が没年となっている墓石がたくさん立てられており、ここで本当に事件があったことを静かに明している。

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津山事件

81 ななしのよっしん
2019/07/19(金) 12:07:51 ID: /7lOvidR2q
>>79
イキってるところ申し訳ないがその数字通算だからな?
82 削除しました
削除しました ID: 4wH2HrZAVq
削除しました
83 ななしのよっしん
2019/07/19(金) 19:47:58 ID: RuTfRYzn/M
そんなこと競わないでいいから(良心
84 ななしのよっしん
2019/07/20(土) 00:53:39 ID: 1xw6dU3qZ+
>>79摘は >>4 の段階で突っ込まれてるんだが、直されてないのはなんなんだろう
元執筆者に聞いてみないと分からんが、なんかの本とか記事でもソースにしてそこでズレたのかもしれんな
85 ななしのよっしん
2019/07/21(日) 06:01:04 ID: s3PSStq0NT
この事件が日本史最悪の事件として永遠にられ
この記録をえることは未来永劫ずっといものだと思ったのに
まさか戦後かつ自分が生きてるうちに更新するなんて思ってもみなかった。
86 ななしのよっしん
2019/07/23(火) 02:50:12 ID: imbjvJm47F
>>7
このレスだけ読むと現代の「女憎しのプライドだけは高いただのニート偏見に塗れた解釈)」というネット上で蔓延ってるらに通じるものがあるな
87 ななしのよっしん
2019/08/03(土) 19:52:14 ID: tDza8pQSAa
悲劇的な過去がありゃ同情してくれるもいるんだから
どの悪事件にも犯人を都合よく擁護してくれる
知性が何処かにいらっしゃるんだろうな
犯人の末代まで私刑にしようとする連中もどうかと思うが
88 ななしのよっしん
2019/08/05(月) 15:02:26 ID: yJZ+8tze3I
つーか>>7読む限りだと女に生まれてれば事件起こさんで済んでたからな
同情の余地は充分にある
89 ななしのよっしん
2019/08/05(月) 15:10:01 ID: OzNhpWu2Jn
岡山の県北で殺れるなら最高や。
わしは163*90*53おっさん165*75*60や。
まみれで殺りたいやつ、至急メールくれや。
90 ななしのよっしん
2019/08/19(月) 22:31:01 ID: zDvNGLSWBP
>>89
不謹慎だからやめて、どうぞ

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