浦和高校とは、埼玉県さいたま市浦和区(旧浦和市)に存在する、または存在した3つの高校の略称である。
略称が「浦和高校」となる高校
- 埼玉県立浦和高等学校: 本稿で主に扱う。
- さいたま市立浦和高等学校: 市立中学校とともに中高一貫教育を行っている。共学。県立浦和と区別して「市立(読み:いちりつ)」とよばれる。
- 旧制浦和高等学校: 戦前の旧制高校。埼玉大学の前身のひとつ。現在跡地は北浦和公園となっている。
県立浦和高校の概要
さいたま市立高校とはご近所の関係であるが、特別仲が良いわけではない。たとえ、市立と同じ日に文化祭があって、文化祭をさぼって市立のメイド喫茶に遊びに行くことがあっても特別な関係というわけではない。
校風はかなり自由で、校則というものが存在しない。学生達は「浦高生である」という自覚の元に行動している。
「尚文昌武(文武両道と同義)」をモットーとした教育方針だが、”文”と”武”のバランスは3:7、もしくは2:8であると専らの噂である。ちなみに尚文昌武という言葉は明治期に在任した2代目の校長が作り出した造語である。もっとも、この言葉は一時廃れていたのだが戦後になってこの言葉の入った額が見つかったことから一躍校訓に近い存在へと発展を遂げている。現在でも額に入れて飾られているが、当時の書き方に倣い「武昌文尚」と右から左に書かれている。何も知らない他校の新聞部が取材に来た際に、これをそのまんま掲載してしまったのは有名な話である。
最近では高校生クイズで有名になったが、元々埼玉県内では「春には10キロ走って、夏には2キロ泳いで、秋には50km走る変な高校」「浪人率が異様に高い高校」として有名な男子校。その運動能力から「浦和体育学校」と呼ばれるほどである。
よく冗談で「女に飢えている」とか「ホモの巣窟」と言われるが、事実とは全く異なり、非常にシャイな好青年が多数在籍する近年稀に見る高校である。そもそも彼らに女にうつつを抜かす余裕もひまもない。
「まるで漫画に出てくるような学校」であると表現すると一番近いであろう。
芸能人で言えば、愛川欣也(中退)、ゴダイゴのメンバー・タケカワユキヒデの母校。アナウンサーの堀尾正明や宇宙飛行士の若田光一も浦和高校の卒業生である。
2013年11月16日、全国高校ラグビー埼玉県大会決勝で県立深谷高校を14-7で破り、54年ぶり2度目の全国大会出場を決めた。1度目は全国大会が大阪の近鉄花園ラグビー場で行われるようになる前だったので、今回が初の花園出場となる。
浦和高校の学校行事
浦和高校の学校行事は体育系と文化系に分けられる。文化系が少ないのは気のせいではない。
ちなみに、そのほとんどは学生で運営している。また、スポーツ大会・文化大会に勝利した場合、それぞれスポーツバッジと文化バッジを獲得することができる。このバッジは浦和高校の学生の憧れである。ただし、これらの大会には教員チームも参加し、一部の競技では学生を圧倒して優勝を掻っ攫うことがしばしばある。
体育系
スポーツ大会
文化系
文化大会
浦和高校の学力
この学校の学生の学力は「東日本公立高校・東大合格者数No.1(笑)」と紹介されるようなものではない。
この学校は学力に致命的な欠陥を抱えた学生達が多数在籍している。有名な宇宙戦艦の艦長の言葉を借りるなら、「バカばっか」である。
「浦和高校の学校行事」の項の通り、あまりに学校行事が多いために青春を謳歌する学生が多い。そのため、3年次の文化祭終了以降まで受験勉強をしない学生が多数いる。ニコニコ動画等で話題になるクイズ研究会はまさにその典型である。
しかし、彼らは受験希望に「東大」と書き続ける。奇跡を信じて。
そんな愛すべきバカ達が冬を越え、年を越えると受験戦士になっているあたりはこの学校の魔力であり、ちょっとしたミステリーである。もちろん、この段階で浪人が当確する者も多くいる。
読者に忘れないでいただきたいのは、「私立の東大合格者数は”当然”で受かった数であり、浦和高校の東大合格者数は”奇跡”の数である」ということである。
確かに東大への進学者数は他と比べて多いかもしれない。だが、それは浪人率6~7割という異常な数字が示すとおり、数多の起こせなかった奇跡の元に成り立っているのである。
「浦和体育学校」の由縁
体育の授業は週に4~5回あり、授業開始時間には準備運動を終えていなければならない。また、雨天時も体育の授業は当然実行される、これを「雨天決行の法則」と呼ぶ。卒業生によると、台風時も体育の授業は決行されるようである。至極当然のことではあるが。氷雨の中上記のスポーツ大会が行われることも珍しくなく、唯一の中止例は大雪のためにグラウンドが埋もれてしまった時だけという話もある。
体育の授業内容は入学してしばらく延々と走らされ、1ヶ月程すると「新入生歓迎マラソン(通称:新入生虐待マラソン)」で10kmを走らされる。最後の走者はたくさんの拍手で出迎えられる。「新入生~」とあるが、当然のように上級生も一緒に走っている。
虐待マラソンが終わると、今度は延々と泳がされ、泳げない学生も何故か泳げるようになり臨海学校を迎える。臨海学校のメインイベントは2kmの遠泳。ただの遠泳ではなく、水に顔をつけてはならない。しかも、雄々しく歌いながら泳ぐ。一色の海パン(学年ごとに赤・青・緑)に身を包んだ1学年360人が一同に泳ぐ様は「360にんのかいぱんやろうがあらわれた!」と比喩されるほどに異様であり、まだ海水浴にはやや早い(7月中旬開催、ともすると梅雨が明けてないこともしばしば)伊豆の海にやってきた観光客は、まるでモーゼが海を割るがごとく彼らに道を空けると言われている。
臨海学校が終わっても、苦難の日々は続く。再び走る。2学期に入って2ヶ月程みっちり走ったところで、浦和(埼玉県)から古河(茨城県)までの「”強”歩大会」を迎える。「歩」という文字があるが、各所にチェックポイントと制限時間が設けられており、普通に走らないと間に合わない。ちょうど台風シーズンに行われることもあり、かつては台風が直撃する中この50kmを超える距離を走る大会が粛々と実行されたこともある。「足を止めたら死ぬ」と思ったか、例年に比べて完走率が高かったそうだ。
市立浦和高校の概要
浦和市・大宮市・与野市が合併しさいたま市になったことにより、旧浦和市立高等学校が改称して誕生。
現校名に変更される前からさいたま市内の可愛い女の子が大変多く入学することから、「面接で可愛い子を引き抜いている」との噂がまことしやかにささやかれているが、真相は闇の中である。
市立だけどさいたま市外からも通える・・・はず。隣に市営野球場がある。
旧制浦和高校の概要
跡地にはささやかながら校門が残されている。さいたま市立常盤小学校内にも記念碑が建てられている。
関連項目
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