「海北綱親」(かいほう・つなちか 1510 ~ 1573)とは、海赤雨三将と称された近江国大名・浅井家三代に仕えた重臣の筆頭にして、木下秀吉をして
「綱親こそが我が兵法の師である」
と言わしめた知勇兼備の戦国武将。
なお苗字の読みは「うみきた」でも「かいほく」でもなく「かいほう」である。
海赤雨三将 |
海北綱親 |
赤尾清綱 |
雨森清貞 |
概要
近江の国人出身で、浅井家の中興の祖である浅井亮久の代から浅井家に仕え、同僚の赤尾清綱・雨森清貞と共に「海赤雨三将(浅井三将)」と称えられる中、武者奉行として各地で活躍する等、家臣団の中でも中核的な存在として浅井久政・浅井長政の代で能力を発揮して軍師的な面をもった譜代の家臣として活躍し、織田信長との戦いにおいて木下秀吉の軍を撃退し続ける知勇兼備の将っぷりを披露した。
その後は、浅井氏の居城・小谷城の落城と共に討ち死にしたとも、実はそれは同じ名前を名乗っていた息子で、本当の海北綱親はさらに40年前に死んでいた説がある。
小谷落城と共に海北氏は一族皆滅んだと思われていたが、末子が生き残り、後に江戸時代の画家・海北友松になった。
※その他「海北綱親」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
「信長の野望」シリーズでは、戦国群雄伝では、他の二人と共に近江から動けない程の政治力の低さに定評のある浅井三将だったが、軍師的な面と秀吉を撃退しつづけて「俺の戦術の師匠」とまで言わせた点を考慮してか軍事面のみサポート武将級のバランスの良い値になっている。
戦国大戦
「今、この時を戦い抜く」
Ver1.1より浅井家で参戦。海赤雨三将の共通性武力7統率6、特技1つは彼も同じ。ついでに烏帽子も同じ。彼は正直弓には微妙な気合持ち。
計略の「勇猛果敢」は範囲内の敵の武力を上げる代わりに自分の武力を上げる計略。その効果は敵部隊数が多いほど大きい。ただ武力しか上がらないのと弓はダメージに瞬発力が無いため登場当初から彼の評価は微妙であった。そのためVer1.1初期から彼だけ特に三将で影が薄い。
更に言うなら士気+1で更に槍が長くなるという追加効果の計略を持つ「真柄直隆」が同勢力にいるのも厳しい。
関連動画
補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 71 | 政治 | 32 | 魅力 | 59 | 野望 | 61 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 71 | 政治 | 41 | 魅力 | 63 | 野望 | 65 | 教養 | 69 | ||||
覇王伝 | 采配 | 75 | 戦闘 | 71 | 智謀 | 59 | 政治 | 41 | 野望 | 65 | ||||
天翔記 | 戦才 | 152(A) | 智才 | 130(B) | 政才 | 102(B) | 魅力 | 70 | 野望 | 66 | ||||
将星録 | 戦闘 | 77 | 智謀 | 73 | 政治 | 49 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 63 | 戦闘 | 70 | 智謀 | 67 | 政治 | 42 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 62 | 智謀 | 64 | 政治 | 37 | 野望 | 68 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 60 | 知略 | 69 | 政治 | 35 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 60 | 知略 | 68 | 政治 | 35 | 教養 | 59 | ||||||
革新 | 統率 | 71 | 武勇 | 65 | 知略 | 76 | 政治 | 39 | ||||||
天道 | 統率 | 76 | 武勇 | 38 | 知略 | 80 | 政治 | 58 | ||||||
創造 | 統率 | 74 | 武勇 | 48 | 知略 | 78 | 政治 | 58 |
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関連項目
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