涼月(すずつき)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデルは大日本帝国海軍に所属していた秋月型駆逐艦3番艦『涼月』。
乙型駆逐艦秋月型、その3番艦「涼月」です。艦隊防空のために生まれました
2017年11月より開催された、2017年秋イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」にて先行実装された駆逐艦娘。
2017年9月16日、公式の催しである「第4回艦これ観艦式」にて艦娘紹介の中でスクリーンにイラストを映して紹介された。
同観艦式で出演していた声優、藤田咲が担当となることを自ら発表。実装前の艦娘で担当声優、イラストレーター共に明らかとなる珍しい例となった。
2017年11月19日、上記秋イベントの後段作戦(E-4)の実装とともに、彼女はそのクリア報酬として実装された。
2020年10月現在、上記17年秋イベでの報酬艦、19年冬イベE3輸送ゲージドロップ艦、19年春イベE2[1]戦力ボスドロップ艦・20年梅雨夏イベE2戦力マスドロップ艦等[2]としてのみ入手可能であった。現在は入手不可。
容姿については、観艦式で先行公開された関係で、実装以前からpixivなどのイラストですでにかなり正確な絵が投稿されていた。
やや切れ長の目つきで、全体に表情はクールそうに見える。髪の毛は肩まで伸びた銀髪(小さなサイドアップ付き、髪留めは高射装置モチーフ)に秋月型共通の「第六十一駆逐隊」の文字が入ったペンネントを装備している、首から下は、これも秋月型共通のコルセット付きセーラー服に白のインナー、白のスカート、白のタイツ、グレーのブーツという風に、妹の初月と対照的なカラーリングである。さらに、上からグレーのジャケットを羽織っているのが特徴。
これも秋月型共通の長10cm砲ちゃんは瞳が十字形になっている。
大破すると服の大半が吹っ飛び、その胸部の駆逐艦としては規格外の膨らみがかなりあらわになってしまう。恥ずかしげにへたり込みつつ向こうをむいているが、見事な南半球がかえって強調されてしまっている。照月の「スケベボディ」のキャッチフレーズも霞みかねない。
能力については、戦後まで生き残った艦であるため、運の値は初期値27と高い。「涼月改」となるためのレベルは55と他の姉妹に比べてこれも高い(レベル55は那珂改二(48)を超え夕立改二(55)に改装できるレベル)。お迎えした提督は頑張って育てるべし。
改となった暁には、運の初期値37となる。これで夜戦カットインで大暴れ確実。なに?防空艦だからそういう使い方はしないって?耐久値・装甲・回避が高く、守りに長けた駆逐艦となっている。もちろん対空値は姉の秋月改にならぶ最強クラス。容姿面でも微妙な変化がある。額のペンネントが白くなり、文字も「第四十一駆逐隊」となる。
性格面は、そのクールそうな見かけによらず、極めてお淑やかで健気。物静かだが根はポジティブである。
長姉の秋月のことは「秋月姉さん」、妹たちのことは初月を「お初さん」と呼ぶ。2022年3月実装の冬月のことも「お冬さん」と呼んでいる。この調子だと、他の妹達も「お新さん」、「お霜さん」、「お花さん」てな具合に呼ぶのだろうか…。他の秋月型も早う!
自ら世話をする家庭菜園で採れた南瓜や芋の料理を振る舞ってくれる。夜中には芋のお茶菓子。朝食は麦飯と南瓜の煮っころがし、南瓜のお味噌汁。お昼はふかし芋。夕食は南瓜の煮っころがしとゴボウのお味噌汁、お芋の炒めもの。うん、少なくとも糖質と食物繊維とビタミン「だけは」たっぷり摂れそう…。→秋月型にたらふく食べさせ隊。
脂質とタンパク質が絶望的に不足してるのにどうしてあんな恵体に育つんだこの姉妹は…
戦闘になってはじめて、見かけどおりのクールで鋭い一面をのぞかせる。被弾した時は浸水を気にかける。そして、大破すると史実通りの艦首、艦尾の被害を報告しつつ「必ず…戻ります!」とへこたれない。
他の秋月型姉妹と同じく、第六十一駆逐隊所属を名乗るが、時報と期間限定ボイスでは冬月と共に第四十一駆逐隊を名乗っている。冬月は大切な妹で、仲間であるそうだ。初月と秋月には、提督へのお昼ごはんに用意したふかし芋の残りをあげようとするなど、非常に仲がよいと思われる。残念ながら史実でも面識がなかった照月については、触れるセリフは今のところない。もっとも、2018年のオフィシャルカレンダーに使われると予想される四姉妹揃っての水着イラストがあるため、あまり心配はなさそう。阿賀野を第十戦隊旗艦と認識し、挨拶している。第十戦隊の面々は能代を探しているようだが…。
余談として、下記の史実において坊ノ岬沖海戦時の艦長、平山敏夫中佐[3]が大の音楽好きで、レコードの曲に乗って先任将校とダンスする人物だったとのこと。ひょっとしたら将来のイベントや季節ボイス実装の暁には音楽や踊りの好きな艦娘との交流が見られるかもしれない。
さらにもう一つ。お約束ながら、コモン艦(涼風とか涼波とか、睦月型御一行様とか)と誤認しての解体や近代化改修のタネにしてしまう事故を防ぐためにも、お迎えしたら即ロックが鉄則である。あとは、育てるのは後回しにするとしても、一回は出撃するか演習に出させてレベルソートの1から外しておいてあげるとなお良いだろう。
お冬さん。もうすぐ、また夏が来ますね。え? ……あ。水着ですか? え、そっち? え?
2018年8月17日の艦これ第二期開始に併せ、涼月に限定グラフィック「水着mode」が実装された。
シースルーのショートパレオ付きビキニの上からグレーのコートを羽織っており、これまでの生真面目な顔から打って変わった笑顔に撃墜された提督が多数。絵師曰く「透け・・・いつもどおりの平常運行だな!」だそうである。
ちなみに明らかになった胸部装甲は、あの姉にしてこの妹あり、というたわわさで、「やっぱりカボチャばっかり食ってる奴は違うな」という声が多数上がったとか。
私は、涼月は、必ず帰ります。皆さんのもとに(実艦経歴)
駆逐艦「涼月」は、1941年3月15日に三菱長崎造船所で起工。1942年3月4日に進水した。竣工し、第61駆逐隊に配属されたのは1942年12月29日のこと。4番艦「初月」と同日であったが、進水は涼月の方が早く、彼女が姉になった。
配属後、涼月は初月と共に行動し、空母飛鷹・隼鷹の護衛や輸送任務などを行う。その中で、戦死した山本五十六司令長官の遺体を乗せた戦艦武蔵を内地まで護衛したこともあった。1943年中はこのような護衛・輸送任務が中心で、やや地味な艦歴を重ねることになる。
状況が一変するのは1944年。「特設巡洋艦 赤城丸」と輸送任務についた涼月は、米潜水艦の雷撃を受けて艦首と艦尾に直撃。艦首艦尾共にさらには艦橋まで失ってしまった。この修理には実に半年以上を要し、結果として艦橋が他の秋月型とは異なる角ばった形状のものとなった。これは、戦時急造のために今後建造予定の秋月型に簡略化された艦橋をつける計画が有り、そのための設計を使ったものと言われる。また、艦首もすでに冬月などの後期秋月型で採用されていた喫水線下の丸みを廃止した直線的なものになった。
10月になって、今度は台湾への輸送任務につくが、またしても米潜水艦の雷撃によって艦首を失い、11月まで修理がかかるうちにレイテ沖海戦への参戦機会を逃してしまった[4]。そして、姉の秋月と妹の初月は沈み、第61駆逐隊は解散。妹の冬月と第41駆逐隊を組むことになる。刻々と悪化する戦況の中、涼月は冬月と共に懸命に護衛任務をこなすが、米潜水艦が跋扈する中でその苛酷さは増すばかりであった。
そして運命の1945年4月7日、天一号作戦が発令され、大和を中心とする海上特攻部隊に組み入れられた涼月と冬月は、坊ノ岬沖海戦に望むことになる。
絶望的戦力差の中、必死に対空砲火を打ち上げる涼月であったが、奮闘むなしく右舷艦橋前方への爆弾直撃に1,2番砲塔は大破し動作不能におちいる。更に火災と至近弾もあっての大浸水によって事実上戦闘力を喪失してしまい、この時点でもはや目標の沖縄への突入は叶わぬ事となり、彼女の海戦は終わった。
大和は沈み、生き残った仲間である「冬月」、「雪風」、「初霜」ともはぐれ、艦前部の損傷によって前進すれば浸水→沈没の危険があるため、後進で徐々に母港を目指すしか無くなった涼月。艦橋の火災で海図も焼失し、羅針盤も破壊されてしまったので方向を見定めることすらままならない。内火艇の羅針盤を使い、地元出身でこの海に詳しい乗組員に島影の位置から方向を判断させるなどして、なんとか佐世保への帰投を目指す。
途中で米潜水艦に狙われるも、あまりにも遅い速度だったので相手が見越しを誤り、(あるいは後進状態だったので、スクリューの航跡と艦体の位置関係がずれたためか)命中せずに済んだ。途中で会った初霜にも針路を教えてもらい[5]、翌8日に遂に佐世保へ帰り着いた。先に帰っていた三隻から歓声で迎えられ、港のドックに収容されようとしたが、この時前進したために浸水が激しくなり、ドックの中で膝を折って倒れこむように着底することになった。ここでは詳しく書かないが、この生還の影で幾人もの乗組員が艦を救うために奮闘し、命を落としている。是非とも関連書籍などを読んで確かめてほしい。
その後、大破箇所に仮の補強材を当てただけの修理を施されたものの、とてもじゃないがまともな航行の出来る状態ではなかった。涼月は予備艦となり、佐世保市相浦の海岸に係留されて、残った後部砲塔を活かした浮き砲台となり、終戦を迎える。それまでに、敵の空襲時に米戦闘機を1機撃墜したことはせめてもの意地であったろうか。戦後、米軍が調査に訪れた時の写真が残っており、現役時よりもこちらの方の写真を見たことがある方が多いのではないだろうか。
1945年11月25日に除籍。1948年に上部構造物を撤去の上、妹であり戦友でもあった冬月と共に、福岡県北九州市の若松港に防波堤として艦体を利用されることになった。当初は、艦の姿がほぼ完全に見えており、内部に立ち入ったりも可能だったという。現在は、若松港の埋め立て拡張にともなって、艦体は全てコンクリートの下に埋まってしまい、その姿を見ることは出来ない。しかし、彼女がまだそこにいることは紛れもない事実であり、今日も平和な日本の海を見守り続けているのである。
現在、彼女の名を継ぐものとして、海上自衛隊のあきづき型護衛艦3番艦DD-117「すずつき」が2014年に就役。
そのニックネームはなんと、「セーラームーン」との事。
つまり、涼月はセーラー戦士だった?…中の人的にはどう考えてもプリキュアだが…。
関連動画、発見。皆さん、ご用意を
関連静画、準備!
第四十一駆逐隊
関連商品…!貴重な…すみません、提督
関連立体、抜錨いたします。お初さん、遅れないで
ほか、涼月(艦これ)に関するニコニ立体・MMDモデルを紹介してください。
関連コミュニティ、了解しました、おまかせ下さい
関連項目、涼月がお持ちします。こちらです
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 駆逐艦(艦これ)
- 秋月型姉妹
- 第六一駆逐隊
- 第四一駆逐隊
- 藤田咲 - 藤田艦隊
- しずまよしのり - しずま艦隊
- 秋月型にたらふく食べさせ隊
- 坊ノ岬組
- 艦娘たちの戦後
- あきづき型護衛艦(2代)
あきづき-てるづき-すずつき-ふゆづき - 防空埋護姫(pixiv版記事
)
2017年秋イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」新規実装艦娘 | |
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秋月型姉妹/秋月型駆逐艦 |
1.秋月 - 2.照月 - 3.涼月 - 4.初月 - 5.新月 - 6.若月 7.霜月 - 8.冬月 - 9.春月 -10.宵月 -11.夏月 (- 満月) - 12.花月 |
脚注
- *【発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」】E2ステージは大島輸送隊と坊ノ岬沖海戦をモチーフとする作戦であり、涼月も参戦している。また、当該戦力ボスマスでは護衛対象であった大和・矢矧や僚艦朝霜等もドロップした
- *他、21年春イベE1、22年冬イベE1・E5でドロップした。
- *他、水無月・白雪・秋霜・早霜駆逐艦長を歴任。戦後工作艦任務に就いた冬月の艦長にもなっている。
- *この時新しくなった艦首は、さらに簡略化と建造日数の短縮を狙った直線的なものである。松型駆逐艦の後期型である橘型駆逐艦、そして1号型海防艦で導入されたものと同様の設計が取り入れられていた。艦首舷側のフレア(反り返り)をナックルライン(折れ曲がり)に改め、他の部分も極力直線で構成された。なお、秋月型最終艦「花月」においてもこの艦首は採用されておらず、なお建造が続いていた場合のために設計されたものであろうか。いずれにしても、この艦首と艦橋の組み合わせは涼月の唯一無二の特徴となっている。
- *このエピソードはよく知られているが、実際にどの艦にいつ先導してもらったのかは精査を要する。当時の部隊の状況は帰投困難な艦は生存者を引き上げた上で撃沈処分する方針であり、「霞」、「磯風」はこれに従って沈められている。涼月とて自力で動けるとはいえ五十歩百歩であるため、僚艦に出会ったタイミングによっては同様の運命だったはずである。涼月乗組員の倉橋友二朗砲術長によれば、大和沈没間もないころ、たまたま近づいてきた艦(雪風?初霜?)に涼月の現在の方向を手旗信号で教えてもらったとのことで、この時涼月は南のあらぬ方向へ進んでいたようだ。この後、冬月を始めとした僚艦は涼月の位置を見失い、処分する機会を逃したと思われる。実際に手旗信号が通じたかどうかは疑問も残り、別の乗組員が独自の判断で通信を行った可能性もある。
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