清原元輔単語

キヨハラノモトスケ
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清原元輔(きよはらの もとすけ、908~990)とは、平安時代中期の歌人である。

概要

百人一首42番の作者で、三十六歌仙の一人。清原深養父の孫で、清少納言

生涯を通して地方官を歴任したが、祖父の深養と同様に、歌人しても高く評価された。「の五人」の一人として、万葉集研究や後撰和歌集の編纂を担った。清少納言は、の名を汚さないために、和歌を詠むのを控えたという。

平安時代を代表する説話集「今昔物語集」「宇治拾遺物語」には、彼のエピソードが残されている。賀茂祭の最中、元は落した拍子に冠が脱げてしまい、禿頭をしてしまう(当時、人前で頭髪をあらわにするのは、最大級の恥辱だった)。見物人に笑われると、元は冠も拾わずに「から落ちたら、冠だって落ちるのも当たり前だ。(中略)このような事例は過去にもあったことだから、それも知らず笑ってられるおまえ達の方が愚かだぞ」と言い聞かせた。従者が「すぐ冠を被ればいいのに」と言うと、「こんな説教でもしないと、彼らはいつまでも笑い続けるだろう」と返した。羅生門など、「今昔物語集」にはユニークエピソードが沢山残っているが、元もなかなかユーモアのある人物だったようだ。清少納言もそのセンスをしっかり受け継いでいることは、「子」でご存じの通りである。

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」は、元自身の歌ではなく、失恋した知人に頼まれて代筆した歌である(大河ドラマ平清盛」で清盛が、西行歌の代筆を頼んでいるが、当時は代作をお願いする事例もよく見られた)。ここで詠まれる末の松山とは、宮城県多賀の近くにあった歌の地で、詠み人知らずの和歌「君をおきて あだし心をば わがもたば 末の松山 波もこえなむ」を踏まえて詠んだ作品である。漫画うた恋い。」では、息子清原致信(清少納言)のために作った歌という設定になっている。

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