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渡辺久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日-)とは、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は野球解説者、野球評論家を務める。
愛称は『ナベQ』。
概要
| OB | |
|---|---|
| 渡辺久信 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 群馬県勢多郡新里村(現・桐生市) |
| 生年月日 | 1965年8月2日 |
| 身長 体重 |
185cm 95kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1983年ドラフト1位 |
| 引退 | 2001年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
前橋工業高等学校では1年夏に甲子園大会に出場して初戦敗退したきりで、残りは敗退で出場しなかった。
1983年ドラフト1位(外れ1位)で西武ライオンズに入団した。背番号は41。
西武時代
1984年(1年目)から先発ローテーション入りし、15試合の登板で1勝1敗だった。
1986年は39試合に登板し、16勝、178奪三振と活躍し、最多勝と最多奪三振のタイトルとベストナインを受賞した。
1990年は18勝で3度目の最多勝、さらに初めてゴールデングラブを受賞した。
1996年、6月11日のオリックス・ブルーウェーブ戦でノーヒットノーランを達成した。
1997年はレギュラーシーズンで0勝、日本シリーズでも中継ぎで打たれて結果を残せなかったため、戦力外通告を受けた。
ヤクルト時代
1998年はヤクルトスワローズに移籍する。背番号は21。19試合の登板で1勝5敗と結果を残せず、戦力外通告を受けた。
嘉南時代
引退後
2004年から西武二軍投手コーチに就任し、2005年からは西武の二軍監督を務める(2006年まで二軍投手コーチ兼任)。
2008年は埼玉西武ライオンズ監督に就任。就任1年目で日本一、アジア制覇を成し遂げる。
2009年はチームは4位に低迷したが、その年のドラフトでは菊池雄星を6球団競合の中、当たりくじを引き当てた。「運命を感じています」
2010年はあと少しのところで優勝を逃すも、その年のドラフトでは大石達也を昨年と同じく6球団競合の中、昨年に続き引き当てた。「信じられないです。何か、怖いです(笑)」
2011年は一時は最下位に沈むも秋に怒涛の逆襲を見せ、シーズン最終戦にて勝率1毛差でAクラスに滑りこむ下克上を演出。監督続投を決めた。7月11日のオリックス・バファローズ戦(西武ドーム)では、高宮和也の投球が中島裕之の背中に当たり、乱闘になりかけ、オリックスの山田バッテリーコーチと口喧嘩になる。これによりこの試合は警告試合となった。
2012年は前半戦で最下位に沈んだが、またしても快進撃を見せ、優勝争いをしたが、主力に故障が相次ぎ、優勝を逃した。
2013年は4月は首位に上がったが、5月から徐々に低迷。優勝を逃し監督を辞任した。
監督退任後
2013年に監督を退任した後、西武のシニアディレクターに就任した。
2017年はシニアディレクター兼編成部長に就任。2019年はゼネラルマネージャーへ異動となった。
2024年5月28日からはGMを兼ねながら、休養した松井稼頭央に代わり、シーズン終了まで監督代行を務めた。ほとんどの選手に入団に関わったがその選手たちが結果を出せておらず、新しい監督を呼ぶにしても酷でキャンプからやらせたいという考えを持っていたことから、自分が腹括ってやるしかないと考えていたと後にYouTubeで語っている。
その他
- 現役時代は150km/hを超えるストレートを放る本格派投手。最多勝のタイトルを3度獲得する活躍で西武黄金時代のローテーションを支えた。長身でスリムな体型に加えてイケメンであり女性ファンがとても多かった。
- 漫画『ドカベン』の中で山田太郎とバッテリーを組み完全試合を達成したことがある。この漫画の掲載後に現実でもノーヒットノーランを達成した。
- 涌井秀章とペアで参加した、フジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー『食わず嫌い王決定選』では石橋貴明に頭髪の事を突っ込まれる。苦手な「カボチャの煮物」を当てられてしまい勝負に負け、罰ゲームでは自ら逆立ちを披露するも失敗、微妙な空気になったところで涌井のツッコミが入り終了。
- 『寛容力』という本を出版しているからか、優しい監督というイメージがついて回るが、野球に真面目に取り組まない選手を嫌い、厳しく指導している。また、ソフトバンクの王貞治監督(当時)にも敬語で猛抗議した事のある闘将ぶりを発揮している。
- 戦国武将の武田信玄が好き(部下思いがその理由)で、反対に織田信長は嫌いである。
成績
通算投手成績
| 通算:18年 | 登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB:15年 | 389 | 277 | 277 | 17 | 125 | 110 | 27 | .532 | 2075.2 | 1888 | 259 | 883 | 49 | 1609 | 63 | 919 | 846 | 3.67 |
| TML:3年 | 78 | 不明 | 18 | 3 | 35 | 22 | 4 | .614 | 497.2 | 470 | 32 | 100 | 11 | 450 | 17 | 190 | 145 | 2.62 |
年度別監督成績
| 年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008年 | 西武 | 1位 | 144 | 76 | 64 | 4 | .543 | 日本一 |
| 2009年 | 4位 | 144 | 70 | 70 | 4 | .500 | ||
| 2010年 | 2位 | 144 | 78 | 65 | 1 | .545 | クライマックスシリーズ1stステージ敗退 | |
| 2011年 | 3位 | 144 | 68 | 67 | 9 | .504 | クライマックスシリーズファイナルステージ敗退 | |
| 2012年 | 2位 | 144 | 72 | 63 | 9 | .533 | クライマックスシリーズ1stステージ敗退 | |
| 2013年 | 2位 | 144 | 74 | 66 | 4 | .529 | クライマックスシリーズ1stステージ敗退 | |
| 2024年 | 6位 | 98 | 34 | 61 | 3 | .358 | ||
| NPB:7年 | 864 | 472 | 456 | 34 | .509 | Aクラス:5回、Bクラス:2回 | ||
タイトル・表彰・その他
| タイトル | ||
|---|---|---|
| 最多勝利 | 3回 | 1986年、1988年、1990年 |
| 最高勝率 | 1回 | 1986年 |
| 表彰 | ||
| ベストナイン | 1回 | 1986年 |
| ゴールデングラブ賞 | 1回 | 1990年 |
| 日本シリーズ優秀選手賞 | 2回 | 1990年、1991年 |
| その他 | ||
| オールスターゲーム出場 | 6回 | 1985年、1986年、1988年-1990年、1992年 |
| ノーヒットノーラン | 1回 | 1996年6月11日 |
関連動画
2009年、2人は監督としてペナントを争う事になるとはこの時はまだ想像できなかった。
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt

