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渡辺了(わたなべ・さとる 1562 ~ 1640)とは、近江出身の戦国武将である。通称の渡辺勘兵衛(わたなべ・かんべえ)としても広く知られる。

概要

の勘兵衛異名を取るの達人。そして戦国銭闘

様々な事情でを転々としつつ、得意ので武功を挙げた。特に小田原征伐での活躍は豊臣秀吉から称賛された。関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎2万石という破格の待遇で召し抱えられるが、大坂の陣での数々の問題行動からを追放され、奉構(※)を受ける。

※奉構:皆、こいつを仕官させないで! というお願い。

生涯

関ヶ原まで

近江の土として生まれる。初めは地元の閉貞征に仕えた。この頃からの腕前は評判高く、一番織田信長から称賛されたりしている。君・貞征のを妻に迎えており、が誇るエースだったのだが、色々あったのか出奔した。

続いて、織田信長の子で羽柴秀吉の養子である羽柴秀勝次丸)に仕えた。知行は2000石。本能寺の変以降の戦いでは羽軍の一人として活躍する。余談ながら、前の君・閉貞征は明智方についていたため処刑された。

しかし1586年に秀勝が若くして病死してしまったため、次は中村一氏に仕えた。知行は3000石。この時、小田原征伐の山中攻略で一番を挙げる。この時の勘兵衛の活躍には秀吉も「これは1万石の大台間違いないな!」と絶賛した。…が、肝心の契約更改では100%アップの6000石の提示に留まり「おかしい、こんな事は許されない」と自由契約を選ぶ。

その後は五奉行の一人・増田長盛に仕えた。知行は4000石。関ヶ原の戦いでは増田は西軍についており、勘兵衛は長盛の本拠・大和留守を守った。戦後敗北した長盛は易され高野山に入るのだが、留守役の勘兵衛は「長盛様からの命い限り、このを明け渡す訳にはいかない」と頑強に抵抗し続けた、というエピソードが残る。この時はわざわざ高野山の長盛に開の書状を書いてもらい、それを受け取ってようやく応じたという。

藤堂家にて

と、まあこんな感じで、戦国武将らしい魅的とも問題児とも言える性格の勘兵衛だったが、その数々の武功から勧誘のは多くかかった。しかし勘兵衛もそろそろ40歳。戦国乱世も収まりつつあり、そろそろの据え所を決めたいところである。特に亡き秀吉の1万石発言もあって、「大台(1万)に行かない理由がい。出さないと殿様が恥ずかしいと思う」等と考える日々を送っていた(※フィクションです)。

そこに、あの大和明け渡しの担当でもあった藤堂高虎から仕官の誘いがきた。提示された知行はなんと20000石。当時の今治20万石なので、1/10を勘兵衛ひとりにあてがった事になる。これには勘兵衛も納得の一発サイン。以後、臣となった。高虎も同じく近江の土の生まれで、何度も君を変えながら己の実で出世してきた人物であり、シンシーを感じていたのかもしれない。

ちなみにこれを聞いた加藤嘉明感想は「だったら200石の臣を100人雇うけどなぁ…」。

今治の普請奉行を務めるなど意外にもだけじゃない所も見せる。にお引っ越しになると、上野代に任命された。まさに2万石に相応しい待遇であり、彼もよく働いた。このままを埋めると思われた勘兵衛だったが、大坂の陣で状況は変わってくる。

大坂の陣

では長宗我部盛親と戦うも敗れ、落して負傷するわ、戦法を巡って高虎と口論になり先鋒役を解かれるわ、と散々な有様だった。

では名誉挽回の場が巡ってきた。八尾の戦いで再び長宗我部盛親と戦うことになる。この時の敵将にはかつての君・増田長盛の子である増田盛次もいた。この戦いは湿地帯が舞台で、有利な防の上には長宗我部勢が取っていたため、堂勢は大苦戦を強いられ、堂高刑(高虎の甥)や桑名吉成(元長宗我部臣)といった味方武将が次々と討死する。

ところが、この時もまた勘兵衛は戦法を巡って高虎と揉めており、苦戦する味方部隊の救援に向かう事はなかった。優勢だった長宗我部勢だが、同時に行動していた木村重成が若江の戦いで敗北した為、大坂城へと撤退する……と、勘兵衛は一転してこれをしく追撃し、300もの首級を挙げてみせた増田盛次もこの時に討死。

結果としては堂勢でほぼ一の大戦果を挙げた訳だが、実際には高虎の撤退命をガン無視しての行動だった。しかも1回や2回ではなく、7回も撤退命が出たのに追撃し続けるという暴走っぷり。このワンマン行動には高虎や臣団たちも呆れ果て、戦後戦力外通告を受けて浪人になる。

晩年

から奉構が出され、以降仕官はわず、一生を浪人として過ごした。何度か復帰の為に動くも、結局毎回交渉は決裂に終わる。それでもその武名を惜しんだ大名たちから生活の援助を受けて暮らす事は出来た。高虎は1630年に亡くなるが、その後もの奉構は解かれる事なく、大坂の陣から25年後、京都で亡くなった。79歳だった。

関連動画

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける渡辺了(渡辺勘兵衛)の力一覧。

脳筋横顔ギリヨンと三拍子そろった武将」(関連動画より)。史実通りが得意。初期のシリーズでは義理も野望も普通だったが、野望系の数値が消えた蒼天録からはギリヨンになってしまった。裏切りはしていないんだけどね……(義理が低いと加増要も増えるけど)。創造の必要忠値も11とやや高め。

軍事 内政
戦国群雄伝(S2) 戦闘 65 政治 57 52 野望 43
武将風雲 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 82 戦闘 84 智謀 27 政治 10 野望 20
天翔記 戦才 162(A) 智才 116(B) 政才 42(C) 70 野望 41
将星 戦闘 90 智謀 63 政治 22
烈風 采配 31 戦闘 82 智謀 54 政治 11
世記 采配 74 智謀 49 政治 9 野望 58
蒼天録 統率 74 知略 44 政治 5
下創世 統率 72 知略 41 政治 5 教養 19
革新 統率 60 武勇 86 知略 46 政治 6
統率 60 武勇 86 知略 46 政治 6
創造 統率 60 武勇 81 知略 50 政治 20
大志 統率 59 武勇 80 知略 64 内政 27 外政 33

 

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渡辺了

1 ななしのよっしん
2018/08/15(水) 15:55:24 ID: ew/4qcT0bf
後藤又兵衛やこの人の奉構に対して大名の狭量を責めるような文書をたまに見かけるが、数万石も与えた重臣が自分の情報を持って他大名に仕える危険性を理解していないとしか思えない
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2 ななしのよっしん
2018/08/31(金) 18:40:18 ID: QyApr6f0hy
先代からいた又兵衛はともかく、了はわざわざ新参で召し抱えたからなあ
そういう理由だったのならいきなりそういう新参の渡奉をそんな重要ポジションにおいたのは軽率だったね
高虎自身が低い身分から出世したから中に人材が少なかったのかもしれんが
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3 ななしのよっしん
2019/04/27(土) 10:46:50 ID: uyNe2QIidn
了は高虎に仕える前に実績があったからなあ
増田長盛に仕えて重用されていたし、何でもこなせる万武将だったのではなかろうか
で他の臣とトラブったわけでもないし、高虎が大名俸給で雇用したってことは、了は社交的で同僚や部下の間では人望を得るタイプ中のまとめ役としても優秀だったのでは
そんな男が君の方針には異を唱えてしかも成果を挙げてしまい君の面子を潰したとしたら
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4 ななしのよっしん
2019/05/05(日) 23:39:44 ID: HQKlEYfISg
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それっぽっちを危険て言うなら世の中奉構えだらけのはずやん
つか大阪の陣でもう戦の世も終わってるのに何を頓
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5 ななしのよっしん
2020/06/10(水) 05:41:57 ID: bXXX6FrEwW
一門衆でない新参は、身の落ち着けどきが難しいというお話
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6 ななしのよっしん
2021/06/30(水) 23:43:35 ID: ipbI1FVv00
そもそも、先の大坂冬の陣でこの人の突っぷり原因で大損出してる上で、だって突ぎみな独断専行ぶりが味方の討ち死に引き起こしてるからね
その上戦果(笑)と言った所で、他部隊のおかげで撤退してる敵を追いかけてっていう意味なものだし
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