いわゆる漢文は、古の中國の言語なり。華人これを謂て曰く「文言」と。
日本における漢文
漢字伝来とともに日本に入ってきた漢文は、たちまち日本の知識層のフォーマルな書き言葉となり、明治期までは漢文こそが教養よ!という時代が長らく続いた。
しかし漢字を共通文字としながらも、日本語と漢文との埋め難い文法的隔絶は当初より如何ともし難かった。漢文は当然ながら当時の中国語である。当時の中国人が漢文で喋っていたわけではなく、書き言葉として使用されていたのだが中国語には違いない。また漢字そのものの発音も日本人には難しく、地方や時代で随分異なる。はっきりいって多くの日本人にはそんなもんやってられないのだ。
そこで昔のインテリの人たちがゴニョゴニョして編み出したのが漢文訓読という翻訳法である。中学、高校の国語の授業で習った通り、漢文は語順を入れ替えて送り仮名を振るだけで漢文書き下し文となり、あら不思議日本語として読めちゃうのだ。勿論これは偶然などではなく、無理やり訓読したものが日本語として不自然でないほどに漢文が日本語そのものに与えた影響が大であることを示している。
とりえあず漢文訓読によって漢文を読むだけならハードルは下がった。それでは例を使って元の漢文から書き下し文に至る過程を見てみよう。
白文
オリジナル、真正の漢文。
句読点や空白もなくただひたすら漢字が並ぶ。これが本当の白文である。文章には句読点があって当然と考えているゆとり現代人(現代の中国人含む)にはとても読み辛く、一見して素人お断りの雰囲気を醸し出している。
歴史的には 「白文を読める=教養がある」 というのが本来のところであるが、現代日本ではこれをスラスラ読解できる人はそうそういない。
夫佛本夷狄之人與中國言語不通衣服殊制口不言先王之法言身不服先王之法服不知君臣之義父子之情假如其身至今尚在奉其國命來朝京師陛下容而接之不過宣政一見禮賓一設賜衣一襲衛而出之於境不令惑衆也況其身死已久枯朽之骨凶穢之餘豈宜令入宮禁
句点文
白文に句読点などを加え、文章の区切りを明確にした漢文。(句点文とはここで便宜上つけた名称であり、特に名前は決まっていない)
中等教育(中学及び高校の課程)における漢文ではこれを指して白文ということが殆どである。文章の区切りが明らかなため上述の真正白文と比べると遥かにビギナー仕様。
この状態の漢文を出版したものを中国では標点本という。
夫佛本夷狄之人、與中國言語不通、衣服殊制、口不言先王之法言、身不服先王之法服、不知君臣之義、父子之情。假如其身至今尚在、奉其國命、來朝京師、陛下容而接之、不過宣政一見、禮賓一設、賜衣一襲、衛而出之於境、不令惑衆也。況其身死已久、枯朽之骨、凶穢之餘、豈宜令入宮禁。
訓点文
句点文に加えて、レ点(かりがねてん)や一二点が追加され機械的に書き下し文の語順に変換可能な状態の漢文。
元の文章にもよるが白文をこの状態にまで持ってくるのは簡単なことではない。国語の教科書に例文として載っているのは大体これ。この時点で送り仮名をふっている場合もある。
夫佛本夷狄之人、與ニ中國一言語不レ通、衣服殊レ制、口不レ言ニ先王之法言一、身不レ服ニ先王之法服一、不レ知ニ君臣之義、父子之情一。假如其身至レ今尚在、奉ニ其國命一、來-ニ朝京師一、陛下容而接レ之、不レ過下宣政一見、禮賓一設、賜ニ衣一襲一、衛而出中之於境上、不レ令レ惑レ衆也。況其身死已久、枯朽之骨、凶穢之餘、豈宜レ令レ入ニ宮禁一。
書き下し文
訓点に従い語順を入れ替え、漢字に送り仮名をふった状態の文。これは漢文の日本語訳であると同時に日本古文の一種となる。
訓点文から書き下し文への変換は上述までの工程に比べれば非常に容易い。
漢文書き下し文の文体を漢文訓読体と呼び、その文章は雅なる平安古文とは違った、非常にハッタリの効いた独特の味わいを持つ。
夫れ佛は本は夷狄の人なり。中國と言語通ぜず、衣服制を異にし、口に先王の法言を言わず、身に先王の法服を服せず、君臣の義、父子の情を知らず。たとひ其の身今に至るまで尚在りて、其の國命を奉じ、京師に來朝すとも、陛下容れて之を接するに、宣政に一見して、禮賓に一設し、衣一襲を賜ひ、衛って之を境に出すに過ぎずして、衆を惑はしめざるなり。況んや其の身は死して已に久し、枯朽の骨、凶穢の餘、豈宜しく宮禁に入らしむべけんや。
現代語訳
書き下し文にしてもまだ文意を掴むことができない、漢籍、古文の素養に欠けた我々現代人のために用意されたファーストフード。
大体さー、仏(釈迦)は野蛮な外人でしょ?中国とは言葉も違うし、着てるものも違うし、先王が決めた礼法の言辞も言わないし、先王の制定した服も着ないし、カレー臭いし、君臣の義、父子の情ってものも判ってないっすよ。
もし本人が今もまだ生きていて、彼の国の王の命令で都(長安)に来たとしましょう。陛下(唐の憲宗帝)は彼を受け入れて接待するでしょうよ。宣政殿(そういう名前の建物。執務庁舎。)で一度会い、礼賓殿(そういう名前の建物。宴会場。)で一席設け、服の一揃いでもプレゼントしたあと、護衛をつけて国境まで送り出すくらいが関の山ですよね。彼を拝んで民衆を惑わすようなことはなさらないでしょう。
ましてや彼はとっくの昔に死んでいるのです。その朽ちた骨、穢れた残りカスなんかをどうして宮中に入れていいわけがありましょうか。いいやない。
ちなみに例文は韓愈という唐代の政治家の文章「論佛骨表」の一部である。前後には仏教を信じると早死するとか、信じるのはアホだけとか過激なことが書かれている。
彼は儒教大好き仏教大嫌いであった。時の皇帝憲宗は仏教に傾倒し仏の骨を有難がる始末。ゆえに韓愈は皇帝を諌めるためにこの文章を上奏した。空気を読まず。
危うく死刑になりかけた。
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