無宗教 (Irreligion) とは、特定の宗教を信仰しない立場のことである。
概要
無宗教という語は文脈によって意味合いを異にする。純粋に何らかの宗教組織に属さないことをさす場合もあるが、時に無神論と同じ意味で使われることもある。
日本人は自身を仏教徒であるか無宗教であると認識していることが多い (神道家・神道信者と自認している人は少ない)。
分類
無宗教の立場を大きくわけると次のようになる。
1.特定の宗教に属さない
○○教といった特定の宗教の教徒であるというステータスが無い者は、自身を無宗教であると自覚しているかも知れない。教会や寺院といった特定の場所に通うことが無く、何らかの教典 (新約聖書やコーランに類するもの) を読むことも無い。宗教に無関心であるとも言えるが、特定の宗教を信仰する必要の無い環境にあるとも言える。
無宗教でも神様を信じる
このタイプの無宗教の者は、普段は宗教に意識・関心が無いが、決して神の存在自体は否定してない。例えば特定の教団に属していない者であっても、窮地に立たされた時に「こんなときに神様が助けてくれれば」と思い浮かべることがある。
逆に、八百万の神の存在を信じる者の中で自ら「私は神道信者です」と名乗り出る者は少ない。また、占いや精霊を信じるということも、超自然的なものに対する信仰と考え得るが、信じている者に宗教の意識は無い。
2.宗教に懐疑的
教団や教会等の制度や、教義・教典といったものに対して疑問を抱く者も、自身を無宗教とする。科学等による理詰めを拠り所とし、神や精霊といった超自然的なものによる効果・関与・介入といったものにも否定的であることが多い。ただし神の存在そのものについては否定しない者もいる。
3.結果的に無宗教
世俗主義者、自然主義者、共産主義者等は、その主張の内容のため必然的に無宗教となる。2.のように宗教そのものを積極的に否定せずとも、自身の信奉を貫く結果、宗教とは相容れない行動になることが多い。
日本人と無宗教
日本人は自らを無宗教者とみなすものが多く、国際社会においては中国と並んで二大無宗教国家である。
信仰を一切信じないと公言しても周囲に煙たがられることはなく、それどころか宗教を信じていると言う方が「危ない人」と扱われる事のほうが多いのは世界でも少数派であり、世界(特にアラブ圏)では無宗教を公言すると露骨に差別されるような国もあり、そういう意味で日本は無宗教者にとってはある意味で楽園である。
一方で、宗教的習慣などは生活において身近になっており、年末年始には信仰する宗教がコロコロ変わると揶揄されることもある(普段から無宗教であるが、12月24日にキリスト教徒になったかと思えば大晦日に仏教徒になり、新年また神道に戻る、しかしすぐに無宗教者になっていく)
また、本人の意としないところで先祖の墓の禅家の都合から統計上仏教徒と扱われている場合もあり、また各統計をそのまま信じるならば、日本人に最も多いのは仏教神道の両刀使いということになる。
しかしながら、それは統計上の話であり、実際の信仰においてはやはり日本が無宗教大国なのは疑いようがない。
日本がここまで無宗教になっていった原因としては、元々の宗教観の機薄さもさることながらオウム真理教事件から9・11同時多発テロによるイスラムのテロとキリスト教徒との戦争やその他カルト宗教に対する報道などから宗教そのものに対するイメージが決定的に悪化し、「非科学的な宗教を信じるのは頭の悪い人や心の弱い人がすること」という認識が広まったためというのが定説である。
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