無能な働き者とは、いつからか割と有名になった「組織論」「名言」である。
伝言ゲーム式に伝えられているので細かい言い回しは結構バリエーションがあるが、だいたいこんな感じで広まっている。
軍人は4つのタイプに分類される。
有能な働き者は参謀に向いている。
無能な働き者は銃殺するしかない。
そして、多くの場合はドイツの軍人「ハンス・フォン・ゼークト」の唱えた組織論だと説明されていることが多い。
だけど、原文(と思われるもの)とは結構異なっているうえに、実際にはゼークトの言葉ではないようだ。
流布
なんとなく説得力があるっぽい内容であるため、日本でも軍オタ(軍事オタク)の間では割と古くから言及されており、小林源文の漫画「第2次朝鮮戦争 ユギオⅡ」でもゼークトの名言として言及されている。また、経営・人材管理ハウツー本などで「従業員・部下はこう扱え!」とばかりに紹介されていた。
インターネットが普及した後にはさらに流布していくことになった。その際は先述の小林源文の漫画が引用される事が多い。なお日本以外のドイツ語圏や英語圏でも結構広まっているようだ。
キャラクター類型などにもよく合致し、創作作品などで「有能だが怠け者で、部下にうまく仕事を任せて自分は働きたがらない智将」や「無能な働き者で、司令官の器ではない愚将」的なキャラクターが登場する作品は結構見かける。だからこそオタ界隈で広まったのかもしれないが。
ネットロアとして
インターネット上では専ら「無能な働き者」部分にフォーカスをあてて引き合いに出される。しかし後述の通りこの言葉は
- ゼークトの言葉ではなく別人の言葉である可能性が高く、
- その「別人」として有力な候補は居るが本人の著作が出典として示されているわけでもなく、
- それより前の時代の軍人の言葉として紹介されることすらあり、
- 要するに誰がオリジナルなのか明らかではない
というかなりモヤッとしたものである。そもそも流布されている内容自体も原文からは改変されている。一種のコピペや都市伝説の類と思った方が良いだろう。
通用されている意味としては「無能な味方は有能な敵より恐ろしい」「地獄への道は善意で舗装されている」などといった言い回しと同義。
「頑張ってやったこと、善意に基づいて行われたこと」は結果がどうあれ無条件で尊いものと扱われがちだが、それを否定し、行動には思慮が伴うべき、さもなくば何もしないほうが被害がでないぶんマシ、といった類の主旨で用いられる。(思慮分別のない迷惑な努力・善行の例としては、天災を被災した直後の被災地に大量の千羽鶴を送りつけたりとか)
単なる「悪口」と切って捨てることは簡単だが、同義の言い回しやこれを想起させるフィクション上のシチュエーションが多数存在することと、つい「あるある」と頷いてしまいがちな諸人の苦い実体験などなどがあいまって、根底的には「自分もついやってしまいそうな失敗」への恐れと戒めがあると言える。
出典
インターネット上の集合知の代表である「Wikipedia」での動向を見てみると、こういった言葉の出典の確かさについては割と把握できるかもしれない。実はWikipediaには出典があやふやなままの記事も結構多いが。
ゼークト
というわけでWikipedia日本語版の「ハンス・フォン・ゼークト」の記事を見てみよう。すると、現在の版(2016年3月26日閲覧)ではこの「組織論」については全く何も触れられていない。だが過去にはそのゼークトの記事に、この「組織論」について確かに掲載されていた。
2006年3月に最初にこの記事に「組織論」について追記され、半年ほどは特に注釈もないままにゼークトの言葉として掲載されていた。この時期にこのゼークトのWikipedia記事を見て「ふーん、ゼークトの言葉なのか」と信じ込んだ人々も居たかもしれない。
その後は「ゼークトの著作にはこんな言葉は出てこないよ」という注意書きが追記されたり、「独自研究」テンプレートが貼り付けられたりと紆余曲折があったようだが、ついに2014年9月にこの「組織論」は撤去されてしまい、2018年6月13日現在は『都市伝説としての「ゼークトの組織論」』という項目となり下記のハマーシュタインの記事へのリンクが貼られている。ゼークトの言葉であるという確かな出典が示されることは終ぞ無かったようだ。
ハマーシュタイン
ではゼークトでないなら誰の名言だったのかと言うと、同じドイツの軍人「クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト」の言葉だという説がWikipedia日本語版の彼の記事の現在の版(2016年3月26日閲覧)に掲載されている。
また、Wikipediaドイツ語版の彼の記事の現在の版(2016年3月26日閲覧)にも該当する部分が出典書籍名付きで記載されている。よって、このハマーシュタイン(ハンマーシュタイン)の発言であるという説が現在のところ最も有力とみてよいようだ。ただし、そのドイツ語版Wikipediaで出典として付けられている書籍もハマーシュタイン本人の著作ではないようなので確実性については微妙かもしれないが……。
なお、そのWikipediaドイツ語版記事での表記を引用すると、
Ich unterscheide vier Arten. Es gibt kluge, fleißige, dumme und faule Offiziere. Meist treffen zwei Eigenschaften zusammen. Die einen sind klug und fleißig, die müssen in den Generalstab. Die nächsten sind dumm und faul; sie machen in jeder Armee 90 % aus und sind für Routineaufgaben geeignet. Wer klug ist und gleichzeitig faul, qualifiziert sich für die höchsten Führungsaufgaben, denn er bringt die geistige Klarheit und die Nervenstärke für schwere Entscheidungen mit. Hüten muss man sich vor dem, der gleichzeitig dumm und fleißig ist; dem darf man keine Verantwortung übertragen, denn er wird immer nur Unheil anrichten.
とある。これを和訳すると
私は(将校を)4種類に分類する。賢明な者、勤勉な者、愚鈍な者、怠惰な者である。ほとんどの将校はこのうちの2つの属性を併せ持つ。
一部の者は賢明かつ勤勉であり、参謀本部におくべきである。
次に愚鈍かつ怠惰な者――彼らはすべての軍人の90%を成すが――ルーチンワークに適している。
賢明であり同時に怠惰な者は最高管理責任者に適任だ。重要な決断に必要な、明晰な頭脳と図太さを持つ。
気を付けるべきは、愚鈍であると同時に勤勉でもある者だ。責任ある立場に就かせるべきではない。常に損害を引き起こすことしか行わないからである。
となる。
このニコニコ大百科記事の記事の冒頭で述べた「連絡将校か下級兵士」だの「銃殺」だのと言った言葉は見当たらず、そういった余分な枝葉がどこでどのように派生したものかは謎である。
また、「kluge」は「有能」というより「賢明」といった感じ、「dumme」は「無能」というより「愚鈍」と言った感じであり、方向性が似てはいるが結構意味が異なる。
大モルトケ
だが、ヘルムート・フォン・モルトケ(大モルトケ、ロリコン)の言葉だとしてよく似た言葉を紹介しているドイツ語サイトもあったりする。例えばこのサイトなど。同サイトから引用すると、
Ist jemand faul und dumm, dann wird nichts aus ihm. Ist jemand dumm und fleißig, dann muß man ihn von allen wichtigen Aufgaben fernhalten. Ist jemand faul und klug, dann ist er geeignet für die höchsten Positionen.
これを和訳すると
怠惰で愚鈍な者は何の役にも立たない。勤勉で愚鈍な者は重要な仕事からは遠ざけなくてはならない。怠惰で賢明な者は最も上の地位に適している。
となる。
このサイトも含めて、「モルトケの言葉だ」とするサイトでは出典を明らかにしていないところがほとんどのようであり、単なる怪しい一説の域は過ぎない。
しかし大モルトケはハマーシュタインより以前の時代のドイツ軍人であるため、確かにハマーシュタインの上記の言葉が大モルトケの言葉を下敷きにした可能性は皆無とも言えない。
関連する概念
- ハンロンの剃刀 - 「無能で説明できることに悪意を見出してはならない」という警句である。無能な働き者が、その所業を悪意のためにやっていると仮定しても、大抵は徒労に終わるだけである。彼らはよかれと思ってやっているのだ。
- 無自覚な荒らし - 彼らは働き者であり、無能である。彼らはその場所を良くするためにあらゆる労力を費やすが、自分が原因で荒れていることに決して気付かないのである。
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関連項目
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