熊谷龍一(くまがい りゅういち)とは、フリーアナウンサーである。ボイスワークス所属。愛称・ニックネームはクマー。
概要
小学3年から高校3年までは野球部でプレー。早稲田大学在学中は学内サークル「東京レパーズ」でオーストラリアンフットボールをプレーし、2002年には第1回インターナショナルカップ日本代表にも選出された。大学ではギョニキこと加藤暁、ゆうちゃんこと節丸裕一の後輩にあたるが、アナウンス研究会には所属していなかった。
2004年春、郷里の隣県の鹿児島放送(KKB)にアナウンサーとして入社。テレビ朝日系列では新人アナウンサー研修の一環として、恒例の「甲子園センバツ研修」(春の選抜高校野球大会での実地による実況研修)を行っているが、ここで壁にぶち当たり「この先やっていけるのかと不安になった」という。しかし研鑽を重ねて技術を磨きあげ、翌2005年11月には「第4回ANNアナウンサー賞」の奨励賞(高校野球実況部門)を受賞した。
2008年3月末を以ってKKBを退社し、フリーに転向。現在は首都圏を拠点にフリーアナウンサーとして活躍している。
ニコニコ生放送でのクマー
ニコニコ生放送では2012年シーズンから、プロ野球チャンネル・横浜DeNAベイスターズ主催試合(映像はTBS・東通・横浜DeNA制作の共同映像、音声はニコニコ制作)で実況を担当している。放送開始時の「皆さんを横浜スタジアムへご案内致します」や「快晴の港町横浜」などといった宮崎出身者特有の牧歌的な情景描写や、程良いコメント拾いで定評がある。また宮崎出身とあって九州・沖縄8県のアマチュア野球にも精通しており、前掲8県出身者が出場した際にはアマ時代の球歴を伝えてくれる。
ニコ生ではこの他、2015年シーズンから放送しているパ・リーグ5球団ディレイ中継のうち、埼玉西武ライオンズ主催試合(映像・音声ともテレビ朝日・埼玉西武制作の放送用映像)などで実況・リポーターを担当している。
2014年9月「クマー大遅刻事件」
2014年9月17日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)の担当はクマー。
横浜スタジアムに来る前、西武ドームで取材を済ませてから横浜に向かったクマーだったが、JRの人身事故に巻き込まれた。横浜駅までは何とか辿り着いたものの、根岸線はまだ運転見合わせ中。横浜駅からハマスタへは根岸線だけでなく、市営地下鉄ブルーラインやみなとみらい線、路線バスなど他の交通手段もあったものの、クマーは何故かタクシー待ちの列に並んでしまい、ハマスタに着いた時には既に5回表。二死の場面でようやくブースに到着したクマーは息を切らせながら、ただただ平謝りだった。
2015年5月「新潟軟禁実況」
2015年5月9日・5月10日の対読売ジャイアンツ戦(ハードオフ新潟)の担当はクマー。
HARD OFF ECOスタジアム新潟には1層席の最上段に記者席と放送ブースが完備されている。ところがこの2日間、ニコ生には前掲のブースではなく、何故かフィールドが全く見えない部屋が宛がわれた。クマーはその「密室」で、モニター越しの試合映像とコメントモニターだけを頼りに「軟禁実況」を強いられる羽目になった。
初日・5月9日は9回表に追い付かれ同点となり、延長に突入。10回のマウンドには2番手・山﨑康晃が上がった。場内に出囃子が流れる中、リスナーに「クマーは歌わないの?」とそそのかされたクマーだったが「節丸裕一アナウンサーに訴えられてしまいますので、やめておきます」と、やんわり拒否した。巨人のこの回先頭はレスリー・アンダーソン。リスナー向けに「ギョ↓ニ↑キ↑さんの名言『下息子(しもむすこ)』が打席に入っています」と、ネタを交えようと頑張ってみたクマーだったが、微妙にアクセントが違っていた上に読み方も間違えていた。これに関しては後日、ギョニキ自らTwitterでツッコんでいる。
なおクマーはこの初日の放送終了後、SHOWROOM実況担当のイッシと、新潟市中央区中心部の歓楽街・古町通あたりで「熱い夜」を過ごしたそうである。
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関連項目
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