熊谷龍一単語

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クマガイリュウイチ
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熊谷龍一(くまがい りゅういち)とは、フリーアナウンサーである。ボイスワークス所属。称・ニックネームクマー

概要

1979年7月2日生まれ、宮崎県出身。

小学3年から高校3年までは野球部でプレー早稲田大学在学中は学内サークル東京パーズ」でオーストラリアフットボールプレーし、2002年には第1回インターナショナルカップ日本代表にも選出された。大学ではギョニキこと加藤暁ゆうちゃんこと節丸裕一後輩にあたるが、アナウンス研究会には所属していなかった。

2004年、郷里の隣県の鹿児島放送KKB)にアナウンサーとして入社。テレビ朝日系列では新人アナウンサー研修の一環として、恒例の「甲子園センバツ研修」(の選抜高校野球大会での実地による実況研修)を行っているが、ここでにぶち当たり「この先やっていけるのかと不安になった」という。しかし研鑽を重ねて技術を磨きあげ、翌2005年11月には「第4回ANNアナウンサー賞」の奨励賞(高校野球実況部門)を受賞した。

2008年3月末を以ってKKBを退社し、フリーに転向。現在首都圏を拠点にフリーアナウンサーとして活躍している。

ニコニコ生放送でのクマー

ニコニコ生放送では2012年シーズンから、プロ野球チャンネル横浜DeNAベイスターズ催試合(映像TBS・東通・横浜DeNA制作の共同映像、音ニコニコ制作)で実況を担当している。放送開始時の「皆さんを横浜スタジアムへご案内致します」や「快晴の港町横浜」などといった宮崎出身者特有の牧歌的な情描写や、程良いコメント拾いで定評がある。また宮崎出身とあって九州沖縄8県のアマチュア野球にも精通しており、前掲8県出身者が出場した際にはアマ時代の球歴を伝えてくれる。

ニコ生ではこの他、2015年シーズンから放送しているパ・リーグ5球団ディレイ中継のうち、埼玉西武ライオンズ催試合(映像・音ともテレビ朝日埼玉西武制作の放送用映像)などで実況リポーターを担当している。

2014年9月「クマー大遅刻事件」

2014年9月17日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)の担当はクマー

横浜スタジアムに来る前、西武ドームで取材を済ませてから横浜に向かったクマーだったが、JR人身事故に巻き込まれた。横浜駅までは何とか辿り着いたものの、根岸線はまだ運転見合わせ中。横浜駅からハマスタへは根岸線だけでなく、地下鉄ブルーラインみなとみらい線路線バスなど他の交通手段もあったものの、クマーは何故かタクシー待ちの列に並んでしまい、ハマスタに着いた時には既に5回表。二死の場面でようやくブースに到着したクマーは息を切らせながら、ただただ謝りだった。

2015年5月「新潟軟禁実況」

2015年5月9日5月10日の対読売ジャイアンツ戦(ハードオフ新潟)の担当はクマー

HARD OFF ECOスタジアム新潟には1層席の最上段に記者席と放送ブースが備されている。ところがこの2日間、ニコ生には前掲のブースではなく、何故かフィールドが全く見えない部屋が宛がわれた。クマーはその「密室」で、モニター越しの試合映像コメントモニターだけを頼りに「軟禁実況」を強いられる羽になった。

初日・5月9日は9回表に追い付かれ同点となり、延長に突入。10回のマウンドには2番手・山﨑康晃が上がった。場内に出囃子が流れる中、リスナーに「クマーは歌わないの?」とそそのかされたクマーだったが「節丸裕一アナウンサーに訴えられてしまいますので、やめておきます」と、やんわり拒否した。巨人のこの回先頭はレスリー・アンダーソンリスナー向けに「ギョ↓ニ↑キ↑さんの名言『下息子しもむすこ)』が打席に入っています」と、ネタを交えようと頑ってみたクマーだったが、微妙にアクセントが違っていた上に読み方も間違えていた。これに関しては後日、ギョニキ自らTwitterでツッコんでいる。

なおクマーはこの初日の放送終了後、SHOWROOM実況担当のイッシと、新潟市中央区中心部の歓楽街・古町通あたりで「熱い」を過ごしたそうである。

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