概要
創建された時期は不明であるが、景行天皇の御代と伝えられているため西暦71年~130年頃と推測される。
三種の神器のひとつ草薙の剣(天叢雲剣)を御神体として祀る神社で、伊勢神宮に次いで格式の高い神社である。
境内は名古屋市の市街地にありながら面積約9万平方メートル(飛地境内地を合わせると約29万平方メートル)と広大で、その大部分は木々が鬱蒼と茂る森となっていることから熱田の杜と呼ばれる。森の中には巨木も多く、樹齢1000年前後のものも含まれる。
木々により日差しと都市の喧騒を遮られた静寂な境内は、あたかも日常とは別空間に迷い込んだかのような印象を訪れる者に与える。ただし、正月の初詣や夏の熱田祭りの時期には境内に出店が立ち並び、大勢の参拝客で賑わいその趣を変える。正月の初詣では毎年235万人程の参拝客が訪れている。
境内には本宮、別宮、八つの摂社、十九の末社が祀られ、土曜殿、神楽殿などの建造物、県内の神社を統括する愛知県神社庁、神職の養成機関である熱田神宮学院を擁する。境外には四つの摂社、十二の末社が祀られている。
社殿は第二次世界大戦の戦災で焼失したため、現在あるものは戦後に再建されたものである。
熱田神宮には、古くは織田信長が桶狭間の合戦に赴く際に軍勢を率いて必勝祈願に訪れ、現代では中日ドラゴンズの監督・選手らが優勝祈願に訪れている。
逸話
熱田の宮は蓬莱山の伝説があり、かつては蓬莱宮と呼ばれていた。
周辺が埋め立てられる以前、熱田の地は海に突き出した岬のようになっており、熱田の宮は海を正面にして作られていた。この熱田の宮を海から見て左、そこに名古屋城とその城下町が位置していたことから、名古屋及び名古屋城は別名・蓬左と言われた。
徳川美術館の横に、徳川家康から尾張徳川家が引き継いだ文献を収めた蓬左文庫があり、それはここに由来する。
蓬莱の名は今尚、近隣の店・蓬莱軒(あつた蓬来軒)や、愛知県の地酒・蓬莱泉などに息づいている。
創祀
景行天皇から東征を命じられた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、伊勢に立ち寄った際に倭姫命(やまとひめのみこと)から当時伊勢神宮に祀られていた神剣天叢雲剣[1]を授けられ、東国を平定した後、尾張にて尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘である宮簀媛命(みやすひめのみこと)[2]を娶り后とする。
日本武尊は草薙の剣(=天叢雲剣)を宮簀媛命に預け、伊吹山の神を素手で打ち倒すべく出立するがその途上に能煩野で薨去する。
その後、宮簀媛命が草薙の剣を祀り、建立したのが熱田神宮の創祀であるとされる。[3]
御神体
三種の神器のひとつ草薙神剣(くさなぎみつるぎ)(※草薙の剣、天叢雲剣とも)を御神体としている。
祭神・相殿神
祭神
相殿神
- 天照大神(あまてらすおおかみ)
皇室の祖神とされ、広大な神徳と慈しみを日本国民にあまねく授ける大神。 - 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
天照大神の弟神。八岐大蛇を退治して得た神剣天叢雲剣を天照大神に献上した。 - 日本武尊(やまとたけるのみこと)
九州から東国まで平定した英雄神。尾張国造の娘である宮簀媛命を妃とした。 - 宮簀媛命(みやすひめのみこと)
尾張国造・乎止與命(おとよのみこと)の娘で日本武尊の妃。尊亡き後神剣を熱田の地に祀ったのが熱田神宮の創祀。 - 建稲種命(たけいなだねのみこと)
乎止與命の御子で宮簀媛命の兄。尾張地方繁栄の礎を築いた神。日本武尊に従い東国の平定に赴きその途上で亡くなる。
歴史
- 113年(景行天皇43年) 日本武尊が伊勢の国の能褒野にて薨去。草薙神剣を熱田の地に祀る。
- 686年(朱鳥元年) 草薙神剣が熱田に還る。
- 907年(延喜7年) 延喜式名神大社に列せられる。
- 1560年(永禄3年) 織田信長が土塀を奉納(信長塀)。
- 1868年(明治元年) 神宮号を賜り、熱田神社から熱田神宮となる。
- 1878年(明治11年) 明治天皇御参拝。
- 1893年(明治26年) 遷宮。社殿を神明造に改修。
- 1916年(大正5年) 大正天皇御参拝。
- 1935年(昭和10年) 遷宮。
- 1945年(昭和20年) 第二次世界大戦の名古屋大空襲で被災。社殿を焼失。
- 1946年(昭和21年) 昭和天皇御参拝。
- 1955年(昭和55年) 遷宮。社殿再建。
- 2005年(平成17年) 天皇皇后両陛下御参拝。
- 2007年(平成19年) 本殿を改修。
- 2009年(平成21年) 造営竣功。遷座祭を開催。
主な祭典・神事
日付 | 祭礼[場所] | 内容 |
---|---|---|
1月元日 | 歳旦祭[本宮] | 熱田神宮の初詣。「この年がよき年であるように」と祈る祝詞が奏上される。 |
1月3日 | 元始祭[本宮] | 年の初めにあたり、皇室・国家の繁栄を祈る祭典。 |
1月5日 | 初えびす[上知我麻神社] | 商売繁盛・家内安全・漁業豊漁を祈る祭り。 |
1月7日 | 世様神事(よだめししんじ)[大幸田神社] | 斎甕(いみがめ)の封を解きその年の豊凶を占う農業神事。 |
1月11日 | 踏歌神事(とうかしんじ) [本宮、別宮、影向間社、大幸田神社] |
舞と歌曲により大地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈る。 |
1月12日 | 封水世様神事(ふうすいよだめししんじ) [東宝殿、神楽殿] |
翌年の世様神事(よだめししんじ)に用いる甕(かめ)に清水を封じる神事。。 |
1月15日 | 歩射神事(ほしゃしんじ) [本宮・神楽殿前庭] |
豊年と除災とを祈る神事で俗に「御的(おまとう)」とも言われる。6人の神職による射手が計36本の矢を奉射する。大的の千木には魔除けの効果があり、神事の後は参拝者に配られる奪い合われる。 |
2月21日 | 紀元祭[本宮] | 第一代神武天皇が即位された皇紀元年(紀元前660)2月11日を祝う祭典。 |
3月17日 | 祈年祭[本宮・別宮を含む境内外の全ての神社] | 神宮を挙げて五穀豊穣と産業繁栄を祈る祭り。秋の新嘗祭と合わせて重要な農業行事。 |
3月17日 | 御田神社祈年祭[御田神社] | 五穀豊穣と産業繁栄を祈るお祭り。※御田神社のみ午後に行われる。 |
3月最終日曜日 | 氷上姉子神社太々神楽 [氷上姉子神社] |
里神楽の奉納。氷上姉子神社は宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀る神社で、大和武尊の亡き後草薙の剣を祀っていたが、これを還して創祀したのが熱田神宮と言われている。 |
4月3日 | 幼児成育祈願祭 [高座結御子神社] |
子育ての神にご加護を祈る祭事。高座結御子神社には、神様に15才まで「子預け」して無事成育を願う信仰がある。 |
5月1日 | 舞楽神事 | 神楽殿前庭に朱塗の高舞台を設け終日舞楽を奉奏する平安時代より伝わる神事。 |
5月4日 | 酔笑人神事(えようどしんじ) [影向間社、神楽殿、別宮、清雪] |
御神体の草薙神剣が当神宮に還った故事を今に伝える神事。境内の灯を消し、影向間社、神楽殿前、別宮前、清雪門前の四ヶ所で悦びを込めて高笑いをする珍しい神事。 |
5月5日 | 神輿渡御神事(しんよとぎょしんじ)[本宮] | 草薙神剣が当神宮に還った故事にゆかりのある神事。王朝絵巻さながらの装束で神輿を中心にした行列が、本宮から鎮皇門跡の西門まで進む。 |
5月6日 | 氷上姉子神社頭人祭 [氷上姉子神社] |
熱田神宮の頭人が鷹の絵馬を供え、参列者には粽が配られる。昔は鷹狩の獲物をお供えしていた。 |
5月8日 | 豊年祭(別名:花のとう)[本宮、西楽所] | 畠所、田所に豊作を占い御神徳に感謝する。西楽所に造られた畠と田を模した飾り物の出来具合により農家の人々が自ら今年の作柄を占う。 |
5月9日 | 熱田講社春季大祭 [本宮] |
全国の崇敬者で組織された熱田講の議員が祭典に参列し、熱田神宮への感謝と産業家業の繁栄を祈る。 |
5月13日 | 御衣祭[本宮] | 神様に衣料を奉り、衣更えをしていただくお祭り。 |
5月31日 | 高座結御子神社例祭宵宮祭 [高座結御子神社] |
「高座の井戸のぞき」として信仰される高座結御子神社の例祭の宵祭り。 |
6月5日 | 熱田まつり(尚武祭) | 天皇陛下のお遣いである勅使が参向される、熱田神宮で最も重要で荘厳な祭り。神宮公園から約1000発の花火が打ち上がる。 |
※上記の祭典・神事の記述は公式サイトを参考にしています。実際に訪れる方は公式サイトの予定を確認してください。
境内及び周辺施設
- 熱田神宮会館
境内に構える結婚式場。地元民にとっては『森は生きてる』のCMでお馴染み。 - くさなぎ広場
南神池周辺の庭園を改修した憩いの場。売店では参拝記念品やきよめ餅などの名古屋銘菓を揃えている。 - 宮きしめん
こちらも地元民には馴染み深いきしめん屋。あつた祭りや初詣の時には大変混雑する。 - きよめ餅総本家
きよめ餅や藤団子といった熱田銘菓を揃える定番の和菓子屋。参拝後のお土産に。 - μPRAT(ミュープラット)神宮前
最寄り駅の名鉄神宮前駅直結の商業施設。パレマルシェや飲食店、医療機関などが立ち並ぶ。 - あつたnagAya
名鉄神宮前駅すぐに新設された商業施設。飲食施設が数多く並び、ポップアップストアも併設されている。
他にも現在門前町の再開発が予定されており、老朽化が進んでいる熱田神宮商店街の建て替えが行われる模様。更なる集客と活気の増加を狙っている。
アクセス
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *古事記などでは草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草薙御剣(くさなぎのみつるぎ)、日本書紀では天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と伝えられる神剣。現在は熱田神宮と皇居の宮中賢所に安置されているが、ひとつは本物でもうひとつは形代(模造)、あるいは両方とも模造で本物は源平合戦の際に壇ノ浦の戦いで海中に沈んだ、あるいは壇ノ浦の戦いで沈んだものが模造で現存するものが本物であるなど諸説ある)
- *他に宮簀媛、美夜受比売とも伝えられる
- *日本武尊の没後に景行天皇が草薙の剣を祀って草薙神社(静岡県静岡市清水区草薙)を建立し、草薙の剣はその後に熱田神宮に移されたとも伝えられる。
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