片山右京とは、日本のレースドライバー、自転車競技選手、登山家である。
概要
1963年生まれで、神奈川県相模原市出身。幼少の頃より自転車や登山を楽しんでいた。
中学、高校は陸上部に所属し、長距離レースにエントリーしていた。しかし高校在学中にバイクによる転倒事故を起こし、大学進学を断念した。
モータースポーツの道へ
その後、モータースポーツに興味を持ち、1983年にFJ1600(現在のスーパーFJ)筑波シリーズに参戦、そのままチャンピオンを獲得する。翌年には鈴鹿シリーズに参戦し、ここでもチャンピオンを手にする。
1985年に全日本F3選手権に参戦するが、同じ時期にフランスに渡り、ウィンフィールド・レーシングスクールに入学する。首席で卒業したが、すでにプロとして参戦していたためにスカラシップは受けられなかった(代わりに受けたのが、元F1ドライバーのエリック・コマス)。
1986年にフォーミュラ・ルノーに参戦、翌年にはフランスF3に参戦する。ここでの怖いもの知らずの走りっぷりから「カミカゼ・ウキョウ」というニックネームが付けられた。また、参戦中にクラッシュによる重傷を負ったものの、治療費を取られることを危惧して病院から何度も逃げだそうとした。
1988年には帰国し、全日本F3000選手権に参戦。1991年にはシリーズチャンピオンを獲得した。
F1
1992年に、ベンチュリ・ラルースからF1デビューした。F3000チャンピオンであったものの、参戦には日本たばこのスポンサードが大きく関わっていた。
1993年にはティレルに移籍。彼が所属していた間はヤマハがエンジン供給していた。この年は戦闘力不足で入賞できなかったものの、翌年の1994年には戦闘力のあるティレル・022によって予選5位、決勝5位、5ポイント獲得の最高成績を得た。
このとき、シューマッハがドライバーズチャンピオンを獲得したベネトン(現:ロータス・ルノーGP) からのオファーがあったものの、同チームにスポンサードしていた日本たばこから待ったがかかったことなどで、移籍には至らなかった。
1995年には携帯電話メーカーのノキアがメインスポンサーになるなどさらなる活躍が期待されたものの、一転して低迷、入賞すらできなくなる。翌年もポイントを獲得することはできなかった。
1997年にはミナルディに移籍するも、戦闘力はさらに低下。結局二度と入賞することは叶わず、F1を引退した。
F1後
1998年、1999年、2003年とル・マン24時間レースに参戦。1999年にはTS020を駆って2位表彰台に立った。
2000~2002年にはトヨタで全日本GT選手権(現:SUPER GT)に参戦、選手権外であったものの、セパンでのレースで優勝を果たした。
2002年にはTeam UKYOを設立、若いレースドライバーの育成に努めている。2011年にはグッドスマイルレーシングとタッグを組み、スポーティングディレクターに就任、同チームはBMW Z4でSUPER GTに参戦、GT300クラスで3勝を挙げ、チームタイトルを獲得した。片山がスタッフとして参加した中で初めてのチャンピオン獲得でもあった。
テレビではF1の解説のほか、レースドライバーとして様々な番組にも出演している。地上波でF1を観戦している方にはお馴染みであろう。
登山家として
F1引退後から本格的な登山家としての活動を始めた。これまでキリマンジャロ、チョー・オユー、マナスルの登頂に成功しているが、エベレストにはあと100mのところで断念している。
2009年12月に、練習のために富士山に登山していた最中に遭難。本人は自力で下山したものの、同行していた2名を死に至らしめてしまった。遺族からの活動再開の了承を得たものの、その後は本格的な登山活動は行っていない。
自転車選手として
登山とともに幼少から趣味としてた自転車競技にも参加。選手として活動する傍ら、女子チームの監督も務めている。
その縁か、BS-TBSにて2011年10月から放送されている旅番組「自転車つれづれ旅日和」のパーソナリティを務めている。
関連動画
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関連コミュニティ
関連項目
- エリック・コマス(レーシングスクールの同期で、F1、全日本GT選手権でライバルとなる)
- ミハエル・シューマッハ(F1時代に交友関係があった。全日本F3000でも1戦だけ対戦している)
- 川井一仁(F1の現役時代からの親友。「右京チャン」と呼ぶ程)
- グッドスマイルレーシング
- F1世界選手権
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