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片岡治大(かたおか やすゆき、1983年2月17日-)とは、千葉県出身のプロ野球選手(二塁手)である。2018年から読売ジャイアンツのコーチを務める。
本名「片岡保幸」。2005年から2012年までの登録名は「片岡易之」。
概要
読売ジャイアンツ #102 三軍野手総合コーチ |
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片岡治大 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県千葉市花見川区 |
生年月日 | 1983年2月17日 |
身長 体重 |
176cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2004年ドラフト3位 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
本名は保幸(怪我が多かったので登録名を改名した)。守備は主に内野で、二塁手(たまに遊撃手)につくことが多い。
2001年に東京ガスに就職したが、怪我が多かったため、登録名を「片岡易之」とした。この時の同期には読売ジャイアンツでチームメイトになる内海哲也がいた。
西武時代
2006年からレギュラーに定着し、2007年に盗塁王を獲得。
2008年からは1番打者に定着し、自己最多の139試合に出場。栗山巧と共に最多安打のタイトルを、50盗塁で2年連続の盗塁王を獲得し、優勝に貢献。日本シリーズでは5盗塁を決め、特に第7戦ではギャンブルスタートで逆転日本一へのきっかけとなった。
2009年WBCの日本代表に選出された。1位タイの4盗塁を決め、日本の世界一に貢献。その後のレギュラーシーズンでも51盗塁を決め、3年連続の盗塁王を獲得。
2010年も4年連続で盗塁王を獲得したが、負傷のためクライマックスシリーズには出場できなかった。
2011年は両肩の脱臼に悩まされ、86試合に終わる。1番に栗山、2番に原拓也が定着していたこともあり、9番も担った。10月に左肩を手術し、クライマックスシリーズには出場しなかった。
2012年も故障に悩まされ、スタメン定着後では最低の52試合に終わり、盗塁も8回に対し、盗塁死は7回だった。
2013年、登録名を「片岡治大」に変更。故障に悩まされたが、後半戦に復帰。2008年以来のクライマックスシリーズにも出場した。オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号は原辰徳監督がつけていた8。
巨人時代
2014年は126試合に出場し、2008年以来の優勝を経験。しかし打率は.252だった。
2015年は4月16日の横浜DeNAベイスターズ戦で通算300盗塁を達成した。打率は去年を下回ったが、2010年以来の二桁本塁打を達成。
2016年はルイス・クルーズが二塁手のレギュラーに定着したのと故障に悩まされ、32試合の出場に留まった。
2017年は右脚の負傷のため、三軍で調整。一軍の出場がないまま、10月1日に現役引退を表明した。
引退後
2018年から巨人の二軍内野守備走塁コーチを務める。2021年からは三軍野手総合コーチ。
プレースタイル
積極的なバッティングといぶし銀のようなバント等の小技を合わせ持つ引き出しの多い選手だった。
しかし、打撃以上に走塁が素晴しいため走塁のスペシャリストとして紹介されたことも・・・イチロー評はピノ。
走塁技術
50m走6秒3と、プロ野球選手で速い方ではない片岡が4年連続(2007年~2010年)の盗塁王なのは、研鑽された技術と思い切りの良さ、相反しやすい2つの要素が両立しているからである。
その技術はWBCのチームメイト、イチローも高く評価しておりお互いの走塁技術について語り合いながら練習していた。
日本シリーズ最終戦で逆転の足がかりとなったノーヒットでの得点(片岡死球→盗塁→バント→前進守備を掻い潜っての得点)はロースコアの試合での大きな武器。
2009WBCでは4盗塁でアメリカのジミー・ロリンズと並びWBC盗塁王と世界一に貢献した。
2009年5月14日のオリックス戦では自身初のランニングホームランを決めた。
片岡式本塁打
片岡でよくネタとされるのが、2009年のシーズンオフでの「盗塁は本塁打と同じくらい価値がある」という発言である。本来の意味は、盗塁王の価値は本塁打王と同じくらいの価値で評価してほしい(この年片岡は盗塁王を獲得している)というものだったのだが、盗塁数を本塁打数に加えたものを本塁打数として評価してほしいという意味にとることもでき、またそのほうがネタとなって面白いことから、盗塁数と本塁打数を合わせた数のことを片岡式本塁打ということがある。
人物
- 3人兄弟の末っ子で2人の兄も野球選手、兄と同じ高校に入った時から「片岡3兄弟」と呼ばれていた。
特に兄・片岡昭吾は第78回都市対抗で久慈賞を獲ったこともあるJR東日本4番で社会人野球の名選手であった。 - 内海哲也曰く、素の片岡の性格は非常にシャイで表での振舞いは本来の性格ではない。
- ファンサービスに積極的で、お立ち台でのヒーローインダビューではファンを楽しませる為のパフォーマンスを毎回、趣向を変えてやっているが、内海はそんな片岡を「見ていられない」と評した。2010年、2年ぶりとなるスパイダーマンのマスクをかぶってお立ち台に参上した。
- 西武時代には、中島裕之とディー・ブラウンのロックスターパフォーマンスにさりげなく混ざったり、中村剛也を迎え入れる時にも積極的に絡む様子がテレビによく映し出された。
- 逆にハメを外しすぎたのが2009年広島東洋カープとのセ・パ交流戦で、12回裏・無死満塁サヨナラのチャンスですでに勝利を確信した格好(ジャミラ)でベンチにいて、後続が打てず引き分けに終わり涙目になった事もある。
- 西武でチームメイトだったおかわり君(中村剛也)と仲がよく、七夕の短冊に「おかわり君と仲良しでいられますように」と書いてあった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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西武 | 応援歌のピコカキコ一覧 #53 | 8601 | |
西武(チャンス時) | 応援歌のピコカキコ一覧 #525 | 9999 | |
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧 #935 | 11682 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
所 属 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2005年 | 西武 | 81 | 219 | 194 | 29 | 51 | 10 | 0 | 4 | 16 | 6 | 14 | 1 | 9 | 1 | 21 | 1 | .263 | .298 |
2006年 | 115 | 468 | 404 | 57 | 118 | 21 | 4 | 4 | 44 | 28 | 33 | 3 | 24 | 4 | 42 | 4 | .292 | .336 | |
2007年 | 116 | 486 | 422 | 40 | 108 | 19 | 2 | 3 | 34 | 38 | 35 | 6 | 17 | 6 | 51 | 7 | .256 | .290 | |
2008年 | 139 | 634 | 582 | 85 | 167 | 25 | 6 | 4 | 46 | 50 | 19 | 2 | 24 | 7 | 57 | 11 | .287 | .322 | |
2009年 | 139 | 646 | 588 | 92 | 153 | 32 | 4 | 13 | 58 | 51 | 12 | 3 | 36 | 7 | 72 | 8 | .260 | .309 | |
2010年 | 137 | 643 | 576 | 100 | 170 | 31 | 5 | 13 | 54 | 59 | 14 | 5 | 43 | 5 | 72 | 9 | .295 | .347 | |
2011年 | 86 | 364 | 326 | 43 | 75 | 8 | 2 | 1 | 18 | 22 | 8 | 0 | 26 | 4 | 51 | 3 | .230 | .295 | |
2012年 | 52 | 231 | 204 | 26 | 46 | 6 | 1 | 2 | 19 | 8 | 7 | 4 | 15 | 1 | 30 | 6 | .225 | .277 | |
2013年 | 72 | 300 | 259 | 41 | 75 | 5 | 0 | 4 | 28 | 9 | 15 | 0 | 24 | 2 | 35 | 4 | .290 | .354 | |
2014年 | 巨人 | 126 | 484 | 429 | 54 | 108 | 16 | 2 | 6 | 32 | 24 | 23 | 0 | 29 | 3 | 51 | 14 | .252 | .304 |
2015年 | 113 | 441 | 348 | 42 | 85 | 13 | 1 | 10 | 36 | 21 | 36 | 0 | 25 | 2 | 36 | 7 | .244 | .299 | |
2016年 | 32 | 93 | 81 | 10 | 18 | 3 | 0 | 2 | 4 | 4 | 6 | 0 | 6 | 0 | 8 | 2 | .222 | .276 | |
NPB:12年 | 1208 | 4979 | 4413 | 619 | 1174 | 189 | 27 | 66 | 389 | 320 | 222 | 24 | 278 | 42 | 526 | 76 | .266 | .314 |
タイトル・表彰
タイトル | ||
---|---|---|
盗塁王 | 4回 | 2007年-2010年 |
最多安打 | 1回 | 2008年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 1回 | 2008年(二塁手) |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2010年第2戦 |
記録
初出場 | 2005年3月26日 | 対オリックス・バファローズ1回戦 | インボイスSEIBUドーム |
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初安打 | 2005年3月29日 | 対北海道日本ハムファイターズ2回戦 MICHEALから | 札幌ドーム |
初本塁打 初打点 |
2005年5月1日 | 対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦 一場靖弘から | インボイスSEIBUドーム |
初盗塁 | 2005年5月17日 | 対阪神タイガース1回戦 福原忍から | 西京極球場 |
200盗塁 | 2010年6月10日 | 対阪神タイガース4回戦 下柳剛から | 西武ドーム |
250盗塁 | 2011年7月5日 | 対福岡ソフトバンクホークス7回戦 D.J.ホールトンから |
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関連項目
外部リンク
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