片岡鶴太郎(1954年12月21日~)とは、東京都荒川区出身のタレント・俳優・画家・プロボクサーである。本名は荻野繁雄。
概要
子供の頃から芸人を志して、1964年10歳の時にフジテレビの素人参加番組に出演をするが、当時番組ADで後に『笑っていいとも!』のプロデューサーとなる横澤彪と出会う。高校時代には演劇部に所属をし3年の時には部長となる。
高校卒業を俳優を目指していたが挫折。1973年に声帯模写の芸人・片岡鶴八に弟子入りをし芸を磨くが、途中で師匠が死去をし、1976年には大阪でコメディアン・隼ジュンの元で付き人となり、隼が得意のトランポリン芸を学ぶが危機感を持ち2年で脱退をする。その後は知人のつてで、道後温泉にある劇団に入団をしモノマネ芸を磨く。鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘と半年後に上京、結婚した。夫人との間には三人の子供を設けている。
1978年24歳の時に実質的なテレビデビューを果たし横澤彪とも再会をする。芸名も片岡鶴太郎でデビューをするがこの時は漫才ブームには乗れ無かったが、大ヒットを飛ばしたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』では近藤真彦のモノマネで脚光を集めて、モノマネ芸人として人気を博す。また当時の芸風は体当たり芸が多く、「熱々おでんを食べる」や「最後のオチで全裸になる」と言ったリアクション芸は後輩の芸人でもあるダチョウ倶楽部や井手らっきょに影響を与えた。人気が定着をして以後は、老けキャラのモノマネの芸風となる。
1980年代半ば頃まではコンスタントにシングルを出していたが、『ひょうきん族』で共演をしていた明石家さんまよりも歌は上手かったがヒットはしなかった。なのでよく「何でヒットをしないのだろう?」とぼやいていたこともある。
1985年頃から俳優としての仕事が多くなり、シリアスな演技をこなせる名優としても名高く、1988年以後には軸足を俳優に移すが、『笑っていいとも!』にゲスト出演をする時は芸人としての顔に戻ることもある。代表作にはフジテレビ系のドラマ『季節はずれの海岸物語』シリーズでの主役・高村圭介役やテレビ朝日系列の時代劇『八丁堀の七人』での主演・仏田八兵衛役があり、その他にも主演や脇役でも重要なポジションを担当をする役が多い。
1988年にプロボクサーテストを受験。受験資格が29歳までで、当時33歳だった片岡は日本ボクシングコミッションに頼み込んで、「合格しても試合には出場できない」という条件を勝ち取り合格。ライセンス取得以後はプロボクサーのマネージャーとして顔を持つ。
1989年頃から絵画に興味を持ち、絵画や陶芸に没頭をしていく。群馬県と福島県に美術館、石川県と佐賀県に工藝館を持っている。主演のドラマ『八丁堀の七人』でのタイトル題字も担当。
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