物々交換とは、物どうしを交換することである。
概要
例えばみかんが欲しいりんご農家と、りんごが欲しいみかん農家がいれば、りんごとみかんを交換することで両方の欲しいものを手に入れることができる。
交換するものは相手が欲しいものになるので、貨幣に換算したときに同じ値段にならなくてもよい。昔話「わらしべ長者」のように物々交換を続けることで、わら1本をみかん、反物、馬、そして大量の小判にしてしまうことも理論上は可能である。
単に物々交換といっても
など形は様々である。
文化人類学・経済学での物々交換
ある人とある人の間でものをやり取りすること、またはその背景にある仕組みや考え方のことを「互酬」や「互酬性」と呼ぶ。物々交換は互酬に含まれるが、互酬は物々交換よりも広い概念である。
儀礼的な性質をもつ互酬の場合、物々交換とは呼ばれないことが多い。例えば、マリノフスキーが『西太平洋の遠洋航海者』で述べているように、パプアニューギニアの一部地域では「クラ」と呼ばれる交易がおこなわれる。これは決まった相手とのみ行うもので、取引されるものは実生活に使わない飾りである。また、クラでは値引きなどの交渉は行われない。クラは、交渉が可能な単なる物々交換と区別されている。同じように、日本での歳暮・中元へのお返しや、アメリカ先住民のポトラッチなども物々交換とは呼ばれない。
これまで長い間、貨幣経済が発達する前は、物々交換によって経済が成り立っていたと広く説明されていた(商品貨幣論)。この考え方によると、社会が複雑になってくると交換相手を見つけるのが大変になってくるので、金や銀などの共通に貴重とされる「物」を「貨幣」として扱いはじめることで貨幣経済が発達したと説明される。
しかし、1980年代以降に文化人類学の研究者から「物々交換で成立する経済があった証拠が見つからない」という指摘が出ている。この指摘は、しばしば商品貨幣論と対立する信用貨幣論・国定信用貨幣論の根拠とされている。この件については「信用貨幣論」の記事が詳しい。
なお、あくまで主張されているのは「物々交換で成り立つ経済から貨幣経済が発達した、というのは誤りである」ということであって、「物々交換が社会のどこにも存在しない」というわけではない。先述したクラは、ギムワリと呼ばれる物々交換とは区別されている。つまり、クラとは別に「ギムワリ」という名前で物々交換自体は行われている。
他の人類史上の物々交換の例としては「沈黙交易」が挙げられる。指定された場所に物を置いておき、合図をして去る(または去ってからしばらく時間が経つ)と、別の人が現れて別のものと交換していく。もし不満があれば、交換せずに立ち去ることもある。一切言葉を交わさないため「沈黙交易」と呼ぶ。世界各地で見られた風習だが、顔を合わさずに物々交換をする理由はよくわかっていない。挙がっている説は「争いを避けるため」「奴隷商人に捕まるのを防ぐため」「伝染病の蔓延を防ぐため」などがある。
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関連項目
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