玄妻とは、夏王朝の頃に存在したとされる古代中国の人物である。后夔(こうき)、后羿(こうげい)、寒浞(かんさく)の妻であり、純狐(じゅんこ)と同一人物とされる。
概要
中国最古の王朝、夏王朝の時代の人物。容姿が非常に美しく、鏡として映せるほど黒々とした髪の持ち主だったと伝えられており、それが名前の由来とされる(玄=赤または黄を含む黒色)。
有仍(ゆうじょう)氏という家の生まれであり、后夔に嫁いで伯封(はくほう)という息子を設けた。しかし政治上の対立によって伯封は后羿に殺され、子孫が絶えた夔家は滅びてしまう。この時に玄妻は后羿に娶られて妻となった。
息子を殺され嫁いだ一族を滅ぼされた恨みがあった玄妻は、謀反を企んでいた后羿の家臣、寒浞と結託して后羿を謀殺した。その後は寒浞の妻となり、澆(ぎょう)と豷(えい)という二人の子を設けている。
≪春秋左氏伝≫ 昔有仍氏生女,湛黑而甚美,光可以鉴,名曰玄妻。乐正后夔取之,生伯封。实有豕心,贪婪无厌,忿类无期,谓之封豕。有穷后羿灭之,夔是以不祀。
───昔、有仍氏に娘が生まれ、髪は黒々としていて、容姿も美しく、鏡にして映せるほどだったので「玄妻」と名付けられた。楽正の后夔が妻にして伯封が生まれたが、子は豕のように貪欲で非道だった為、封豕と呼ばれた。有窮の后羿が一族を滅ぼすと夔は子孫が途絶え祀られなくなった。
別名:純狐
『楚辞・天問』で寒浞は純狐という人物を娶ったと記されており、『古史辨』で左伝(春秋左氏伝)における玄妻とは純狐のことであると記されている。
≪楚辭·天問≫ 浞娶純狐,眩妻爰謀。
───浞(寒浞)が純狐を娶ったのは愛欲に目が眩んだ為とされ、妻と共に羿を謀殺した事による。≪古史辨≫ 顧頡剛、童書業《夏史三論》雲,眩妻即《左傳》中玄妻;純狐乃黑狐,亦即玄妻。
───夏史三論によると、眩妻は即ち左伝でいう玄妻、純狐は黒狐で、やはり玄妻に他ならないだろう。
『楚辞章句』や『今本竹書紀年』では純狐を氏(共通の祖先を持つ血縁集団)つまり部族名だと取れるような記述がなされている。
≪楚辞章句≫ 言浞娶于純狐氏女,眩惑愛之。
───始めに浞(寒浞)は純狐(という氏の女性)を娶ったが、これは愛に目が眩み惑わされたためである。≪今本竹書紀年≫ 浞娶純狐氏,有子早死,其婦曰女歧,寡居。
───浞(寒浞)は純狐(という氏の人物)を娶り、子が居たが早死した。その(子の)妻は女歧という人物で、独りで暮らすことになった。
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