王朗とは、
本項では、1.について説明する。
概要
字は景興。徐州東海郡出身。生没年不明(演義では228年没)。
孫娘が司馬昭に嫁いでおり、司馬炎の曽祖父にも当たる。
会稽の太守として
儒学思想、聖人たちの教えを書いた「経書」に通じていて、若い頃から名士として評判が高かった。陶謙により推挙される。
その後、朝廷より会稽郡の太守に任命された。会稽太守となった王朗は近隣の丹楊・呉・豫章郡が混乱する中で唯一、混乱のない治世をしていた。
孫策が攻めてくると、逃亡を進言した虞翻に対し、皇帝から任された城を守るべきと抗戦を選択。戦に敗れ捕らえられたが、治世を行った事や降伏時の謙虚さが考慮され、処刑はされず解放された。
魏の重臣として
曹操に召し出されてからは、後の魏国を支えるブレーンとして働く。魏が成立した後は司空に、明帝(曹叡)の時期に司徒となった。清廉官吏で、民を考え不正を憎む人として評判が高く、特に曹丕に尊敬されていた。
劉備の死去後、諸葛亮に降伏勧告の手紙を送ったが、無視された上に『正議』と題した反論文を返された。
演義では
孫策による快進撃の踏み台にされたり、孔明に舌戦で負けて憤死など。
漫画・ゲーム等の王朗
コーエー「三国志」シリーズ
すべてよろしいですか? Y
:
:
第1番目 王朗
パカラッ パカラッ パカラッ
王朗が陶謙に捕まった!! ビビデバブー
創業未だならずして王朗ついに逝く...
王朗が独立勢力となっているシナリオがある。遠方の君主でプレイすると、呉に目を向ける頃には勢力が滅んでいる事が少なくない。逆に、王朗でプレイする場合は、配下である作品の多いエース・虞翻を引き抜かれないよう気をつけつつなるべく早めに北上したい。
ニコニコ歴史戦略ゲーでは、改造してでも会稽から始めたいor端にいるためラスボスの格好の場所であるがゆえに、王朗の存在そのものを抹消する創作があるようだ。
「三國志Ⅱ」ではシナリオ1のみ登場し、プレイヤーが操作することはできない。
ゲームを始めて一月で捕まり首を斬られるのはよくある光景。(上記および本掲示板の>>2はその一連の流れ)
関連項目
- 3
- 0pt