田淵幸一(たぶち こういち)とは、阪神タイガースなどで活躍していた元プロ野球選手である。
概要
- 1946年生まれ、東京都出身。
- 1968年ドラフト1位で阪神に入団。1969年は強肩強打の捕手として正捕手に定着。1972年には34本塁打。1973年4月26日、5月9日、10日の対巨人戦で、同一カード7打数連続ホームランという記録を作った。1975年には本塁打王を獲得。1978年オフにはトレードで西武に移籍。1980年には捕手から一塁手にコンバートし、西武史上初の40本塁打を放った。1982年、1983年にはリーグ優勝と日本一に貢献し、1984年に引退した。
- その後1990年にダイエーの監督に就任したが、成績不振で1992年に退任。2002年には古巣阪神のチーフ打撃コーチに就任。濱中治、関本健太郎を育成した。翌年2003年に、星野仙一と共に退団。2007年も北京五輪で星野の元でヘッド兼打撃コーチに就任。
- 2011年、星野が楽天の監督に就任すると、ヘッド兼打撃コーチに就任した。が、チームの打撃不振のためシーズン中に打撃コーチの任を解かれ、ヘッド専任に。翌年もヘッドコーチを務めたが、2012年限りで解任された。
- 通算400ホームラン打った選手の中で、2000本安打を達成しなかった選手である。
- 1970年には左こめかみにボールを受けてしまい、昏倒。左耳が難聴になってしまう。以降野球界には耳付きのヘルメットが使われるようになった。しかしこれに限らず、現役時代は毎年故障や病気に悩まされていた。
- 江夏豊とのコンビは、「黄金バッテリー」と呼ばれた。
- ホームラン・アーチストとも呼ばれていた。
- 1977年から連載された「がんばれ!!タブチくん!!」のモデルである。
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関連項目
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