画餅とは、慣用句。絵に描いた餅。
絵に描いた餅を見たかった人はこちらを参照⇒餅のお絵カキコ
概要
物事が現実的に役に立たないこと、計画だけで成就しないことを意味する。画餅に帰すとも。類義語は机上の空論、理想論、絵空事。
語源
三国志・魏書における曹叡の「選挙莫取有名。名如画地作餅、不可啖也」から。現代語訳すると「人を抜擢する時は評判だけで選んではならない。評判は地面に描かれた餅の絵と同じで食べることは出来ない」となる。これは曹叡が表面上の名声ばかり求めるとされる諸葛誕を非難した際の言葉であった。
現代にも通じる言葉であるが、魏晋南北朝時代における「名声」は現代のそれとは比べ物にならないほど重いことに留意する必要がある。語源における「選挙」とは当然現代における投票ではなく、九品官人法などに基づく人員登用のことを指し、選挙する者とのコネを得るには名声が絶対的に必要なモノだったのである。いわゆる「名士」「名族」階級(士大夫)がこの名声の担い手であり、彼らの評価が人事を左右。これは皇帝ですら抗うことは容易ではなかった。
統一後の晋代に至ると彼らが是とする「輿論」の尊重こそが国家安泰の鍵とされ、名声を得るために激しい権力闘争が行われる事態へと発展。八王の乱と呼ばれる内戦に至り、三国統一の遺産は灰塵に帰した。
なぜ画餅に帰してしまうのか
多くにおいて共通しているのは「理想が高すぎる」ことである。理想と言えるような高尚なものならまだ良い方で、中には目的のための目的、理想を掲げること自体の目的化、手段の目的化も多く見受けられる。
当時の技術が理想に追いつかず、後年に至って類似商品が普及した場合は「早すぎた~」と言われる。逆に技術は凄かったが、マーケティングに失敗し普及に至らなかったものもある。これはいわゆるガラパゴスと呼ばれ、日本において国際競争力の低下となって表れたとし、社会問題ともなった。
また、日本人の特性として多機能好き、高性能好きがあり、民生品の他にも軍事において負の影響を与えた事例が散見される。
絵に描いた餅
現代以前の政治
- 王安石による新法
北宋時代。宋は元来、文官中心の文治政治が取られていた。しかし、北方民族の興隆を受け、宰相の王安石が富国強兵を掲げ政治・軍事改革を断行(新法)。だが、儒教官僚や士大夫(旧法)を中心に激しい反発を招き、新法・旧法の争いへと発展。北宋は大混乱に陥り、北宋滅亡の遠因となった。 - 戊戌の変法(百日維新)
清代末期。日清戦争の敗北を受け、軍事と民力の近代化に重点を置いた洋務運動の限界が明らかになり、日本の明治維新を範とした国家全体の変革を掲げた康有為ら変法派が光緒帝の支持を得た。しかし、急速な社会変革は混乱のみを招き、特に科挙の廃止は康有為の支持母体である士大夫層の離反につながった。結果、旧臣らの支持を得た西太后のクーデターにより光緒帝は幽閉され、変法派は壊滅した。洋務運動が技術面では中国の近代化につながったことと比べると、人事のみに傾注したと言う点ではまさに画餅であった。 - 幕政改革
江戸時代、数度に渡ったが享保の改革を除くと成果は上がらなかった。現実問題として、幕府自体が巨大過ぎて改革の実効性は薄く、小手先の倹約令では実体経済に悪影響を与えるだけに終わってしまった例も多い。小回りの利く藩による藩政改革は成功も多く、雄藩と呼ばれる一足先に近代化した勢力も登場。幕末以前の改革による格差はそのまま倒幕の原動力となって行く。 - ヴァイマル共和国
第一次世界大戦によるドイツ帝国崩壊を受けて発足した体制。抵抗権と基本的人権の尊重を主とする世界最新の憲法、ヴァイマル憲法を持つことで知られる。しかし、ヴェルサイユ条約による多額の賠償金や領土削減を受け入れたため「裏切り者の政権」と言うレッテルを貼られ、国民からの支持は薄く一時的な体制に過ぎないとみなされていた(そのため、国ではなく体制と言い変えることも)。また、民主主義を掲げる共和国でありながら、実際にしのぎを削った勢力は社会主義・国家社会主義・共産主義者といずれも共和主義者ではなかった。この三者のうち、国家社会主義者が勝利を収め1933年に崩壊を迎える。「共和主義者のいない共和国」「この憲法を使って抵抗し、基本的人権を守る者がいなかった」と評され、ドイツ以外の戦後の国家作りにも教訓を与えた。
現代政治
- 生活保護(生存権)
日本においては日本国憲法第25条で保障されているはずだが、捕捉率22.9%と言う狭き門であり実質的に機能していないと言われる。また、憲法における生存権もプログラム規定(政治目標)と堕しており、直接請求は認められておらず、貧困問題の複雑化に対応出来ていないと言う批判もある。 - 民主党政権(鳩山由紀夫)
マニュフェストは死語と化し、日本では選挙におけるタブーとなった。 - 民活
これまでの官主導による国土開発計画を改め、民間主導によるリゾート開発を促した。しかし、80年代のバブル経済によりダブついた民間資金が流入。民間主導にも関わらず、銀行など「護衛船団方式」で国に守られている貸し手が乱脈融資を繰り返した。結果、バブル崩壊後の90年代になると、民活によるリゾート施設はほとんどが廃墟と化すこととなる。 - 財政健全化(緊縮)
90年代以降、日本に限らずほとんどの国が目標として掲げるが、公共事業の削減などは民間経済の発展をむしろ阻害し、増税は歳入の低下となって表れた例も多い。元来は耳障りの良い言葉ではあったが、国際関係の問題で他国から容赦なく求められるEU諸国では選挙ごとに離脱が争点となっている。
国際政治
- ヴェルサイユ体制
第一次世界大戦後、勝利した協商国側は対独懲罰主義に傾き、賠償と領土削減、軍備制限を主とした過酷な講和条約であるヴェルサイユ条約を結ばせた。しかし、英仏には現実問題としてドイツを完全に屈服させる力はなく、独ソを排除したことは戦間期の安全保障に悪影響を及ぼした。1933年、ヴェルサイユ体制打破を掲げたヒトラー政権が成立。35年には再軍備が宣言され、ヴェルサイユ体制は完全に崩壊し第二次世界大戦へとつながって行く。 - パレスチナ和平(パレスチナ国家)
パレスチナ国家を認める代わりに、イスラエルの存在を認めると言う中近東における恒常的和平。前段階としてパレスチナ自治政府の存在が認められた(オスロ合意)。しかし、うち続くテロの応酬と過激派・強硬派の政権掌握により事実上崩壊。2017年に成立したアメリカのドナルド・トランプ政権は、パレスチナ国家の存在を前提としない和平について言及しており、先行きは不透明さを増している。 - アラブの春
2010年、チュニジアでの政権崩壊が独裁政権下にあるアラブ各国に波及。チュニジアを筆頭に、エジプト、リビア、イエメンの独裁政権が崩壊し、自由・民主主義を奉じる西欧諸国からも支持を得た。しかし、ほとんどの国では民主体制への移行に失敗。シリアや元来から内戦状態にあったイラクでは、イスラーム原理主義グループISIS(イスラーム国)の台頭を招き、数百万人規模の難民を生んだ。 - 世界政府(国家統合)
戦間期は第一次世界大戦の惨禍をもとに、旧来のナショナリズムではなく既存の国家を廃した上で世界人民を創出。世界政府がその人民を統べると言う思想が流行った。しかし、皮肉なことに超国家的存在のために他国の主権を排すると言う侵略側の大義名分に使われてしまう。また、戦後も反イスラエルとアラブ国家建設の礎となるべくエジプトとシリアがアラブ連合共和国として合邦したが、三年ほどで消滅してしまった。
司法
- 司法制度改革
小泉政権下、アメリカの司法制度を元に改革が行われたが、目玉であったロースクールによって育成された大量の弁護士資格保持者が供給過剰となり、多くの若年層の人生に悪影響を及ぼした。ロースクールを出ない旧司法試験も平行して実施されたため、こちらが重宝される事態も起き、ロースクール制度の廃止もささやかれている。 - 日本国憲法(日本国憲法第9条)
日本国憲法第9条に限らず、前述の25条などの空文化が進む。ただし、憲法自体はそもそも理想が書かれていることには留意が必要ではある。実際、フランス革命以降から人権が画餅であることは日本国憲法に限らず、反体制派からは度々指摘される。 - 禁酒法
特に1920年代アメリカのホルステッド法が有名。アルコール中毒者をなくすことで国民の心身を健全化し、酒に使うお金が他の産業に流れることで経済を好転化させ、酒にまつわる犯罪組織を締め付けると言う良いことづくめのはずであった。しかし、実際は密造酒の増加で国民の心身を不健全化させ、酒税がなくなることで経済を悪化させ、酒にまつわる犯罪組織は大いに繁栄した。現在では刑法の謙抑主義(刑法毒薬論)を説明する際に用いられることが多い。
経済
- 南海泡沫事件
1720年、ブリテン王国(イギリス)で起きた投機ブームによる株価急騰と暴落事件。特殊スキームにより株価を押し上げ、その株によって更なる株を発行し利益を上げたが中途で崩壊。他の同様の虚業を行っていた会社にも影響が波及し、恐慌により経済が麻痺状態となった。言うまでもなくバブル(泡沫)の語源である。株価操作のみならず、現代にまで続くねずみ講やマルチ商法などの悪徳商法の元祖的存在もこの時代から見られた。 - 肥満税
肥満の人間に税をかける…ではなく、食品に含まれる脂肪分に応じて税をかけ、もって国民の健康増進に努めようと言うもの。しかし、全面導入されたデンマークでは、隣国ドイツへの買い出し客などを増やすのみに終わり、食品業界に打撃を与えわずか一年で廃止。国民の健康に寄与したかどうかも分からなかった。特定の食品に限りたばこ税のように課税する国は多く、国外への流出が考えにくい日本などでは効果が見込めると言う説もある。 - 計画経済(ユートピア)
主に戦間期から第二次世界大戦、戦後にかけて東欧や中国で行われた経済政策。必要なモノを必要なだけ生産する効率の良い経済政策のハズであったが、供給と需給のミスマッチはむしろ深刻化し、民生品の競争力は自由諸国と比べて右肩下がりであった。 - 大躍進
1958年より自由諸国を追い越すために中国で行われた経済計画。特に農作物を荒らすスズメを狩る→スズメが狩っていたウンカやイナゴなどの農業害虫が増加→大飢饉の発生が有名。また、工業でも地域ごとに鉄の増産枠が設けられたが、当然素人に製鉄など不可能であり、既存の鉄製品(農具まで)を融かして供出することでこれに変えた。その鋳鉄のために大量の薪を必要としたため、ほとんどの山がはげ山と化し、これも農業生産に悪影響を及ぼした。
公共事業
- 未成線
文字通りの完全なペーパープランで終わったものから、完成後に商用利用されることなく廃線となった油須原線まで様々。専門的に研究を行う鉄道ファンも多い。 - 姫路市営モノレール線
馬鹿モノレールその1。完成したが、兵庫県と鳥取県を結ぶ構想も存在したため未成線でもある。姫路博の人員輸送を目的に作られたが、土地買収に手間取り開催後の1966年5月就航。しかし、輸送距離が姫路駅から二キロメートル程度の手柄山公園までと歩いてでもたどり着ける距離であり、値段も100円(当時のラーメン一杯と同額)と高額であった。営業係数は400と言う驚愕の赤字を生み出し、わずか八年後の1974年に休止となった。姫路市最大の黒歴史となり駅舎や車両は四十年に渡って封印されたが、現在では姫路市の産業遺産として重宝され、車両や駅舎あとが保存され公開されている。 - ドリームランド線
馬鹿モノレールその2。1966年5月、大船駅と戸塚区に存在したドリームランド遊園地を結ぶモノレールとして完成したが、車両開発を行った東芝が出力不足を理由にモーターを転換。無断で車両重量を増加させてしまった上、「どうせレールや桁を作る会社が空気を読むだろう」と言う投げやりな姿勢で製品を納入。空気など読めるはずもなく、想定以上の重量負荷がかかり桁に亀裂が発生。安全性の面から67年9月に運行が休止されてしまった。裁判が長引いたことや、終結後も運行再開計画が立っては消えたため、廃墟となった駅舎やレールは観光名所にもなっていた。最終的にドリームランド自体が閉園。03年に正式に廃線となり、施設は撤去された。 - 伊勢湾干拓
伊勢湾台風後に大規模堤防を作ったが、干拓がその外で行われたため無意味になってしまった。昭和の三大馬鹿査定(残りは戦艦大和と青函トンネルだが、人により差違があり、戦後の~と変えてこれから無駄になりそうな公共事業をあてがうことも多い)の一つ。干拓事業自体も住民が集まらず、これを非難する声もある。ただし、空いている土地も多いため、火葬場やゴミ処理場などの必要(迷惑)施設が集中して作られている。 - 東京湾埋め立て計画(ネオ・トウキョウ・プラン)
機動警察パトレイバーのバビロンプロジェクトが有名だが、実際にも丹下健三や黒川紀章らが手掛けている。これら素案の中で、高速道路建設案などを請け負っていた民間シンクタンク「産業計画会議」のネオ・トウキョウ・プランがバビロンプロジェクトに一番近いのではないかと言う指摘がある。実際に海外投資者向けパンフレットも作られ、銀行家E・ロスチャイルドも目を通したと言われる。現実問題として東京の土地不足は作中舞台の90年代後半には沈静化しており、作品が作られた80年代に開始したところで画餅となったと思われる。なお、ネオ・トウキョウ・プランは田中角栄の「日本列島改造論」に影響を与えており、関係は不明だが東京湾アクアラインはこの計画の横断堤の位置とほぼ一致している。
原子力
- 核融合炉
核融合を利用した原子炉。理論的には暴走がなく核廃棄物も少なく安全であるが、プラズマや中性子の問題から実現に至っていない。発電にまでこぎ着けるには早くても2050年代と言われる。以前より22世紀の技術と揶揄されていたが、これも単なる揶揄とは言えない情勢になりつつある。 - 高速増殖炉
高速の中性子を利用してプルトニウムを増殖させる原子炉。核廃棄物の中でももっとも厄介なプルトニウムを利用できる利点があり、各国で研究が進んだ。日本においては70年代より建設計画が本格化し、80年に原型炉「もんじゅ」が着工、91年より運営を始めた。しかし、95年のナトリウム漏れ事故と事故隠しにより停止。2010年から再開したがその後も事故が続発し、11年の福島原子力発電所事故による世論の硬化もあり16年に廃炉が決定された。日本以外でもフランスを除き、ほとんどの国が高速増殖炉開発を廃止または凍結している。三人以上よっても「文殊の知恵」とはならなかった。 - 原子力商船・原子力機関車・原子力航空機
50年代から80年代前半にかけての児童書に描かれた「未来の乗り物」と定番であったが、このうち原子力船は海運の主流となると考える大人も多かった。燃費換算では採算が合う可能性もあり、60年代より各国でプロトタイプ船が造船された。しかし、日本においては貨物船「むつ」が放射線漏れ事故を起こし、母港からたたき出されて洋上に漂泊。結局、91年に原子炉と船舶としての合格証を取ったことをきっかけに運行を休止した。燃費については74年のオイルショックにより原油比では改善されていたが、大量の人員や専門家を必要とし、ハイジャックの恐れから警備体制も厳重で費用を圧迫した。最終的に成功と言えた原子力船は、高出力の機関と長期無補給航海能力を要し、保安上の問題も少ない僻地で航海するソ連(ロシア)の原子力砕氷船のみだった。 - チャリオット作戦
アメリカ・アラスカトンプソン岬において水爆実験によって人工湾を作り、そこに大規模な港を造成すると言う計画。アメリカ水爆開発の父、エドワード・テラーによる計画だがアラスカが無人の地であると言う致命的な誤認(アメリカ合衆国成立以前はもちろん、アメリカ大陸で人が最初に住んだ地である)が含まれており、エスキモーやインディアンたちネイティブ・アメリカンの民族意識に火を付け、計画は完全に頓挫した。日本のオウム真理教と並び、文系知識のない理系エリートの暴走として取り上げられることも多い。
軍事(日本)
- 航空戦艦・航空巡洋艦・航空タンカー
ミッドウェイ海戦に敗れ四隻もの空母を喪失した日本海軍が、空母不足を補うために主砲を削って既存戦艦や巡洋艦(日向・伊勢・最上)を改装したもの。新造のタンカー(速吸)にも石油の搭載能力を削った上で航空機搭載用フラットが設けられ、航空機を搭載出来るような設計を加えた。しかし、最上を除き、肝心の航空機の生産が間に合わず、搭載することはないまま終わってしまった。既に主砲に活躍の場がなかった戦艦や巡洋艦はともかく、タンカーの能力低下は補給効率の低下につながり、地味な痛手となった。 - 重雷装艦
旧式化した5500トン型巡洋艦(大井・北上)に十基四十線もの魚雷発射管を搭載した艦。昼間雷撃戦の主力として期待されたが、戦争の実相は空母と航空機であり、大規模な昼間雷撃を行う機会はほとんどなかった。結局、発射管はおろした上で高速輸送船となり、ソロモン諸島への輸送に従事。輸送艦としては活躍したが、本来の形では戦局に寄与することはなかった。ただし、仮に昼間雷撃戦の機会を得ても、酸素魚雷の初期不良により活躍出来ず、画餅に帰したのではないかと言う説もある。 - インパール作戦
昭和19年3月より開始された作戦。援蒋ルート遮断とビルマ防衛を企図しインド北東部へ積極攻勢に出たが、当初より補給の困難さが指摘されていた。そこで、牛・羊・山羊・水牛に荷駄を運ばせ、必要に応じて糧食とする案が実行された(ジンギスカン作戦)。しかし、戦列のすぐ後方で家畜を伴い行軍することに無理があり、空襲を受けたちまち多くの物資と共に逸散した。結果、第15軍(九万人)は飢餓状態となり、三万人近い戦死者を出して敗退した。 - 伏龍
昭和20年、本土決戦を企図した海軍が開発をすすめた特攻兵器。潜水具を着用した兵士が浅い海底に立って待ち構え、棒付き機雷を敵の上陸舟艇に接触させて命と引き換えに爆破すると言う兵器であった。しかし、潜水具そのものに難があり、炭酸ガスが発生しやすく数回の呼吸で失神。気泡の発生を嫌い、二酸化炭素を苛性ソーダ入りの吸収缶で除去する設計だったが、少しでも海水に触れると化学変化で高熱を発し、アルカリ性の沸騰した海水が肺を焼いた。明らかに実戦以前の問題だったが、仮に改善されたところで連絡手段が皆無のため素早い陣地変更が出来ず攻撃機会を得る可能性は皆無、たまたま頭上を舟艇が通過し攻撃に成功しても他の隊員は誘爆で戦死。そもそも、事前の爆撃や艦砲射撃で波が揺れただけで誘爆…。画餅に帰して心底良かったと言える兵器であった。
軍事(世界)
- シュリーフェン・プラン
露仏同盟により二正面作戦を強いられたドイツ軍の対仏侵攻作戦。ドイツ軍参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェンにより策定された。ロシアの動員の遅さに期待し、まず西部戦線に専念。右翼に戦力を集中しベルギーやオランダに侵攻(実際の実行に当たってオランダは避けた)。左翼を犠牲にして反時計回りに回転し、フランス軍主力を包囲殲滅。パリを占領しフランスを下したのち、全力をもって東部戦線にあたると言う遠大な作戦計画であった。しかし、1914年8月の実戦ではロシアの動員は予想より三週間ほど早く、東プロイセンを蹂躙されてしまう。また、ベルギー軍の抵抗も思いの外激しく、ロシア対策と合わせて四個軍団を引きはがされる事態に。結果、9月のパリ前面のマルヌ会戦でドイツ軍は敗北を喫し、西部戦線は膠着化。ベルギー侵犯はイギリスの参戦も招き、その後四年続く悲惨な総力戦を招いた。 - マジノ線
第一次世界大戦で最大の被害を受けたフランスが人的損害を減らすために考案し、ドイツ国境に建設された要塞群。史上最強の防備を誇っていたが、ベルギー国境にまでは政略上の問題があり延伸出来ず、結果1940年5月のドイツ軍によるアルデンヌ侵攻の前に無用の長物と化した。ただし、近年ではベルギー方面にドイツ軍を嚮導(おびき寄せること)し、侵攻方面を限定させる狙いがあったのではと言う説もあり、この説だと役割は果たしたこととなる。もっとも、ドイツ軍は第一次世界大戦と違い、機械化された軍隊となっており、静的な防御自体が無意味となっていた。むしろ、こちらの方が画餅っぷりが目立つとも言える。 - ポルシェ博士の戦車(VK4501・エレファント)
自動車業界において不朽の功績をあげたフェルディナント・ポルシェ博士だが、戦車開発では評価が低い。六十年ほど早く電気自動車技術に着目し、これによる駆動にこだわったためである。結果、機械的信頼性や生産性に欠けるこれら戦車群は戦局に寄与することはほとんどなかった(ただし、エレファントはそれなりの戦果を挙げている)。 - 駄作機たち(複座戦闘機、高高度戦闘機、双発戦闘機、大口径機関砲搭載機、高速水上機etc…)
岡部いさくの名著「世界の駄っ作機」に取り上げられた航空機たち。技術の急速の発展について行けなかった複座戦闘機、逆に技術が追い付かなかった高高度戦闘機、戦争の実態に合わなかった双発戦闘機、時代のあだ花に終わった大口径機関砲搭載機、利点のみを盲信した高速水上機など、第二次世界大戦はまさに百花繚乱であった。
商品
- 女性用立ち小便器(サニスタンド)
1930年代フランスにおいて開発された。現代から見ると突飛に思えるが、当時普及し始めたストッキングは技術的問題で伝線しやすく、用をたすために座ったりかがんだりすると使い物にならなくなることが多かった。そこで立ったまま用がたせる立ち小便器が開発されたのである。直ぐに用がたせ、体力も使わないと言う利点もありスポーツ施設や一部学校施設で導入されたが、心理的な抵抗感が大きく普及はしなかった。 - テレビ電話付き腕時計
80年代までは特撮番組・映画のマストアイテムであった。実際、開発が進められていたが、機能性では携帯電話とそれに続いたスマホが圧倒しており、逆に腕時計自体を駆逐し始めてしまった。技術は十分追い付いたが、ハードが先に寿命を迎えてしまった例。 - 空を走る車
こちらは衰えてこそいるが、現代のSF作品でもたまに見受けられる。2000年のポルノグラフィティの楽曲「ヒトリノ夜」でも「しばらく空を走る予定もなさそうさ」と歌われる状況だったが、2010年代にドローン技術と自動運転技術が急速発展。比較的、現実味を帯び始めている。 - 超音速旅客機
技術的には容易に可能。ただし、競争力はほとんどなく必要性も皆無だった。また、ソニックブームの発生と言う新たな壁にも突き当り、実用に供されたのは英仏のコンコルドのみだった。 - ジオ・プレイン
地下空間を滑空することで高速移動する交通手段。80年代後半から90年代前半には、現物のボーイング社製ジャンボジェット機が地下空間を飛ぶイラストが頻繁に学年誌などに描かれていた。ジャンボジェットはともかく、騒音を出さないことや天候に左右されないと言う利点があり、真面目な研究対象であったのだが、実現することはなく「バブル期の安いSF」として片づけられる傾向にある。 - 全自動卵割り機
テレビアニメ「サザエさん」に登場した機械。卵を設置し、レバーを引くと卵が割れると言う商品。レバーを引く必要があるため、厳密的な意味では全自動ではないが電動である。卵を割る手間が省けると言う利点が存在したが、手で割った方が早いので作中でも普及はしていない模様。なお、産業用の卵割り機は本当に実在し、こちらは毎秒十個単位で卵を割ることが可能。マヨネーズ工場など大量の卵を必要とする工場で導入されている。
ゲーム
- ファミコン初期の周辺機器
ガンコンや地面に敷いたパッドを足で踏んで操作するパワーパッドなど、現代にまで続くコンセプトを持つ機器も多かったが、ほとんどプレイ出来ないパワーグローブやロールロッカー、子供向け商品に株券や馬券の購入能力を付与したファミリートレーダー、連射機能のない連射装置スピードボードなど、ファミコンブームに乗っかっただけの製品も見受けられた。 - テレビ一体型ハード
初期のテレビゲームはこのタイプだったが、分離が進んだのちも既存のハードをテレビに融合する試みは存在した(ファミコン→C1、スーパーファミコン→SF-1)。しかし、小型テレビの割に値段が高く、普及はしなかった。旅館には在庫が安く卸された、または娯楽設備の充実化と言う利点が着目されたため少なからず導入されたと言う説があり、地方の安宿で現在でも稼働していると言う目撃情報がある。 - マリオよりも難しいアクションゲーム
85年のファミコンソフト、スーパーマリオの大ヒットにより猫も杓子も田代まさしもひたすら右に進む時代となったが、安易にマリオとの差を付けようと難易度を上げたゲームも多かった(カケフくんなど)。同時期のシューティングやのちにブームとなる格闘ゲームではこの傾向は受け入れられたが、子供向けであるアクションでこれら作品群がマリオを脅かすことはなかった。 - サテラビュー
1995年に発売された衛星データー放送を受信するためのスーパーファミコン周辺機器。ゲーム配信と言う画期的なサービスであったが、衛星通信を享受するための機器など子供が用意出来るはずもなく、次世代機の普及もあり、一年で放送規模を縮小。「空からゲームが降ってくる」がキャッチコピーだったが、わずかな期間しか降らなかった。また、放送局だったセント・ギガはもともと業務者向け環境音放送を主体とする番組内容だったが、この急な方針転換は既存のリスナーが離れるきっかけとなってしまい、03年に会社自体が消滅してしまう。 - デジキューブ
スクウェアが設立したコンビニ向けゲーム販売サービスを目的とした会社または事業。消費者はどこにでもあるコンビニでゲーム購入が、コンビニは新しい目玉商品の導入が、メーカーは新品を定価通りに消費者に購入させることで利益と中古販売業者の排除が、それぞれ可能となると言う良いことずくめのハズだった。しかし、元来博打に近く専門性が求められるゲーム販売をコンビニに求めること(原則返品は不可)自体に無理があり、徐々に収益が悪化。中古販売業者排除は進むどころか、コンビニ経営者が売れ残りを二束三文で業者に売り払う事態も起きたとされる。90年代後半からはネット販売にも押され、04年に累計で100億円を超える赤字を出して事業清算へ。
スポーツ
- 代走専門の野球選手(飯島秀雄)
足の速い陸上選手を代走に起用すれば、大きな戦力になるのでは?と言う期待を胸に、ロッテが1969年に陸上選手(飯島秀雄-アジア大会の銀メダリスト)を入団させた。しかし、スタートのタイミングを空砲の音により「耳」で判断する陸上と、投手の投球動作を「目」で見て判断する野球とでは勝手が違い、盗塁・走塁共に思ったような成果を挙げられなかった。 - バースの再来の再来
悪名高い阪神の外国人補強を揶揄する際に使われる表現。ただし、外国人選手獲得はどの球団においても博打であり、阪神が特段にハズレを引いているとも言い難い側面はある。バースが極端すぎるだけで、いわゆる暗黒期でもそれなりの成績を残した選手はいる。 - ケイマンゴルフ
ゴルフ場が作れない離島のケイマン諸島でゴルフを楽しむために開発されたゴルフ。ゴルフボールの素材に発泡性の合成樹脂を使うことで飛距離を抑えている。80年代、用地不足に悩む日本のゴルフ場開発業者が日本における導入を図った。ゴルフ場経営者からすれば用地はもちろん、施設やキャディーなどの人員も小規模で済むため利点が大きいはずだったが、利用者視点から見たゴルフの醍醐味は当然ながらボールを遠くへとかっ飛ばすロングショットなので、爽快感皆無のケイマンゴルフは「女子供のゴルフ」とみなされ敬遠された。結果、00年代は急速に淘汰されて行くことなる。同様の経緯があるサッカーのフットサルの普及とはまさに対照的であった。 - プロ柔道(国際柔道協会)
スポンサーをつけ、入場料を取った興行を主として、牛島辰熊らが昭和25年に旗揚げした柔道組織。現在の柔道の体育化、アマチュアリズムを見ると突飛に思えるが、戦前はプロ化が進んだ野球と並んで柔道も大いに人気があったため、目はあると言う見方も有力だった。また、戦後のGHQによる武道統制の影響もあり、武道ではなく教育やスポーツとして生き残りを図る講道館と、それでは食い詰めてしまう(と言うか食い詰めていた)柔道家との対立があったとされる。木村政彦・山口利夫・遠藤幸吉ら、往年の実力派柔道家を擁したが、地方興行自体は宣伝の欠如などで思わしくなく、給料の支払いも徐々に滞って行った。最終的に木村政彦らがアメリカ・ハワイの柔道組織に招致されたことを機に渡米してしまい、団体は崩壊した。この時にプロとして参加した経歴は柔道家としては致命傷となり、ほとんどの選手や役員は講道館一局体制となった柔道界において冷遇された。
ニコニコ動画
- ニコニコ遊園地
2010年4月より開始されたゲームサービス。ニコニコ動画プレイヤー上でゲームが楽しめることが売り。しかし、ほとんどの提供ゲームが既存ゲームの焼き直しであり、魅力には乏しかった。2011年1月、一年と経たずに終了。内容の他にも、ニコニコ動画の広告上では他社のゲームも扱っていたため、もともと動画とゲーム運営は背反していたのではないかと言う指摘がある。 - ニコニコ動画:Zero
2012年5月よりプレミアム会員に、7月より一般に公開されたバージョン。原点回帰を標榜していたが、「重い」「使いにくい」と不評であった。最終的にわずか五カ月で次のバージョンに移行してしまった。大百科の名記事「顧客が本当に必要だったもの」に、ITビジネスにおける失敗の典型例として取り上げられている。
餅になった絵
- 自動運転車
人の手によってではなく、機械的システムにより運行する自動車。2010年まではSF的なギミックとして扱われていたが、AI技術の急速な発達やシステム面の改善により飛躍的な進歩を遂げている。完全自動運転はいまだ実験段階ではるものの、一般車についても2014年より衝突被害軽減ブレーキなど、一部の機能の実装化が進んでいる。 - 弾丸列車→新幹線
1939年より日本と大陸間の輸送需要のひっ迫化と戦時の物資・人員輸送をにらみ、用地買収や建設が進められた。計画では対馬海峡に海底トンネルを設置し、日本のアジア進出による植民地解放後は中国~シンガポール間まで延伸させると言う遠大なものだった。しかし、1943年に戦局の悪化により建設は中止。日本の敗戦によりこのまま画餅となるはずであったが、戦後復興の進展と共に需要が拡大した国内の高速輸送の切り札として新幹線と言う形で計画が再開された。特に東海道新幹線は転用された用地が多く、このうち日本坂トンネルは完成していた施設をそのまま転用した。一方、対馬海峡トンネル(日韓トンネル)は様々な政治勢力により弄ばれ、表れては消える画餅となっている。 - Jリーグ(プロサッカー)
今となっては当たり前に存在する日本のプロサッカーリーグだが、1968年のメキシコ五輪での銅メダル獲得から紆余曲折を経て開幕までに四半世紀の時間を要した。その後うち続いたワールドカップ予選での敗退もあり、事態打開のためにはプロ化しかないと衆目は一致していたが、その成績低迷により人気が低下すると言う悪循環に陥り、広告代理店などビジネス面で捉える企業からプロ化は疑問視されていた。80年代、日本におけるワールドカップ開催がFIFAより示唆されると、それに合わせてスタジアムの建設や選手の育成が進められ90年代に実を結ぶこととなる。 - スマートフォン
20世期中盤から後半にかけて作られた21世期像はハズレも多いが、それらいい加減な想像すら超えていたのがスマホに代表される情報端末であったと言えるだろう。近未来を標榜しつつ、バカでかい電話型通信機器を携帯するかつてのSF描写はいわゆる「堅い」作品でも、その旧態依然ぶりがむしろ画餅となってしまった。
絵に描いた餅を食わせる
- パンジャンドラム
ロケット推進式の陸上機雷。1943年に連合国のヨーロッパ反攻の障害となるパ・ド・カレーのドイツ軍要塞(大西洋の壁)のコンクリート防壁を爆破するために計画されたが、英国面の申し子らしくロケットが脱落する・急に味方側に方向転換するなど馬鹿デカいネズミ花火と化した。作戦もパ・ド・カレーからノルマンディーとなったが、ドイツ軍に上陸地点をパ・ド・カレーであると誤認させるために開発が続行された。通常では非公開で行われるはずの秘密兵器の実用化試験も公開で行われ、スパイ対策も全く取られなかった。結果、ドイツ軍は上陸後もパ・ド・カレーから部隊を動かすことが出来ず、有効な反撃を行えなかった(パンジャンドラムがどれだけ貢献したかは謎だが)。 - 秩父型大型巡洋艦とアラスカ級
1937年の軍縮条約脱退後、日本海軍は新型戦艦(のちの大和型戦艦)の開発に着手したが、機密保持を徹底させ、仮想敵のアメリカを困惑させた。特に18,000トン級の大型巡洋艦(秩父型)を建艦していると言う誤情報はアラスカ級大型巡洋艦の建艦につながった。しかし、このアラスカ級は主力艦並みの鋼材と費用をかけたものの、運動性能の悪さから艦隊運用を乱すなどの問題もあり、艦砲射撃に活用された他は高い評価を得ることはなかった。 - ボマーギャップとミサイルギャップ
ソ連は独ソ戦に勝利したものの、多大な損害を受けた上に、新たな仮想敵であるアメリカとNATOとは対独戦以上の劣勢が予想された。そこで核戦力の充実化を図ったが、運搬方法である戦略爆撃機やミサイルも質量共に劣っていた。しかし、無理を承知で試作爆撃機(M-4)をパレードや演習に導入、西側に「核戦力で劣勢に立たされている」と言う脅威を与え、外交を有利に進めた(ボマーギャップ)。続く1957年には世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。これも西側にセンセーションを与え(ミサイルギャップ)、無策な共和党の政策を批判したジョン・F・ケネディが大統領選に当選する原動力ともなった。この成功を受けてソ連は無用の長物と化した正面戦力をある程度粛軍し、民力休養政策を中心に経済にも好影響を与えたが、ハッタリは効き目が強すぎ、1962年のキューバ危機を誘発することになる。60年代後半からU-2による偵察により、ソ連の核戦力の過大評価が明らかとなり論争自体が沈静化して行った。
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