白河の関とは、一般的に以下のどちらかを指す。
順に説明する。
1の概要
福島県白河市の山あいにかつて存在したとても古い関所で、鼠ヶ関、勿来関と共に奥州三関と呼ばれ、古来より東北に通じる東山道の要衝に設けられた関門として名高い。当時から都から陸奥国へ抜けるためには避けては通れない交通の要所だった。ここに関所を設けることで、都から逃れてきた犯罪者が東北に逃げ込むことのないようにしていたのである。
平安時代の中期には関所としての機能はほとんど失われたと思われている。
また古来よりたびたび歌人たちに詠まれている地であり、現代まで和泉式部や藤原定家による歌が伝わっている。かの有名な松尾芭蕉がこの地を訪れたときには関が廃止されてからかなり年月が経っていて正確な場所が分からなくなっていたが、1800年に当時白河藩主だった松平定信が文献による考察を行い、白河神社のある場所周辺を史跡として断定した。のちの発掘調査によってそこが正確な場所と判明したので、現在は国の史跡に指定されている。
関のある場所は「福島県道76号伊王野白河線」沿いであり、周りの建物は少ない。通りの交通量も江戸時代以降の奥州街道や、近代以降には国道4号・東北自動車道・東北新幹線などの開通に伴って大幅に減少したが、現在でも白河警察署が国道4号沿いに白河検問所を常設しており、関東からの犯罪流入を防ぐ役割を果たしている。
じゃあなんでそれが野球と関係あるのかというと・・・
2の概要
高校野球の日本一を決める「選抜高等学校野球大会」(春の甲子園)および「全国高等学校野球選手権大会」(夏の甲子園)は、1915年から数回の中止を経て、2018年に春の大会は第90回、夏の大会は第100回を迎えた。しかし、2022年に仙台育英が夏の甲子園で優勝を収める(後述)まで、107年もの長きにわたって東北地方の6県(青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島)からの優勝校が出てこなかった。
このことから「甲子園の優勝旗(紫紺旗・深紅の優勝旗)は未だ白河の関を越えていない」と長い間されてきた歴史があり、東北6県のいずれかの代表チームが甲子園で優勝することは「優勝旗の白河の関越え」と呼ばれている。
なお、2004年の夏の甲子園で南北海道代表の駒大苫小牧が北海道勢として初めての優勝を果たし、ANAの飛行機に乗った優勝旗が東北を通り過ぎて津軽海峡を越えることとなった。これで白河の関越えが達成され、白河市長が苫小牧市長に祝福の手紙を送っているが、その文面には「白河の関を無視して海峡まで空を飛んで行ったことは残念」という皮肉も含まれていたとか[1][要高次出典]。これを機に、それまで北海道も含めて白河以北の意味だった「白河の関越え」の意味が「陸続きの東北6県に優勝旗が運ばれること」に変化している。
2022年8月22日、仙台育英学園高等学校が夏の甲子園で優勝。108年目にして初めて甲子園の優勝旗が東北地方に渡ることとなり、白河市長は「飛行機で仙台に帰ってくるようなのですが、できれば陸路で帰ってきてほしい」[2]とコメントした。その声を受けてか、翌8月23日に大阪を発った選手団一行は東海道新幹線と東北新幹線を乗り継ぎ、深紅の優勝旗が茜色のE6系こまちに乗って新白河駅を通過。これにより、陸路での白河の関越えが達成された。
また、社会人野球の全国大会である都市対抗野球大会に関しては、2006年に秋田県にかほ市代表のTDK硬式野球部が全国制覇を成し遂げて黒獅子旗を持ち帰ったので、当時「黒獅子旗は白河の関を越えた」などと言われた。
関連動画
関連項目
脚注
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