『いっちばーん!』
白露(しらつゆ)とは、ソーシャルゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。
CV:谷邊由美
モデルは日本海軍の駆逐艦、白露型の1番艦の「白露」から。
因みに、「白露」の名前は神風型駆逐艦(初代)に続いて2隻目である。
同型艦に、「時雨」、「村雨」、「夕立」、「春雨」、「五月雨」、「海風」、「山風」、「江風」、「涼風」がいる。
同型艦を含め、白露型駆逐艦は太平洋戦争全域でめざましい活躍を見せるも、全隻沈没という運命を辿る。
提督ー、艦これの概要だよ。
いっちばーん!
白露型駆逐艦1番艦、「白露」です!はい、1番艦ですっ!
1番先に敵艦発見!
1番に突っ込むよ、ついて来て!
もっちろん私が1番に決まってるじゃない。ねぇ?
と、このように1番艦である事を強調する元気っ娘である。
見た目や指を高々と挙げるポーズからけいおん!の子やりっちゃん、ハルク・ホーガン等と呼ばれたりしているようである。
余談だが白露は水色背景で、いわゆるスーパーコモン(ノーマルに毛が生えた程度のレアリティ)に分類される……のだが、入手のしづらさに定評がある。レア度詐欺と言われる漣と同等かそれ以上と言われる。原因としては、白露のドロップ箇所が前半の海域に集中しており(鎮守府海域を越えた先の南西諸島・北方海域では殆ど出なくなる)、レべリングの名所がある中盤では全くドロップしない点が挙げられる。また前半の海域であっても何故かドロップ率が低く、建造でも最低値で入手可能だが低確率と、レア度詐欺に磨きが掛かっている(一般論だが、1番艦、いわゆるネームシップは他の艦に較べてやや性能が高く設定され、そのために出にくいと言われている。白露も他の白露型に較べ初期値では対空の値がやや高くなっている)。なお、改装すると銀背景となる。ゲーム開始当初は改装してもグラフィックはそのままだったが、2013年11月のアップデートで新期グラに差し替えられた。
あ、これ? いやー、浜辺での夏季特別演習に必要って、長門さんが
2015年夏には、白露改に村雨改共々期間限定グラフィックとして水着姿が実装された(その後、時雨改二、夕立改二にも実装される。何故か同系統の制服なのに春雨には水着グラは実装されず)。白露は、ビキニトップに白い短パンで、ビーチボールを小脇に抱えた姿。人差し指を立てた一番ポーズは健在。本人曰く、オイルを塗り忘れたとかで、普段の制服の時の日焼け跡が出来ている。
ちなみに何かと話題になる胸部装甲はというと、深い谷間が拝めるご立派なものなのだが、よりご立派であることが発覚した謎の村雨嬢の存在のせいか、あまり話題に上がる事は無かったり。
Androidでもいっちばーん!
2016年6月には艦これがAndroidでもできるようになったのを記念して、白露にスマホを持たせた期間限定グラフィックが実装された。左手に持ったスマホをこちらに向け、そこからつながるイヤホンを両耳にさしている。
いっちばんに浴衣だよ!どうかな?早く秋祭りに行って、いっちばんいい所で花火みよっ!ほらっ!
2016年9月には秋の期間限定グラフィックとして秋祭りの浴衣姿が実装された。赤を基調とした華やかな浴衣を着て、手にはうちわと水ヨーヨーを持ち、艤装にも水ヨーヨーがかかっている。
秋の私服mode実装だよ!
2017年9月29日のアップデートで秋の私服modeが実装された。
これまでと違い「色気より食気」といわんばかりに「焼き芋」を頬張っている。
さらに心なしか「ふくよかに」なっている様にも見える為、一部の提督から「しばふ村産の芋だ」といわれている。
提督提督!いっちばんイイ改二にしてよね!
かねてより一番を口にしている白露だったが、何故か改二では姉妹に次々と遅れをとっていた。
お姉さんらしく妹達の改二を見守っていた彼女ではあったが、初期イチソ艦[1]で同じく改二未実装だった村雨に先を越されてしまったときには、思わず愚痴(というか捨て台詞)をこぼすこともあった。
そんな彼女も2018年7月12日のアップデートでお待たせの改二実装。直近の村雨改二から約半年、白露型姉妹では5人目の改二となった(前述の通り、白露型初期イチソ艦では最後になった)。改装レベルは77+戦闘詳報と姉妹の中で1番高い。性能は概ね火力重視の白露型改二らしいパラメータで白露改二は村雨改二と比較して基本数値が『火力と対空が+1・雷装と装甲が-1』『村雨が搭載不可能な特二式内火艇が装備可能かつ大発動艇が装備不可』と対照的な数値になっている。
特筆されるのが対潜値の高さでケッコンカッコカリをしなくてもLV99で『83』まで伸びる。白露型姉妹でも1番なのはもちろん、対潜特化しているJervis改・朝潮改二丁・浦風丁改・Samuel B.Roberts改に次ぐ駆逐艦総合5位と非常に強力。ソナー・爆雷投射機・爆雷の対潜装備シナジーを使った先制対潜爆雷が可能なだけでなく、シナジーに頼らなくても高い対潜値による先制爆雷を行いつつ火力も維持できる事から戦術が大きく広がった。また村雨改二同様司令部施設も装備可能[2]。
簡単にまとめると、白露型改二ではいっちばーんなオールラウンダー、である。
ビジュアルもボブカットだった改から一気にセミロングになり、白露型改二共通とも云える犬耳チックな跳ね毛も健在。細かい部分として髪の先端が江風改二似の青みがかったグラデーションになり、制服も村雨改二同様左右非対称(白露改二は右袖が長くなり袖裾にカラーが入ったような固い姿になっている)。首からはなぜかホイッスルを提げている。先に容姿が大きく様変わりした妹たちにも負けず劣らずの変化といえよう。ちなみに二期に入ってからの夏期限定ボイスで時雨・村雨・夕立から概ね好評な感想を得られており、長姉の面目躍如といったところ。
そして、白露の大いなるアイデンティティーである『いっちばーん!!』は右手でしっかり自己表現している(ノーマルは左腕振り上げ、改は右手突き出しに対して、改二は手甲状に装備した12.7cm連装砲を持ちつつさりげなく披露している)
なお、中破すると妹達に負けず劣らず魅力的に増量された胸部装甲が(この発言はいちばーんされました)
2020年7月に史実での同僚である初春型姉妹の「有明」が加わったが、何と有明の時報から朝食や昼食で作ったご飯をギンバエ(要はたかられる)されているという何ともやるせない事情が明らかになった・・・が、翻って見ると秘書艦になってもキチンとご飯を提供するという意外としっかりしたお姉ちゃん像が浮かび上がってきたのだった(有明曰く白露の女子力はキチンと認めている)。
史実と関連する期間限定海域
2期以降では当該海域での「特効」が実装され、また特にイベントテーマに含まれている場合イベントバナーに登場していたりする。
- 発動!渾作戦(2014年秋イベ)
- 反撃!第二次SN作戦(2015年夏イベ)
- 進撃!第二次作戦「南方作戦」(2019年秋イベ)
- 激闘!R方面作戦(2022年春イベ) ※同イベで実装された早潮からの言及(轟沈時)有り
なになに? 私の史実?
初春型駆逐艦の次に開発された、白露型駆逐艦1番艦〈白露〉。1933年11月14日に佐世保工廠で起工。1935年4月5日に進水し、1936年8月20日に就役した。
「特型駆逐艦」の次の主力として建造された「初春型駆逐艦」は、 軍縮条約に合致する小型ボディに重装備を搭載した為各種の無理や不備があった。そのことが発覚した時点で、既に6隻目まで作り始めてしまっていたが、そこで一旦建造を打ち切って、設計からやり直すことになった。
こうして開発されたのが、白露型駆逐艦であり、ネームシップ〈白露〉はその栄えある1番艦である。
(ちなみに、初春型から白露型に切り替わる辺りは相当バタバタしていた模様で、初春型の改良をした5番艦〈有明〉と6番艦〈夕暮〉と、作り始めていた〈白露〉〈時雨〉〈村雨〉を一度は「有明型」と呼ぶようにしてみたが、その後「有明型」の話は無かったことになった。つまり、「有明型駆逐艦3番艦〈白露〉」と呼ばれていた可能性もあったのだ)
竣工間も無い1936年10月には、陸軍大演習のために北海道に向かう明治天皇の御召艦となった〈比叡〉の供奉(ぐぶ)艦[3]として、最新鋭駆逐艦だった〈白露〉と〈時雨〉が選ばれた。2隻はこのあと、同年10月29日に神戸で行われた海軍観艦式への移動の際も供奉艦を勤めている。
支那事変勃発前の1937年8月、第1艦隊第1水雷戦隊第九駆逐隊(僚艦に2番艦の〈時雨〉と、前述した初春型の最終ロットになる5番艦〈有明〉、6番艦〈夕暮〉がいる。後述するが、太平洋戦争開戦時の〈朝雲〉や〈山雲〉がいた第九駆逐隊とは別部隊)に所属していた〈白露〉は伊勢湾に仮泊。給油や補給物資の積み込みを終えて、乗員たちは休憩していた。そんな中、一水戦旗艦の〈川内〉から巡回映画班がやって来て、〈時雨〉の後部甲板で映画の上映会が行われたという。ちなみに上映された映画は「荒城の月」というものだったらしい。その後、各艦の艦長と駆逐隊司令に〈川内〉への出頭が命じられたため、〈白露〉艦長は内火艇に乗って〈川内〉に移乗した。ちょうどその頃、支那事変が勃発しており、これについての協議だったようである。結果、第九駆逐隊は第1水雷戦隊より分離、支那方面艦隊と合流する事になった。
8月上旬、伊勢湾を出航。4~5日をかけて揚子江へ入り、上海へ到達。〈時雨〉、〈白露〉、〈有明〉、〈夕暮〉の順に、支那艦隊旗艦〈三笠〉の近くへ投錨した。上海では中国国民党との戦闘が繰り広げられており、第九駆逐隊から約200名の陸戦隊を編成して、上海陸戦隊を支援する運びとなった。〈白露〉からは約50名の人員が駆り出され、国民党と干戈を交えた。数日後、第二水雷戦隊が輸送した陸上部隊が揚子江呉松に上陸。これにより上海を包囲していた国民党が撤退したため、陸戦隊は任務を解かれて帰還した。
その後、先の戦闘で戦死した乗員の遺骨を乗せて第九駆逐隊は上海を出港、佐世保軍港を目指した。道中、揚子江河口で仮泊するが、その日の夕方に米軍機「ノースロップ」1機が低空で飛来。この時は開戦前だったため投弾は無かった。中国戦線の戦況に合わせ、第九駆逐隊は再び上海に戻り、〈三笠〉の近くに投錨する。
次に第九駆逐隊は杭州上陸作戦の支援を命じられ、東シナ海へ移動。そこで輸送船団と合流し、敵前上陸を支援した。11月下旬、佐世保軍港へ帰投。
1938年12月、九駆所属の4隻は佐世保へ転籍し、第二七駆逐隊に改称。1939年11月に再び第1水雷戦隊所属となる。
太平洋戦争開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第二七駆逐隊に属し、柱島泊地に所在していた。
12月8日、戦艦〈長門〉からなる主力部隊を護衛し柱島泊地を出撃。10日、母島南方を通過するも、11日に反転。柱島へと帰投している。年内は柱島と本土近海を行き来するだけだった。
1942年(昭和17年)1月17日、〈時雨〉とともに柱島を出撃し門司から出る輸送船団を護衛。22日、台湾の基隆に到着。〈瑞鳳〉の護衛を高雄で行った後、南方方面へ進出しダバオへ寄港。そして2月1日に瀬戸内海に帰投している。
3月2日から12日にかけて米機動部隊に追撃を行う。
4月15日、佐世保を出撃した〈白露〉は馬公へ寄港、続けて〈翔鶴〉と〈瑞鶴〉の護送に従事した。5月1日、トラック進出。5月7日の珊瑚海海戦に参加、13日からは重巡〈妙高〉〈羽黒〉を護衛してナウルオーシャン攻略に従事したが米機動部隊の接近により作戦中止、トラックへ戻る。その後、〈妙高〉と〈羽黒〉を呉まで送り届ける。
6月のミッドウェー海戦では中途まで出撃した。7月、第二七駆逐隊は第二艦隊第四水雷戦隊へ編入。
8月にはマーシャル諸島で活動し、21日にはマキンへ兵員輸送を実施。9月2日、アパママを占領。
以後、ガダルカナル島輸送(鼠輸送)作戦に7回従事。
10月25日、ガダルカナルの米軍を攻撃。米曳航船〈セミノール〉〈YP284〉を撃沈、高速輸送艦〈ゼイン〉に損傷を与える。
11月12日に第三次ソロモン海戦に参加し〈比叡〉の乗員救助に当たった。
11月24日、ラエ東方で被弾し沈没した駆逐艦〈早潮〉の乗員救助を行う。
11月29日ブナ輸送作戦に従事中、B-17の爆撃を受け前部が大破し浸水した。
翌日〈春雨〉〈夕雲〉に護衛されラバウルに入港、応急修理後トラック諸島、サイパン島で修理を受け1943年(昭和18年)3月に佐世保に帰投し長崎で7月まで修理を行った。
しかし、〈白露〉の修理中も戦局は動いていた。二水戦旗艦〈神通〉はコロンバンガラ沖海戦で壮絶に散り、二水戦の司令部が壊滅した。大本営はこの事態に、四水戦を解体し、その司令部と編成をそのまま二水戦にスライドさせる決定を行い、〈白露〉達の二七駆は四水戦から華の二水戦に所属を変える。しかし、二七駆の僚艦〈有明〉と〈夕暮〉は、二水戦に所属変更された当日の7月20日未明に〈夕暮〉が、8日後の28日昼に〈有明〉が、相次いで空襲により沈んでしまい、二七駆は〈白露〉と〈時雨〉の2隻だけになってしまう。
このため、同様に〈夕立〉〈村雨〉を失って2隻だけになっていた第二駆逐隊を解隊し、残されていた〈春雨〉〈五月雨〉を二七駆に加入させた。こうして、二七駆は白露型4隻の体制となった。
修理完成後は、ソロモン諸島方面で活動した。11月2日ブーゲンビル島沖海戦に参加した際に、〈五月雨〉と衝突して損傷、佐世保工廠で修理を行った。この際に第二主砲塔を撤去された。12月24日、第五戦隊と〈利根〉を護衛して呉を出撃。1944年(昭和19年)1月以降、船団護衛等に従事。 渾作戦に加わり、ビアク島増援のため、陸軍部隊を載せた〈敷波〉〈浦波〉〈時雨〉〈五月雨〉〈春雨〉と共にソロモンを出発、途中、〈春雨〉がB-25による爆撃を受け沈没した。8日にビアク島北西で米艦隊と交戦し損傷、外に2隻が小破し、増援作戦は中止された。
6月15日、ミンダナオ島北西で米潜水艦の雷撃を回避中に、護衛していた船団の前に飛び出してしまい、ちょうど深夜(午前2時過ぎ)かつスコールの最中で見通しが悪かったこともあってタンカー〈清洋丸〉と衝突。運が悪くその衝撃で前部弾薬庫と爆雷が誘爆し、衝突からわずか4分で沈没した。松田艦長以下104名が死亡し、8名が負傷した。
なお、このときの僚艦で救助にあたったのは〈浜風〉であった。また、衝突した〈清洋丸〉の方は大きな損傷も無かったが、その5日後に米軍艦載機の攻撃で大破し、〈雪風〉に雷撃処分されている。
8月10日、先に沈没していた〈春雨〉と共に除籍。
なお、「お洒落な雨の名を持つ」白露型姉妹の各艦の名は戦後も海上自衛隊に受け継がれている(「むらさめ」に至っては二度も1番艦に使われている)が、なぜか「白露」の名は受け継がれていない(ちなみに、「時雨」も同じく受け継がれていない)。一説では「露」が「はかない」というイメージがあるから使われにくいのだ、とも言われているが定かではない(そもそも戦前を通しても、「露」の名が付く艦はこの〈白露〉を含めて3隻しかいなかったりする)。
艦歴
1933年11月14日佐世保工廠にて起工
1935年4月5日進水
1936年9月7日就役
1944年6月15日ミンダナオ島北東にて米潜水艦の雷撃を回避中にタンカーと衝突し爆沈
1944年8月10日除籍
参加した主な作戦
珊瑚海海戦
ガダルカナル島輸送作戦
第三次ソロモン海戦
ブーゲンビル島沖海戦
渾作戦(ビアク島沖海戦)
主な兵装
50口径12.7cm連装砲2基4門
50口径12.7cm単装砲1基1門
40mm4連装魚雷発射管2基8門(魚雷16本)
爆雷投射機2基(爆雷×16)
(Wikipedia等より引用)
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提督、関連コミュニティだよ。
関連項目だって、やったね
脚注
- *白露型で最初から実装されていたイチソ艦は「白露」「時雨」「村雨」「夕立」。「春雨」と改白露型の面々は追加実装である。
- *逆に史実で27駆司令艦だった時雨改二に司令部施設は装備不可。
- *供奉艦とは、御召艦の後ろに付く役割の艦。ちなみに観艦式自体では、供奉艦は主に戦艦や重巡が勤めることが多いが、移動中は駆逐艦が勤めることもあった。
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