百田光雄とはプロレスラーであり、6時半の男である。
日本プロレスの祖である力道山の次男。ちなみに彼の息子、力もプロレスラーである。
1948年9月21日生まれ、東京都港区出身。
概要
1968年に日本プロレスで入門、1970年にデビュー。
全日本プロレスには旗揚げメンバーとして参加しており、
力道山の子息であることからメキシコ修行時のリングネームは『リキドーザンJr.』と呼ばれていた。
帰国後に初めてトペ・スイシーダを披露したのも彼である。
全日本在籍時には世界ジュニアヘビー王座を2度獲得。
一方で若手選手の大きな壁として立ちはだかる存在でもあり、
第1試合などで活躍することが多かったことから『6時半の男』と呼ばれるようになった。
90年代はジャイアント馬場、ラッシャー木村らとトリオを組んだ「ファミリー軍団」での活動が中心。
永源遥、大熊元司らが所属した「悪役商会」との楽しいプロレスが人気を呼んだ。
2000年に三沢光晴が中心となりプロレスリング・ノアを旗揚げすると、百田もこれに参加。副社長に就任する。
"ファミ悪"の流れを汲んだ百田対永源のシングルがNOAHの名物となり、2003年にはGHCジュニアタッグ、
2005年には獣神サンダー・ライガーのもつGHCジュニア王座にも挑戦した。
三沢氏の死去後2009年7月、仲田龍・現GMや三井政司・現取締役らとの軋轢が原因でNOAHを退団。
一時は引退をほのめかす発言があったものの、翌2010年の天龍源一郎主催による天龍PROJECTへの参戦を表明。
2011年には天龍プロと提携関係にあるSMASHへ参戦、天龍自身が初となる第1試合の相手となった。
現在、一度も引退せずに選手として試合をしたレスラーでは現役最長記録を持つ選手。
ジジィなめんなよ!
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt