的場文男(まとば ふみお)とは、大井競馬場東京都騎手会所属の騎手である。
通称「大井の帝王」「レジェンド」。
勝負服の「赤・胴白星散らし」は彼のトレードマークとなっている。
※JRA所属の現調教師・的場均、現騎手・的場勇人の親子とは同姓だが、血縁関係はない。
概要
1956年9月7日生まれ、福岡県大川市出身。競走馬の馬主をしていた父と先に騎手になった兄の影響で自身も騎手を志す。
佐賀競馬の騎手を目標としていたが兄から「どうせ乗るなら東京に行きない」と言われ、中学2年生のときに浦和競馬場の厩舎を見学。その帰りの空き時間に立ち寄った大井競馬場で後の師匠である小暮嘉久氏に勧誘され、小暮厩舎の見習い騎手として厩舎入り。
中学卒業後、地方競馬教養センターの第20期長期騎手候補生となる。
1973年10月16日、大井競馬第5競走でデビュー。同年11月6日第4競走で初勝利。どちらもホシミヤマ号であった。
その後はなかなか騎乗依頼に恵まれず勝ち星も伸び悩んだが、人気の薄い馬や実力を発揮できない馬への調教や騎乗を重ね、これらの馬を好走させることによって徐々に関係者や馬主の信頼を得ていき、有力馬の騎乗依頼を増やしていった。
1977年には10月17日、アラブ王冠賞をヨシノライデン号で勝利し、重賞初制覇。デビュー10年目の1983年には、初の三桁勝利となる129勝を挙げ、初の大井競馬リーディングを獲得。更に1985年には大井競馬の最優秀騎手賞を初受賞、1987年2月13日には地方競馬通算1000勝を達成と、名実ともに地方競馬のトップジョッキーの仲間入りを果たす。
1997年6月24日には帝王賞をコンサートボーイ号で勝利し、交流GI(当時)初勝利。
この勝利が自身にとって最も記憶に残っているレースとのこと。
2002年には、地方競馬通算4000勝を達成。この年は363勝を上げ、石崎隆之を抑えて初めての南関東及び地方競馬全国リーディングを獲得。翌年も335勝を上げ地方競馬最優秀騎手賞を受賞。
しかし彼に不幸が襲う。2007年2月16日、浦和競馬第7競走のパドックにおいて、騎乗予定馬に左脇腹を蹴られて転倒。すぐにさいたま市立浦和病院に搬送され、左下部肋骨骨折、左脾臓と左腎臓からの出血も確認(後に腎臓と脾臓が真っ二つに割れているのが判明)され即入院という重症であったが、2ヶ月後の4月16日の大井競馬で復帰、復帰最初のレースで勝利している。
復帰後も順調に勝ちを重ね、2010年6月4日には31031戦目で地方競馬通算6000勝達成。
2017年5月17日、川崎マイラーズをリアライズリンクス号で勝利し、地方競馬通算7000勝達成。同時に、自身の持つ騎手の地方競馬最高齢重賞勝利記録(60歳8カ月10日)を更新。
2018年8月12日、大井競馬第5競走を、出走メンバー中唯一の初出走馬シルヴェーヌ号(1番人気)で勝利し、地方競馬通算7152勝を達成。佐々木竹見が保持していた地方競馬通算最多勝記録を更新した。
2018年11月4日、京都競馬第5競走でアールコンセンサスに騎乗し、佐々木竹見が所持していたJRA史上最年長騎乗記録を「62歳1ヶ月29日」に更新。更に2019年8月25日には、札幌競馬場で行われた「2019ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)」に出場し、JRA最年長騎乗記録を「62歳11カ月19日」に更新した。
2021年7月12日、大井競馬第4競走でシュッシュに騎乗し、森下博が所持していた地方競馬史上最年長騎乗記録を「64歳10ヶ月5日」に更新した。
人物・エピソード
- 様々な重賞レースで勝利を収めてきたが、東京ダービーだけは勝てない。2019年までに37回挑戦し。2着10回を記録しているが未だに勝ちがなく、「大井の七不思議のひとつ」と言われている。2018年はクビ差2着。2019年は落馬による負傷が回復せず挑戦できなかった。
- 座右の銘は「努力」。
- 体を激しく上下させムチを振り下ろす独特の騎乗スタイルは「的場ダンス」と称されている。
- 競馬を盛り上がるための企画・イベントなどにはネタっぽいものであっても積極的に参加し、ファンサービスにも積極的に応じる。
- 武豊やクリストフ・ルメールらも尊敬する騎手の一人に的場の名前を挙げている。
- 「大井競馬の的場文男」という点にこだわりがあり、中央競馬移籍は考えたことがない。
- 2007年の怪我で生死の境をさまよったが、命が助かった際に最初に真っ先に思ったことは「これでまた馬に乗れる」。
- 1999年、日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞。2018年、武豊とともに農林水産大臣賞を受賞。
- 2020年11月の秋の褒章で、(中央・地方問わず)騎手として初めて黄綬褒章を受章した。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ・チャンネル
関連リンク
関連項目
- 3
- 0pt