- プロ野球選手一覧 > 的山哲也
的山哲也(まとやま てつや、1970年10月1日-)とは、兵庫県出身の元プロ野球選手(捕手)である。現在は福岡ソフトバンクホークスのバッテリーコーチを務める。
概要
福岡ソフトバンクホークス #85 三軍バッテリーコーチ |
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的山哲也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
生年月日 | 1970年10月1日 |
身長 体重 |
178cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1993年ドラフト4位 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1993年のドラフト会議で近鉄バファローズに4位指名され、入団した。
当時の近鉄は古久保健二と光山英和という実績ある2人が正捕手の座を争っており、入団から3年間はあまり出場機会に恵まれなかったが、それでも3年目の1996年は27試合で先発マスクを被った。
転機となったのは監督が佐々木恭介に交代した4年目の1997年で、開幕直前にライバルの光山がトレードで中日ドラゴンズに移籍することになった。開幕戦から先発マスクを被り、100試合に出場し84試合でスタメンを務めた。
翌1998年はさらに出場機会を増やし、105試合に出場し93試合でスタメンを務めた。ただ、前年同様試合途中で交代させられる場面も多かった。
1997年は117試合に出場し106試合でスタメンを務めた。規定打席には到達しなかったものの、打席数は前年より大幅に増加した。
ところが、2001年に監督に就任した梨田昌孝が打撃の良さを買われて外野手に転向していた礒部公一を捕手に戻してしまう。正捕手の座は礒部に奪われ、87試合出場53試合スタメンという成績に終わった。
2001年は礒部が外野手に復帰したため、再び正捕手の座を奪還する。しかし、ベテランの古久保や北川博敏との競争となり、シーズン後半は完全に古久保に正捕手の座を奪われてしまった。101試合に出場し86試合でスタメンを務めたものの、日本シリーズでも1試合しか先発マスクを被れないという何とも煮え切らないシーズンとなった。
2004年オフには球団合併に伴う分配ドラフトによりオリックス・バファローズに移籍。
2007年オフに金銭トレードで福岡ソフトバンクホークスに移籍。
引退後
2009年からホークスの一軍バッテリーコーチを務める。その後は2013年~2014年は二軍、2015年は一軍、2016年は三軍、2017年からは二軍、2022年からは三軍でそれぞれバッテリーコーチと、配置転換はあるものの継続してコーチを務めている。
特徴・その他
捕手としての評価は高く、特に強肩を活かした盗塁阻止率の高さには定評があった。(1997年.364、98年.412、1999年.378)
一方で打撃面に難があったため、現役生活のほとんどを他捕手との正捕手争い(古久保健二、光山英和、礒部公一、藤井彰人、日高剛など)を繰り広げていた。だが意外な所でホームランを打つ(びっくり箱)など「恐怖の男」として活躍を見せることがある。
かつては眼鏡をかけてプレーをしていたが、2004年にレ―シックの手術を受けて以降は眼鏡を外している。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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近鉄 | 応援歌のピコカキコ一覧#538 | 10073 |
成績
通算打撃成績
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1026 | 2456 | 2058 | 208 | 423 | 80 | 4 | 40 | 631 | 27 | 163 | 19 | 189 | 27 | 521 | 31 | .206 | .279 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 |
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NPB | 捕手 | 1014 | 4733 | 531 | 42 | 75 | .992 | 57 |
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関連項目
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