的山哲也単語

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マトヤマテツヤ
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的山哲也(まとやま てつや、1970年10月1日-)とは、兵庫県出身の元プロ野球選手捕手)である。現在福岡ソフトバンクホークスバッテリーコーチを務める。

概要

1993年ドラフト会議近鉄バファローズに4位名され、入団した。

当時の近鉄古久保健二光山英和という実績ある2人が正捕手の座を争っており、入団から3年間はあまり出場機会に恵まれなかったが、それでも3年1996年は27試合で先発マスクを被った。

転機となったのは監督佐々木恭介に交代した4年1997年で、開幕直前にライバル山がトレードで中日ドラゴンズに移籍することになった。開幕戦から先発マスクを被り、100試合に出場し84試合でスタメンを務めた。

1998年はさらに出場機会を増やし、105試合に出場し93試合でスタメンを務めた。ただ、前年同様試合途中で交代させられる場面も多かった。

1997年は117試合に出場し106試合でスタメンを務めた。規定打席には到達しなかったものの、打席数は前年より大幅に増加した。

ところが、2001年監督に就任した梨田昌孝が打撃の良さを買われて外野手に転向していた礒部公一捕手に戻してしまう。正捕手の座は礒部に奪われ、87試合出場53試合スタメンという成績に終わった。

2001年は礒部が外野手に復帰したため、再び正捕手の座を奪還する。しかし、ベテランの古久保北川博敏との競争となり、シーズン後半は全に古久保に正捕手の座を奪われてしまった。101試合に出場し86試合でスタメンを務めたものの、日本シリーズでも1試合しか先発マスクを被れないという何とも煮え切らないシーズンとなった。

2004年オフには球団合併に伴う分配ドラフトによりオリックス・バファローズに移籍。

2007年オフ銭トレードで福岡ソフトバンクホークスに移籍。

2008年で現役を引退した。

引退後

2009年からホークスの一軍バッテリーコーチを務める。その後は2013年2014年二軍2015年は一軍、2016年三軍2017年からは二軍2022年からは三軍でそれぞれバッテリーコーチと、配置転換はあるものの継続してコーチを務めている。

特徴・その他

捕手としての評価は高く、特に強肩を活かした盗塁阻止率の高さには定評があった。(1997年.364、98年.4121999年.378)

一方で打撃面に難があったため、現役生活のほとんどを他捕手との正捕手争い(古久保健二光山英和礒部公一藤井彰人日高剛など)を繰り広げていた。だが意外な所でホームランを打つ(びっくり)など「恐怖の男」として活躍を見せることがある。

かつては眼鏡をかけてプレーをしていたが、2004年にレ―シックの手術を受けて以降は眼鏡を外している。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
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10073

成績

通算打撃成績

通算:15年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1026 2456 2058 208 423 80 4 40 631 27 163 19 189 27 521 31 .206 .279

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 捕逸
NPB 捕手 1014 4733 531 42 75 .992 57

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