相馬藩単語

ソウマハン

相馬藩とは

  1. 江戸時代陸奥に存在したである。
  2. 東北地方太平洋沖地震において被害の大きかった福島県相馬市市長の職員、消防団などの英雄を称え、現在の魂を持っているとして付けられた相馬市の呼称である。

概要

東北地方太平洋沖地震発生直後からその後の生活に至るまでの相馬市の人々の対応は見習うべきものがあり、被害の大きい被災地から遠く離れた地にいる人間が物資がないだの計画停電やめろだの騒いでいるのが如何に愚かなことであろうか。相馬の代表達は大和魂を持っていたのである。

論このような誇り高き人々は他にも沢山いるであろうが、今後の復支援などにあたって、日本人の手本として相馬市の人々を見習いたい。

市役所職員の咄嗟の行動

地震発生直後、相馬市役所職員2名が沿いの道路通行止めにするべく、通行止めサイントラックに乗せて現地に向かった。
津波が来ると考えて危険を顧みず市民を守るために飛び出していったのである。

この役所職員の安否は不明である。

消防団の活躍

相馬市消防団は津波被害を受けるであろう地域に向かい、津波の危険と避難を訴えた。
その後、被災対面積から住民基本台帳と照らし合わせた結果、津波被災地85%の人が助かったことが判明。

しかし消防団の多くは波に飲まれ殉職された。

市長の判断

市長である立谷秀清氏の判断も適切である。津波被害後、苦渋の決断ではあるが、まずは波に飲まれた人の捜索はせず、高台などに取り残された人の救助と、避難した市民毛布分の確保、暖を取る手段などを速に行った。

その後原発の問題が発生したが、「自分は専門ではない。怯えても仕方がない。」とを据えて示が出るまで冷静に対策会議を行い復計画を立てた。
簡単なことに聞こえるかもしれないが、あの大災害の後に市民のために1日2回の会議を冷静に行うというのは困難極まるであろう。

1度自衛隊員に逃げろと言われたものの、政府からの示でなければ不用意に動きはしないと断った。自衛隊員も安否を気遣って逃げろとの示を出したのであろうが、トップがふらふらと動いては下につくものも安心できない。

風評被害によって物資が届かないことに対しても、物資がなければいなりに耐えるという姿勢を示し「ろう」という言葉をかかげた。

ビーフシチューが食えなくても、皆で梅干があれば生きていける。」

「ろう」に関する相馬市長の言葉は、担当者が市民に伝えるべきだと考え、メールマガジンやチラとして配信されている。exit

メールマガジン
http://www.city.soma.fukushima.jp/mayor/melma/index.aspexit

ろう
http://archive.mag2.com/0000096393/index.htmlexit

帰ってきた人たち

如何に勇猛な相馬市民とはいえ、やはり被災地から逃げ出してしまう人もいた。相馬市長の立谷秀清氏は相馬中央病院理事長でもあり、やはり医局員の中には遠くに避難してしまう人もいたそうである。
しかし、そうやって遠くに避難してしまった人の中にも、地元を思い戻ってくる人たちがいた。
市長はその人達に「なぜ逃げ出した。」と問うのではなく「よく帰ってきてくれた。」とをかけるのである。

相馬市民の不屈の精神

相馬市は必ず復する。相馬市の人々は、遠くで騒いでいる人々よりも余程冷静であり、不屈の精を持っている。々も見習わなくてはならないだろう。

とりあえず計画停電くらいで「たちに死ねってのか!」と騒いでいるような新聞記者は被災者に1000焼き土下座してもらいたいものである。

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論このような記事で政治議論をする方はいらっしゃらないと思いますが、一応他所でお願いします。

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相馬藩

1 ななしのよっしん
2011/05/13(金) 18:39:42 ID: f8RO9FzMvO
どっからつっこめばいいかわからないよ
2 ななしのよっしん
2016/03/17(木) 05:56:26 ID: sb6r3RN0UX
相馬中村の記事と思って飛んだらこれか・・・

どう反応してよいやら・・・