「真壁賢守」とは、宮城・東北高校のエース「ダルビッシュ有」の相方・二番手として活躍した甲子園のシンデレラボーイである。
概要
1986年5月3日生まれ。宮城県柴田郡村田町出身。右投げ右打ち。
2003年夏の甲子園に宮城・東北高校の一員として出場。本人曰く2年生だった当時は部内では5番手あたりの投手で、あくまで3年時の経験の為にベンチ入りし、トレードマークのサイドスローも甲子園1ヶ月前に監督に言われて転向したとの事。
しかし、そんな眼鏡可愛い東北の野球少年を甲子園のマモノが見逃すわけがなかった。
迎えた筑陽学園との一回戦。エースのダルビッシュが故障の影響で2回で降板し、7対2と東北高校がリードしているものの、3回無死満塁と言うピンチの場面に3番手投手として登板。守備の乱れもあって4点を失うも(真壁自身は1失点)、しり上がりに調子を上げ1回戦の勝利に貢献する活躍を見せ、マモノの試練を破った真壁のシンデレラストーリーが開幕した。
「有の状態が良くなくて。俺がやるしかないと」
故障を抱える同級生のダルッビッシュの為と、急造のサイドスローゆえに球種は直球とスライダーだけの中、その後の試合では先発に救援にとフル回転。相方のダルビッシュが長身でモデル顔なのに対して、飾り気のない田舎の黒縁眼鏡少年な外見だった事から「メガネッシュ」「マカベッシュ」と呼ばれて大会一の人気者となった。東北高校の決勝進出の原動力といっても良い活躍を見せた真壁だったが、惜しくも決勝で敗退し真壁の初めての夏は準優勝に終わった。
「対照的な2人だったのが良かったかな。有はビジュアルも良く、才能にあふれていた。自分は、田舎者が必死に直球とスライダーで何とか抑える。メガネもありましたから」。
2003年夏の甲子園での大活躍で日本代表にも選ばれた真壁は、翌2004年もダルビッシュに次ぐ二番手エースとして春の選抜と夏の甲子園に連続出場。しかし、いずれも優勝する事はできなかった。
2年にわたる輝かしい活躍の裏で、日常生活に支障をきたすレベルの疲労性の腰痛を発症していた為か、真壁はプロ志望届を提出せず、相方のダルビッシュが日本ハムに指名されてプロになる中、東北福祉大学に進学。大学卒業後は社会人のホンダに進んで野球を続けたものの、極度の不振に陥った事から引退を勧告され、2011年に25歳で引退。チームの投手コーチ・マネージャーとなって都市対抗優勝の夢へとがんばっている。
メジャーリーガーとなったダルビッシュ有とは、オフに連絡をとりあって食事に行く友人同士との事。
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