知力25とは、SFC用RPG「LIVE A LIVE」に登場する現代編の主人公、高原日勝(たかはらまさる)のステータスの1つである。
概要
決して上がることのない彼のステータス。それが知力25。
初期レベルの時点では高いステータスなのだが、物語が進むに連れてそれは原始人や果てはゴリラにまで負けるほどの低さとなってしまう。
さらにバッテリーを「なんかの部品」としか識別できないことなども、彼の知力の低さをプレイヤーへ印象付けてしまっている。
このゲームにおいて知力は特定技の攻撃力に依存するほか、ステータス異常攻撃に対する耐性でもあるため、気がつくとラスボス戦で石像になっている高原がよく発見される。
格闘家として最強を目指す彼にとっては、小難しい知力などさしたる意味を持たないモノなのかもしれない。相手の必殺技を体得するために「敵の必殺技を食らってみよう」と発想するあたりからも、それが伺える。
そのため知力25=バカ、脳筋、もしくは高原自身をさす言葉となっている。
なお、リメイク版では知力というステータスはなくなり、特攻と特防に二分割された。
高原日勝の場合、初期値ではこれらのステータスは両方25である。しかし、特防はレベルアップによってともすれば他の主人公以上に上昇しうるのに対し、特効はいくらレベルを上げても25から微動だにしないため特攻25となっている。
特殊攻撃に弱いということはなくなり普通に運用する分には困らなくなったが、知力を激増させる「いんろう」や「モノな石」が軒並み特攻アップになったのでアクセサリによる補強はしにくくなった。
これはポケットモンスター赤緑→金銀のかくとうタイプと同じような調整であり、ファイナルファンタジーを基準にするなら「知性」は弱くとも「精神」は修練されていると解釈できる。
知力25に関するフォロー的考察
一応高原の知力をフォローをするなら、初期レベルの時点で高い数字を持っており、本人の数少ない発言からも現代人としては一般的な基礎教養はさすがに持っていると思われる(そこからの行動が奇抜なだけで)。
「敵の技を食らって覚える」と言う発想も、頭を下げても相手が教えてくれないのだから仕方が無いとも言えるし、食らって覚える形式(ラーニング)は漫画やゲームでは良くある流れなので、高原の発想が特別におかしいとも限らない。
前述の「バッテリーを認識出来ていなかった」ことについても、一概に高原がバカだとは断言できない。
大前提として、このバッテリーは宇宙航行が当たり前になり、小型の自律ロボットが存在するほど文明が進んだ世界のものであるという点が挙げられる。つまり、今現在の我々が同じものを見たとしても、高原同様にそれがバッテリーだとは認識出来ない可能性があるのだ。
加えて言うならば、LALが発売されたのは1994年。仮にバッテリーが我々の知る一般的なバッテリーだったとしても、発売当初は携帯電話が万人に普及していたわけでもないし、電機機器や車いじり等に趣味の無い人にとってはバッテリーなんて日常生活では触れる機会の少ないものであった事には留意しておきたい。
15年以上前の人間に、今の携帯電話のリチウムイオンバッテリーを見せたとして、それが「乾電池の発展した姿」であるとノーヒントで理解出来る人間がどれだけいるだろうか?
実際、26年後のリメイクによってオリジナル当時の近未来はもう来てしまったのだが、その際に「何故携帯電話が普及してないのか」という問題から近未来編のまま改定しなかったことが解っている。これは、ちょっと先の未来ですら今と全く違うものが普及しうること、過去にいる人間がまだ見ぬ未来の姿を想像することの難しさを示している。
なお、近未来編の人物・田所アキラはバッテリーを「バッテリー」と正しく認識している。
近未来編は文字通り現代よりもいくらか文明が進んだ世界であり、実際にロボット等の現代に無い技術がいくらか登場している世界であるが、我々の住む現代と何ら変わり無い町並みや港、公園にあるタイヤキ屋の露店など、細部では技術レベルが大して変わらない部分もある。
従って、アキラだけが住む時代の違いからバッテリーを理解出来た可能性もあるが、高原でもある程度機械について知っていればバッテリーである事は認識できた可能性もまたゼロではない。
ちなみに心山拳師範やおぼろ丸やサンダウンなど、他の人物は「鉄の箱」と認識している。乾電池や携帯電話のバッテリーのような形ではなく、自動車のバッテリーのような形をしていたのだと思われるが、「部品=他の何かと組み合わせないと使えないもの」とだけでも特定出来ていた分、現代人の面目躍如と言ったところか。
他のゲームにおける25
例えばロマンシング・サガシリーズでは(知力と言うステータスは無いが)ステータス全般として25と言う数字は例えるならば天才の域であり、28くらいになるとモンスター級、30になれば伝説に名を残す怪物並と言う水準である。
D&Dでは知力(INTELLIGENCE)は魔法専門職でも20を越える事は(少なくとも初期ステータスでは)まず無く、25ともなれば生きた百科事典並のずば抜けた頭脳となる。
一方でドラゴンクエストならば25と言う数値は冒険初期レベルであり、元ネタの高原と同じく「初期レベルで25なら高い方だが成長しきって25ならかなり低い」と言うバランスで通じる。(ちなみに、DQ5で仲間モンスターが主人公の命令を認識出来るかどうかの境目がかしこさ20である)
以上のようにゲームによって様々であり、特にD&Dなどでは知力25は逆に褒め言葉・畏怖の言葉にしかならないため、前項でも書いてある通り、他のゲームなどでむやみやたらにこの表現を多用するのは控えよう。少なくとも、LALもしくはそれに類似したバランスのゲームか、ネタが通じる場でのみに留めておくこと。
(もっとも、「25」と言う数字に特にネタのあるゲームはLALだけなので、例え25=低いが通じるドラクエの動画であってもネタとしては通じない可能性が高いが)
ニコニコ動画においては
「LIVE A LIVE」関連の動画においては下手糞だけど愛すべき馬鹿に対して「知力25」「○○力25」というタグが付くことがある。
こうした事からも、ただのバカよりも「愛すべきバカ」に類似した意味を持っており、蔑称として使うLALファンはあまり居ないと思われる。(ただしゲーム自体が割合マイナーな為、LAL、少なくともスクウェアファン界隈じゃないと通じない可能性はある)
が、ゲームスラングの一つである事に代わりは無いため、使用する際は最低限の注意、周囲の空気を読む事を大事にしておきたい。自分自身が悪い意味での「知力25」にならない為にも。
関連動画
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関連項目
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