石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)(1938年-1998年)とは、宮城県出身の漫画家・特撮作品の原作者である。
1984年まで石森章太郎の表記を用いていた。本名は小野寺章太郎(おのでら しょうたろう)。
概要
1938年(昭和13年)1月25日、宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森。これが石ノ森のペンネームの由来である)出身。幼少期は映画監督に憧れて石巻市の映画館に足繁く通っており、後の「石ノ森萬画館」を始めとする、石巻市の漫画での街おこしにつながった。中学時代から雑誌投稿を始め、高校在学中にデビューした。この間「東日本漫画研究会」という名の、今で言う同人サークルを結成しており、赤塚不二夫とはその頃からの付き合い。
「石森章太郎」のペンネームだったころは誰もが「いしもり」と読んでいたが、デビュー30周年時、本来は地名と同じく「いしのもり」と読むのだと示すため「ノ」を付け加えることにした。そのため本の表紙やポスターでは、「ノ」を他の字より小さくした「石ノ森章太郎」のような書き方となっている。なお、プロダクションの名前は「石森プロ」であるが、こちらは「いしもり」が正式な読みとされている。
代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』。特撮・児童向けドラマの原作としては『仮面ライダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』『人造人間キカイダー』『イナズマン』『がんばれ!!ロボコン』『がんばれ!/それゆけ!レッドビッキーズ』『美少女仮面ポワトリン』『スカルマン』などが有名。
赤塚不二夫・藤子不二雄などと同じくトキワ荘出身者。元アシスタントに永井豪などがいる。島本和彦は自らの作品の正当な続編の執筆を任せるなどのつながりがある。大友克洋は同じ高校の15年後輩にあたり、石ノ森の「マンガ家入門」を読んで漫画家を志したという。
幅広い分野で漫画作品を制作し「漫画の王様」「漫画の帝王」と謳われ、漫画には面白いだけではなく色々と前衛的な表現が可能になったとして「萬画宣言」を発表、以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と名乗っている。
個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』が、「1人の著者によって出版された最多コミックの記録」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。(2008年1月認定)
子供に小野寺丈(俳優)と小野寺章(石森プロ代表)がいる。また、今野敏は従兄弟である。小野寺丈は石ノ森章太郎の没後にサイボーグ009の完結編となる小説を、父との共著という形で発表している。
簡略化した自画像として、「四角い輪郭の真ん中に豆粒のような鼻、その鼻にくっつけて眼・口・眉を全て放物線で描く」というものがあり、サインを求められた時などによく描き添えていた。他の漫画家が同じように石ノ森を描いて自作に登場させることも多く、手塚治虫(「鉄腕アトム『電光人間の巻』」のオマケ漫画のほか、スターシステムで「ブラック・ジャック」などにも)、藤子・F・不二雄(「スタジオ・ボロ物語」)、水木しげる(「睡眠のチカラ」)らの例がある。藤子不二雄A「まんが道」では、元絵の雰囲気を残しつつ藤子A流のアレンジが施されており、見比べてみるのも面白い。
特撮においての少女向け魔法少女、戦闘美少女作品の神様でもある。「好き! すき!! 魔女先生」(1971年、東映)で企画者の注文に答えるだけでなく、第二次怪獣ブーム(1971年~1974年)のアクション要素まで付け加え新たな少女向け特撮の可能性を提示。「透明ドリちゃん」(1978年、東映)で本邦初の特撮による本格魔法少女作品を世に送り、東映不思議コメディシリーズ(ぱいぱい→いぱねま→ポワトリン)で後に世界的ヒットを記録するアニメ版「美少女戦士セーラームーン」(1992年、東映動画)の原型を作った。その流れは「実写版セーラームーン」(2003年、東映)、「プリキュアシリーズ」(2004年、東映アニメーション)を介し、今日の「ガールズ×戦士シリーズ」(2017年、OLM)や世界の少女向け作品に何かしらの影響を与えたと思う。なお、少女向けでの最後の作品は「有言実行三姉妹シュシュトリアン」(1993年、東映)であった。
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