石井浩郎(いしい ひろお、1964年6月21日-)とは、秋田県出身の元プロ野球選手(内野手)、政治家である。
概要
近鉄バファローズ、読売ジャイアンツ、千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズの4球団で13年間に渡りプロ野球選手として活躍。現在は自民党に所属する参議院議員として政治活動を行っている。秋田県選挙区選出で、任期は2016年7月まで。
プロ野球時代は右の強打者として鳴らし、特に近鉄入団後の5年間は主砲として申し分のない成績を残した。その後は故障の多発に加え、守備走塁難ゆえに守備位置が限られていたこともあって低迷が続き、6年間で巨人・ロッテ・横浜の3球団を渡り歩いたが、往時の輝きを取り戻すことはできないままグラウンドを去ることになった。
引退後はもつ鍋屋のチェーン店を経営していたが、自民党からの打診を受け、2010年参院選の公認候補として地元の秋田県選挙区から出馬。民主党の現職候補を破り初当選を飾った。選挙前の各種アンケートでは、核武装に積極的な姿勢を示す一方で取り調べ可視化には反対と回答するなど、自民党内でも右派に属するスタンスを取っている。
私生活では、1997年に歌手の岡村孝子と結婚し、一子をもうけたが、2003年に離婚している。2006年に元モデルの女性と再婚したが後に離婚。2013年にアナウンサーと3度目の結婚をし、男児が産まれている。
経歴
プロ入り前
OB | |
---|---|
石井浩郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県南秋田郡八郎潟町 |
生年月日 | 1964年6月21日 |
身長 体重 |
183cm 94kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1989年ドラフト3位 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴
|
|
プロ野球選手テンプレート |
秋田高校時代からスラッガーとして活躍する傍ら、地元の進学校である秋田高校を卒業し、夜学とはいえ一般入試で早稲田大学に合格する。
東京六大学野球で頭角を現すと、1987年に早稲田大学を中退して社会人野球の名門・プリンスホテルに入社。全日本の4番を務めるなどエリートコースを順調に進み、大豊作と言われた1989年のドラフトで近鉄バファローズの3位指名を受けて入団する。
近鉄時代
1990年(1年目)は病気で出遅れるも7月からレギュラーに定着。後半戦はクリーンアップを任されるようになり主軸打者として活躍、1年目にして打率3割・22本塁打と上々の成績を残す。ただ新人王の座は、投手四冠に輝くなどの圧倒的な活躍を見せた同期入団のチームメイト・野茂英雄にさらわれた。
2年目以降も安定して活躍を続け、1992年7月26日から1995年6月8日まで362試合連続で4番打者として出場するなど、チームの中心選手として君臨。
1994年には打率.316・33本塁打・111打点と抜群の成績で打点王のタイトルを手にしている。しかし1995年には4番打者としての連続試合出場記録を更新するために、かかとの亀裂骨折をおして強行出場を続け、最後は4番として1打席だけ試合に出て交代するというなりふり構わぬ手段で記録を更新したため、強い批判を浴びた。
記録達成の代償か、これ以降故障が相次ぐようになり、1995年の後半戦と1996年シーズンは故障で棒に振ってしまう。そしてシーズンオフに大幅減俸を提示されたことを不服として年俸調停を申請。NPBの斡旋により読売ジャイアンツにトレードされることとなり、近鉄を去っていった。ちなみに巨人から移籍したトレード要員のうち、石毛博史は生来のノーコンが災いしてあまり活躍できなかったが、吉岡雄二は近鉄末期の中心打者として活躍。結果的に近鉄が得をしたトレードとなった。
巨人時代
巨人に移籍した石井だったが、いきなりポジションがないという壁にぶち当たってしまう。石井は一応三塁手も守れたがお世辞にも上手いとは言えなかったため、近鉄時代はもっぱら一塁手か指名打者として出場していた。ところが当時の巨人は清原和博、広澤克実、ドミンゴ・マルティネスなどの有力選手を抱えており既に一塁手は飽和状態、しかもセ・リーグには指名打者制度がないため、必然的に代打中心の起用に甘んじざるを得なくなったのである。
それでも勝負強い打撃は健在で、代打として要所要所で活躍。清原が故障離脱した1999年は一塁手のスタメン機会も増加し、5年ぶりの二桁本塁打となる11本塁打を記録している。しかしその年のオフ、河本育之との交換トレードでロッテに放出されることになる。
ロッテ時代
1年目は一塁手・指名打者として積極的に起用され、95試合で打率.266・10本塁打・51打点と、全盛期には及ばないものの、まずまずの成績を残す。
2001年は一塁手福浦和也・指名打者フランク・ボーリックの布陣がほぼ固定となったため、再び代打中心の起用となり成績も低迷。36試合の出場で3本塁打に留まり、オフにはついに戦力外通告を受けるに至る。
横浜時代
獲得の意思を示した横浜に移籍し、代打として再起を期したが、故障した1996年シーズン以来となる0本塁打に終わり、現役引退を余儀なくされた。
エピソード(野球選手)
- 故障を悪化させてまで達成した「4番打者連続試合出場記録(362試合)」だったが、後に松井秀喜が415試合に更新し、さらに金本知憲が880試合まで記録を伸ばしたため、石井の記録は既に日本記録ではなくなっている。
- 巨人移籍後に日テレの「THE・サンデー」で「拝啓、石井浩郎です。」という特集コーナーを設けられ、好評を博した。
- 4球団に在籍し13年間プレーしたが、リーグ優勝は一度も経験できなかった。巨人在籍時は最大のチャンスだったが、石井が在籍した1997年~1999年はちょうど3年間優勝から遠ざかっていた期間だった。
- 巨人以外の11球団から本塁打を放っていたが、横浜在籍時は本塁打を1本も打てず、「全球団から本塁打」の記録は達成できずに終わっている。
実業家から政治家へ
自由民主党 | |
---|---|
石井浩郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県南秋田郡八郎潟町 |
生年月日 | 1964年6月21日 |
衆議院議員 | |
選挙区 | 秋田県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2010年7月26日- |
政治家テンプレート |
引退してしばらくは野球解説者や西武二軍監督などプロ野球関係の仕事に就いていたが、2005年頃からはもつ鍋屋のチェーン店経営に専念するようになり、全国8か所に店舗を進出させるなど、実業家として精力的に活動していた。
そんな折、2010年参院選の候補を探していた自民党秋田県連から立候補を打診され、これを承諾。たちあがれ日本の推薦を受けて保守層を固めつつ、元プロ野球選手としての高い知名度を生かして、無党派層へも着実に支持を広げ、民主党現職の鈴木陽悦らを破って初当選を飾った。
ちなみに選挙前の各種アンケート調査では、「集団的自衛権の容認」「核武装の検討」といった自民党内でも少なからず反対派がいる設問に対して「賛成」と回答し、逆に自民党内でも賛成派が少なくない「取り調べの可視化」については「反対」と回答するなど、党内でも右派に位置する思想の持ち主であることが明らかになっている。
エピソード(政治家)
- 2010年参院選では、石井と同じ巨人OBの堀内恒夫(自民党)と中畑清(たちあがれ日本)、他球団のOBで議員経験もある江本孟紀(国民新党)と、元プロ野球選手が石井を含め4人出馬したが、当選したのは石井だけだった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧 #843 | 11438 | |
横浜 | 応援歌のピコカキコ一覧 #591 | 10324 |
プロ野球選手としての成績
通算打撃成績
通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 974 | 3602 | 3091 | 451 | 894 | 161 | 12 | 162 | 536 | 7 | 3 | 37 | 433 | 38 | 483 | 75 | .289 | .379 |
この通算成績のうち、試合数の約6割、安打数・打点数の約7割、本塁打数の約8割が入団から5年間に集中している。そのため故障がなければ球界を代表する打者にもなれたはず、と惜しまれることも多い。
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 598 | 4936 | 366 | 37 | 455 | .993 |
三塁手 | 129 | 67 | 177 | 14 | 14 | .946 | |
外野手 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
打点王 | 1回 | 1994年 |
表彰 | ||
月間MVP | 4回 | 1990年7月、1991年9月、1993年6月、1994年9月 |
ベストナイン | 2回 | 1993年、1994年 |
オールスターゲームMVP | 1回 | 1992年第1戦 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 3回 | 1992年-1994年 |
関連動画
野球選手
政治家
関連コミュニティ
関連項目
関連リンク
- 石井ひろお オフィシャルサイト
- H.I-group(石井が経営する会社の公式ホームページ)
- 3
- 0pt