石原裕次郎(1934年12月28日~1987年7月17日)とは、兵庫県神戸市生まれの俳優・歌手である。実兄は作家で元衆議院議員・元東京都知事の石原慎太郎。甥には衆議院議員・石原伸晃、タレント・石原良純らがいる。
概要
兵庫県神戸市にて生誕するが海運会社の役員の父親の仕事の関係で、北海道小樽市、神奈川県逗子市と港町で育つ。中学高校とバスケットボールの選手であったが、怪我により選手生活を断念したのと、父の急死で生活が荒れたが、兄・慎太郎の薦めで映画業界へ。最初はチョイ役であったが、関係者から「大物になる」と言われ、その予言は当たり映画の大スターとなる。また歌手としても、ヒット作を次々と出すようになる。
映画会社から独立をして、1963年に石原プロモーションを設立。最初はヒット作を出していたが、後にヒット作が出なくなり借金漬けとなり苦境に立たせられるが、1972年に『太陽にほえろ!』(日本テレビ)に出演をして以後は、テレビドラマに軸足を置くようになり、『大都会』(日本テレビ)や『西部警察』(テレビ朝日)のヒット作を飛ばすようになる。『西部警察』の場合、日本では珍しく広告代理店を通さないで直接テレビ局と契約する方式を採用し、石原プロモーションの借金をあっと言う間に返済をし、なおかつ莫大な利益を生んだ。地方ロケ編の劇中の台詞で必ず日産の営業所やオートバックスの店舗に寄ったり、地元の有名企業の社長が棒読みで登場するのも、このスポンサーのタイアップを重視したためである。
1981年に大動脈解離という大病にかかり、生存率が数パーセントという確率であったがそこから見事に復活を果たし、『西部警察』の地方ロケは「視聴者に応援してくれた恩返し」という意味で全11回、15道府県で敢行され名物企画となった。また同時期にはアニメ映画『我が青春のアルカディア』で初代・ハーロック役を声優として演じている。また、生前は、広告代理店・電通の方針に対して批判的であった。
その後肝細胞癌に冒されて、1987年に死去。享年52歳であった。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt