石川修司とは、かつてユニオンプロレスに所属していたフリーのプロレスラーである。1975年9月25日生まれ。岩手県出身。
概要
2003年、高校時代の先輩だった佐々木貴を追うようにしてDDTプロレスリングに入団し、同年6月にデビューする(同期にはマサ高梨、柿本大地がおり、今も強い結びつきがある)。
デビュー当時は今の姿からは信じられないほどひょろっとしており、それを見た団体側の意向もジャイアント馬場のオマージュレスラーというものだった。それでも公称195cmの長身から大きな期待を集めたが、優しすぎる性格が災いしてか期待されたほどの戦績は残せずじまい(この頃の伸び悩みは、当時の経営者になぜか気に入られ、一番練習しなくてはならない新人の時期に彼のもとで事務仕事ばかりさせられていたということも大きい)。2005年にはポイズン澤田が再旗揚げしたユニオンプロレスへと移籍する。
様々なスタイルのプロレスが混在するユニオンの中で石川も徐々に成長。当初はちょっと溝があった木高イサミ(当時はisami)との仲も、壮絶なシングルマッチを経て、同志としての強い結びつきに変わっていった。だが、肝心のユニオンプロレスが赤字続き。社長に就任した高木三四郎は団体の解散を検討し、心ないファンからは「ユニオンはDDTのリストラ部屋。」などと言われるようになってしまう。
しかし石川&isamiと、佐々木恭介&田村和宏による壮絶な試合を見て(勝手に)心を打たれた高木社長はユニオンプロレスの存続を決定。それまでユニオンの代表を務めていた武井匡氏の勇退を期に、創設者のポイズン澤田はDDTプロレスリング本隊に復帰。2007年にはナオミ・スーザン代表による、石川修司がエースとして君臨する新生ユニオンプロレスがスタートした。
その後の石川修司はユニオンプロレスにおける絶対的エースとして君臨。2007年には6月にはハワイの戦いの神「Koo」のギミックで初のKO-D無差別級王者(第24代)に輝く。また、2009年9月には飯伏幸太から「石川修司」として初のKO-D無差別級王者(第30代)に輝く。その後2010年2月に関本大介に敗れるものの、2011年5月にはディック東郷から再びKO-D無差別級のベルトを奪い(第36代)、そのまま同年7月のDDT最大のビッグマッチである両国国技館大会でメインを勤めた。2012年8月18日のDDT日本武道館大会では、大日本プロレスの伊東竜二と組んで真壁刀義(新日本プロレス)・HARASHIMA組とハードコアマッチで激突。パイプイス攻撃からのスワンダイブ式蒼魔刀でHARASHIMAに敗れるも、真壁に「あのデクの坊、石川? やるじゃねえか」と高い評価をもらった。
他団体でもその巨体を生かしたファイトで、外敵を越えたメインイベンターとして活躍している。
大日本プロレスではデスマッチ戦線に本格的に参入し、伊東竜二やアブドーラ小林といったデスマッチヘビー級王者たちと、団体の歴史に残る激闘をくり広げる。さらに入江茂弘とのタッグでは第36代BJW認定タッグ王座も獲得。2013年1月2日にはアブドーラ小林を降して、第27代BJW認定デスマッチヘビー級王座に輝いた。
さらにストロングBJ路線でも巨体と突進力を生かしたファイトで、第5代BJW認定世界ストロングヘビー級王座を獲得。プロレスリングZERO1の佐藤耕平とのタッグ「ツインタワーズ」では第39代BJW認定タッグ王座にも輝く。
大日本プロレスに参戦したレスラーの中で、デスマッチヘビー級、世界ストロングヘビー級、BJWタッグの王座全てに就いたことのあるレスラーは、今のところ石川修司だけである。
先輩である佐々木貴が代表のプロレスリングFREEDOMSでは、貴の地元である一関大会にレギュラー出場。さらに2011年には葛西純プロデュースデスマッチ興行に葛西の相手として参戦。メインのガラスボードデスマッチで葛西決死のバルコニーダイブを受けるも、これを撃破して勝利を収めている。
KAIENTAI-DOJOでは、ユニオンプロレスで大家拳號として活躍する真霜拳號のCHAMPION OF STRONGETS-K王座に挑戦。敗れはしたが、これぞインディーのヘビー級という戦いを見せた。
一方、ユニオン内ではベルトに無縁(というか、ユニオン管理のベルトがそれまでなかった)が、2012年に宮本裕向を降して第19代DDT EXTREME級王座に就くも、石井慧介に敗れている。またユニオンMAX王座が設立されても、最後まで戴冠することができずじまいだった。
ユニオンプロレスが解散してフリーになってからは、大日本プロレスと全日本プロレスを主戦場としているが、それ以外の団体もスケジュールなどが合えば積極的に参戦している。また、DDTでは佐々木大輔に「エイドリアン」として招かれてヒールユニットDAMNATIONの一員となり、2016年の両国ピーターパンで竹下幸之介からKO-D無差別級王座を奪取した。
2017年には全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルに初出場。決勝でジョー・ドーリングを下し、初優勝を果たした。
得意技
190cmを越える巨体と突進力を生かしたパワーファイトを得意とする。弱点は巨漢の割に、投げ技やアルゼンチンバックブリーカーなどの担ぐ技を食らいやすいところ。
- スプラッシュマウンテン(現在のフィニッシュホールド。クロスアーム式スプラッシュマウンテンを含む)
- ビッグブート(16文キック)
- 32文人間ロケット(ドロップキック)
- 頭突き(かんぬき状態からの頭突きの連打は、不利な状況を一気に覆すほどの威力。かつてはサムライTVの実況で、北斗の拳に出てきた「華山角抵戯(かざんかくていぎ)」とも呼ばれていた。他にレインメーカー式も使う)
- かんぬきスープレックス(頭突き連打からのセットとなっている)
- ダブルアームスープレックス
- ニーリフト
- ジャイアントプレス(フライング・ボディプレス)
- ノド輪落とし(チョークスラム)
- ファイヤーサンダー
- ジャイアントスラム(オリンピックスラム)
エピソードなど
- 概要の中に記述があるように、「石川修司」以外としてはアントーニオ本多率いるハワイ軍団「aWo」の一員としてハワイの戦いの神のマスクマン「Koo」としてDDTのリングに上がっていた。また、マッスルや新北京プロレスではマスクマン「ジャイアント馬謖」として趙雲子龍の「泣いて馬謖を切る」によって毎回無駄に斬り殺されるというギミックを演じていた。チェリープロデュース興行「ファンタジーイリュージョン」に出てくる石川ジャイ子は…覚悟して見てください。
- かつて巡業先のホテルで洗濯をしていて狭い隙間にあるスイッチを押そうとしたところ、身長が大きすぎるために普通の人間ではありえない角度から無理矢理スイッチを押そうとしたせいで腕に金具を引っかけ怪我をしてしまった。このおかげでDDTはホテル側から平謝りされ、その日の同じ頃にホテル内で泥酔したKUDOとマサ高梨が大喧嘩したことがチャラになったという。
- ユニオン興行の締めでくり広げられる、石川と大家健のやりとり(大家の石川への意味不明なダメ出し→大家「今からお前に活を入れてやるー!歯を食いしばれー!」とビンタしようとする→石川があっさりかわして逆に大家をビンタ→倒れた大家「俺はー俺はーユニオンのためを思ってー」と号泣)は、団体の名物。
- 2010年に大日本プロレスの至宝であるBJW認定デスマッチヘビー級王座へ挑戦した理由は、関本大介に2度破れ、自身が出ようとしていたDDT両国大会のメインを奪われた事に対する大日本への報復だった。挑戦を要求したのは8月。このとき大日本生え抜きのアブドーラ小林から「大日本は一回指名しただけでヤらせてくれる様な安い店ではない」と、その姿勢を糾弾された。これに対して9月19日後楽園での次期挑戦者決定戦を要求。試合終盤、アブ小が白フンドシ姿になったのに対し、石川も赤フンドシになり応戦し、最後はジャイアントプレスで勝利。この時の試合はDVD化の要望が一番高く、「大日大戦'10 Vol.4」に収録された。
- いつか実現させたい興行は、巨漢選手だけを集めた「ジャイアント・ゲーム」。
- 愛飲しているお酒はカルピスサワー。
- 入場曲はメタリカの「Battery」。
- 前述の通り立場上ヒールユニットの一員であるが、試合後のマイクはのんびりとしたヒールらしからぬものが多く、その都度佐々木大輔に(物理的な)ツッコミを受けている。
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関連項目
- DDTプロレスリング
- ユニオンプロレス
- 大日本プロレス
- 全日本プロレス
- プロレス
- プロレスラー
- DDTプロレスリング内公式プロフィール
- 公式ブログ「ジャイアント日記」
- 公式ツイッター @g0925union
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