「祖茂」(ソモ ? ~ ?)とは、後漢末期の武将であり、(演義においては)程普・韓当・黄蓋と並ぶ孫堅配下の旗本四天王の一人である。
正史では
孫堅が反董卓連合軍に参加した際に従軍。梁城に進出したところで董卓軍に包囲され、孫堅が数十騎を引き連れて囲みを突破した後、董卓軍の追手に追い詰められた際に、孫堅がかぶっていた赤い頭巾を自ら被っておびき寄せる役を買って出る。
この時、孫堅の逃亡は成功したものの祖茂はさらに追い詰められたのだが、孫堅の赤頭巾を木にかけて、自らは草むらに隠れて身を潜めると、董卓軍の追手は孫堅の赤頭巾を発見して取り逃がした事を知り退却するというステルスアクションを成功させている。
以降、歴史に対してステルスアクションを仕掛けたのか祖茂についての記述は無い。
演義では
正史では字(あざな)は不明だが、三国志演義では「大栄」という字(あざな)が設定されている。
反董卓連合軍の先鋒となった孫堅が、董卓軍と相対した際に味方のはずの袁術から兵糧攻めをくらってしまい、孫堅軍の士気がおちたところで董卓軍の華雄の攻撃をうけ、散々に破れた。
追手を振り切って逃げようとした孫堅だったが、正史同様に祖茂が孫堅の赤い頭巾をかぶって敵をひきつける事に成功し、草むらに隠れるステルスアクションゲームも実行したが、三国志演義では追手の華雄を討ち取ろうと姿を現してしまい、返り討ちにあって殺された。
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※その他「祖茂」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
孫堅四天王
演義においては?孫堅配下の四天王の一人として登場する。
四天王には祖茂の他
がそもそもこの三人は正史に立伝され実績や逸話も豊富にあるのに対し、祖茂のみが孫堅伝に数行登場するだけである。にも拘わらず祖茂は演義では字を与えられ「四天王」の一人という破格の待遇で描かれている。
ぶっちゃけ正史において強いて「孫堅四天王」を規定するなら、この三人に加え朱治の方がよっぽど相応しい。
なぜ羅貫中は祖茂を優遇したかを推察するなら、程普・黄蓋・韓当は寒門出身の叩け上げの将軍という庶民受けの良い(と思われる)出自であったのに対して、名門出身の朱治では釣り合いが取れないので、孫堅の命を救った祖茂に注目したから。ではないだろうか?
なお「四天王」とは元々仏教用語で、仏教がまた浸透していない三国時代では、少なくとも一般には使われてない言葉であろう事は明記しておく。
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能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | 70 | 62 | 58 | 87 | 70 | 70 | |||
三國志IV | 60 | 70 | 62 | 58 | 83 | ||||
三國志V | 74 | 63 | 58 | 77 | |||||
三國志VI | 71 | 68 | 71 | 54 | 76 | ||||
三國志VII | 64 | 43 | 48 | 60 | |||||
三國志VIII | 69 | 58 | 50 | 61 | |||||
三國志IX | 72 | 70 | 64 | 53 | |||||
三國志X | 70 | 74 | 62 | 55 | 63 | ||||
三國志11 | 70 | 71 | 62 | 53 | 65 |
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